第46話 時子と類

 時子の考えに、銀星は眉を寄せる。


「どうしてそんなことが考えられる? 沙羅が茜のために、絳祐の鬼墨を保持しておきたいというなら分かるが、殺されるためって……」


 そう言ってから、銀星は急に表情を硬くし、ぽつりと呟いた。


「まさか、茜に復讐をさせる気か?」


 時子は頷く。


「私はそう考えてる」

「だが、茜の父親をはめたのは沙羅の父親であって、沙羅本人ではない。復讐をさせるなど……理屈が合わないだろう」


 銀星の言っていることは尤もである。もし茜が復讐をするとしたら沙羅の父親に対してするべきで、娘だからといって父親の罪を背負うのは間違っているはずだ。だが、人間というのはときに親の罪を子どもが被ることもある。


「理屈は合わないけど、人間は時にそう考えることもあるの。復讐のために一族をみんな殺してしまう者たちもいるくらいだし」


 あっさり言う時子に、銀星は「人間の思考を考えるのは面倒だ」と言いたげな様子で、小さくため息をついた。


「仮に沙羅がそう考えていたとしても、茜は『はい、そうですか』といって認めるとは思えないが……」


 茜の性格上、罪のない者を裁くことはない。愛情を注いでいた沙羅に対してであれば、猶更である。


「そうかもしれないわね。でも沙羅ちゃんが賢い子であるなら、分かっていてもすると私は思うわ」

「何故だ」

「茜ちゃんにお父さんの鬼墨を探しに行かせるためよ。今の茜ちゃんは、彼女の面倒を見るために鷹山を離れられない。銀星の血の気配が沙羅ちゃんからするし、放っては置かないでしょうね」

「……」


 銀星はバツの悪い顔をした。

 確かにそのせいで、茜はより一層沙羅から離れなくなってしまったのは事実である。沙羅が暴れる前、茜は人間の村に住んでいる母親のところにちょくちょく出向いていたが、このふた月は一切ない。

 茜が沙羅の傍を離れるためには、彼女に絳祐の鬼墨が付いていることを話すべきだが、それは天つ日に止められていて話せない。堂々巡りだ。


堕突鬼きとつきになれば、沙羅ちゃんを殺す大義名分ができる。破壊の鬼だもの。生かしておくわけにはいかないでしょう。それに陰術でも陽術でも、堕突鬼きとつきは全て滅する対象だったはず。もし沙羅ちゃんが堕突鬼になって、鷹山の外へ出たとしても術者によって殺されるのよ。それなら、茜ちゃん自らの手でやってしまったほうがいいんじゃない?」


 銀星は小さくため息をつく。それは確かにその通りだが――。


「時子、それはさすがに残酷すぎじゃないか?」

「そう?」


 時子が肩をすくめてお茶を飲んだときだった。葵堂の引き戸が開いた。


「ただいま」


 そこに立っていたのは、薬箱を背負い、少し廃れた着物を着たひょろりとした背の高い青年、充の義兄であるるいだった。


「おかえり。早かったわね」


 そう言われた類だが、先に銀星に軽く頭を下げると「銀星さんですよね、いらっしゃいませ」と言ってから、長式台に座ると薬箱を下ろし、草履を脱ぎながら母親の問いに答える。


「早く切り上げてきたんだ。折角葵堂に帰ってきたっていうのに、このふた月の間、ずっと充とすれ違いなんだよ。今日こそは充が帰る前に明日の準備を終わらせて、少しでも話せたらなと思ってね」


 類は二年ほど前から葵堂から離れ、薬草を採りに出ている。それまでは父親の仕事だったが、修も別の事情ができて仕事ができなくなってしまったのだ。そのため、修の仕事は類へ、類の仕事は充へ受け継がれ、ふた月前まで葵堂には時子と充しかいなかったのである。

 しかし沙羅の一件があって、時子から呼び出しがかかって戻ってきたはいいが、時間がなくて義弟と話せていないのだった。


「類か……」


 草履を脱ぎ終わった類は、時子と銀星で囲んでいた座卓に混ざって座る。


「そうですよ。もしかして、久しぶりで気づきませんでしたか?」


 聞かれて銀星は頷いた。


「しばらく会っていなかったからな」

「人間と半妖じゃ、時間の流れが違いますからね。最後に会ったのって、えーっと、十年くらい前でしょう? あのときは私もまだ子どもでしたから、分からなくて当然ですよ」


 癖のある黒髪をした類は、温和な顔立ちをしているので、ただいるだけで空気が和む。思うに父親の修ゆずりりだろうな、と銀星は思う。時子もまとう雰囲気はやんわりとしているが、それは内に潜む鋭い刃物を隠しているだけのようにしか思えない。今日、話をしていてそう思った。


「相変わらず、俺のような存在は怖くないんだな」


 すると類は、ふふっと笑う。


「葵堂にいようがいまいが、この家の者は妖のたぐいとは無縁ではいられませんよ。それに、今は人間の姿をされていますから、怖いも何もないです」


 そう言われて、銀星も笑う。


「それもそうだな」

「それより、今日は何用でいらしたんです?」


 尋ねる彼に「鷹山のことで、天つ日からの伝言を伝えに来たんだ」と銀星は言った。


「充のこと、絡んでます?」


 思いがけぬ質問に、銀星は少し考える。


「いや、特には……」


 すると類は優しい笑みを浮かべると、念を押すように言った。


「大丈夫だとは思いますが、もし充に何かあったら許さないので、気を付けてくださいね」


 きらきらと輝かんばかりの笑みの奥に、義弟への愛情が見え隠れする。充にとっては嬉しいものかもしれないが、これは他者が見せつけられたとき、ひどく面倒なものになるやつだなと銀星は思った。


(類は修とは似ていると思ったが、前言撤回だ。無自覚なのか分かっててやっているのか分からないところが、時子そっくりだ……)


「……分かっているよ」


 茜と沙羅のことで、充が巻き込まれませんように、と銀星は今から祈るのだった。

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