第26話 充の過去

 充の生家は、とても貧しかった。

 農地はあった。しかし小さかったために、地主に雇われてほかの農地の手伝いをしなければ食べていけなかったのである。それにも拘わらず充の兄弟は彼を入れて六人。長兄・姉・次兄・充・弟・妹。つまり、充は四番目の三男だった。


 長兄と姉は面倒見が良く優しかったが、充より下に兄弟が生まれるとそちらの世話にかまけようになり、気づいたら自分のことは自分でやらなければならなくなった。

 一方、充のすぐ上の兄、つまり次兄はとにかく楽をしようとする人間で、大人に怒られるようなことをやらかすと、両親も兄たちも見ていないことをいいことに、いつも「充がやったんだ」と言い訳をした。


 父も母も仕事で忙しいので、次兄がどんな悪さをしたのかは知らない。そのため彼らは次男坊が「充がやった」と言えば、あっさりと信じてしまったのである。また長兄と姉は、次男が問題を起こしていることを知っていても口出ししなかった。それは、彼らも末の弟と妹を見るので精いっぱいであり、下手に口出しをして今度は「長兄が悪い」「姉が悪い」と言われるのを避けるためでもあった。

 そういうことが積み重なり、充は両親に「家族のお荷物」だと思われていたのである。


 充が十歳の年になった夏のある日のこと。

 次兄は地主の屋敷で育てられていた桃を盗んできた。本当は誰にも見つからないまま、こっそり食べようとしたに違いない。だが、偶然畑から粗末な家に戻って来た充に、まさに桃を食べようとしているところを見られてしまったのである。


「お前、なんで……」


 兄は、畑に行っていたはずの弟が戻って来たので驚いていたが、充も兄の手にある桃をみて、もっと驚き、さらには怒りが沸々と湧きあがって来た。


「兄ちゃんこそ、それ、どこから盗んできたの?」


 充の指摘に、兄は不快な表情を浮かべた。


「人聞きの悪いことを言うな。貰ったんだよ」

「誰から?」

「地主様に決まってるだろ。お前、あの家に桃の木があることも知らないのか」


 小馬鹿にする兄に、充は言い返した。


「知っている。でもそれなら、本当に兄ちゃんが貰って来たかどうか、地主様に確認して来る」


 充は兄が言っていることは嘘だと思った。それが彼に対する態度だからだ。

 充は踵を返し、地主の元へ行こうとした。兄の悪さを暴き、しょっぴいてもらおうと思ったのだ。これまで充が彼の代わりに散々怒られてきた。だから、今度こそ兄自身が自分の過ちを反省してもらうために。

 だが、兄は充の腕を掴んで引き留めた。


「待てよ、ミツル!」


 そして力尽くで兄の方を向かせられ、家の壁に体を押し付けられる。


「てめぇ、ふざけんな! 貰ったって言ってんだろう!」

「地主様に聞きに行くだけじゃないか。地主様が本当に兄ちゃんに桃を下さったなら、僕を引き留める必要なんてないんじゃない? それともやましい気持ちでもあるの?」

「お前……」


 怒りなのか、弟に侮辱された腹立たしさからなのか、兄は顔を真っ赤にし、鬼の形相で充を睨みつけた。


「僕は、兄ちゃんの代わりに叱られるのが、もううんざりなんだ」


 正論を言ったつもりだった。本当のことを言えば大人たちは皆、次兄を問いただすことだろう、と。

 すると兄は腕を掴んだ手の力を緩める。ほっとしたのも束の間、今度は両方の二の腕を掴まれ、そのまま地面にたたきつけられた。


「痛いっ!」


 充はすぐに起き上がろうとしたが、次兄が彼の体をまたぎ、さらに胸倉を掴んで見下ろす。


「やれるものやら、やって見ろ。どうせ皆が信じるのは俺の方だぜ」


 低く冷ややかな声で言い捨て、乱暴に胸倉から手を離すと、少し離れたところに置いておいた桃を拾い、充に押し付けた。


「やる。それで俺が盗んだってこと、地主に言ってみるんだな。どうせ、誰もお前のことを信じないぜ」

「……やってみないと分からないじゃないか」


 充は精一杯兄を睨みつけると、彼は捨て台詞を吐いた。


「けっ。お前みたいに、いつまでもジュンシンな奴を見てると、反吐へどが出る。そんなんで生きていけないぜ」


 反吐の代わりなのか自分の唾を吐くと、踵を返し、兄はまたどこかへ行ってしまった。

 一方の充は、この桃があれば、兄に痛い目を合わせてやられると純粋に思っていた。そのため、畑には戻らず、直接地主の屋敷へ行って事情を説明しに向かった。


 だが、結果は思ったのとは全く違う方へ向いてしまったのである。


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