第31話 渇き
使用人に案内された部屋は、それほど大きくはない。しかしちゃんとした調度品が並んでいることから、充でさえもここが客間であることが分かった。
「ありがとうございます。もし側役の方か、地主様に事情を聞かれたら『葵が直接話します』と伝えてください」
葵は部屋に入るや否や使用人に言うと、彼は素直に頷いた。
「分かりました」
「それと、お水をいただけませんか」
「それでしたら、そばにある井戸から好きなだけ汲んで下さい。上に報告し、周知しておきます」
使用人はてきぱきとと答える。何を言っても無駄だと悟ったのだろう。葵はそれに気づいているのか否か、にっこりと笑って「ありがとうございます」と再びお礼を言っていた。
言われた方は少し複雑そうな表情を浮かべつつ、「では、私は退室いたします。何かあれば、その辺にいる女中にお申し付けください。失礼いたします」と、袖に手を入れて一礼すると去っていった。
葵に抱っこされた充は、部屋に入るなりそっと下ろされると、ふかふかの座布団の上に座らせられた。
「水を持ってくるので、待っていてくださいね」
充がこくりと頷くと、葵は部屋に置いてあった縦長の木箱のなかから、竹筒と桶を取り出すと外に出ていく。大した時間もかからず戻ってくると、桶は使い古した布の上に置いて部屋の隅にどかし、竹筒は重厚感のある卓の上に置くと、今度は木箱から小さな陶器の器を二つ出した。白地に赤い
葵はそのうちの一つに竹筒に入れた水を注いて口に入れると、「大丈夫だね」と独り
「お水です。どうぞ」
充は彼の突然の行動に、器と葵を交互に見つめた。
まず、器に水を入れて出されることがなかったので、充は驚いてしまった。普段は甕から直接飲んでいるし、大人たちが祝いの席で酒を飲むならまだしも、子どもの自分にこんな洒落たもので水を出されると思ってもみなかったのである。
それに加え、充に対する態度が丁寧すぎる。
確かに着物が汚れるのもいとわないし、派手な感じではないが、使用人と葵の会話を聞いた限り葵は上流社会で生きる人間だろう。
そう考えると、葵と充の身分の差は大きい。それにも拘わらず充に対して丁寧な言葉で接するし、高価な器に水を入れて出すことなどあり得ないと思ったのである。
充が黙っていると、葵は不思議そうな顔をする。
「どうかしましたか?」
尋ねられ、充はためらいながらも尋ねた。
「何でお水を下さるんですか……?」
「喉が渇いているんじゃないかと思ったんですけど、違いましたか?」
「……渇いています」
「それじゃあ、どうぞ。おいしいお水ですので、このまま飲んで大丈夫ですよ」
「……この器で……飲んでいいんですか?」
「はい、もちろん」
葵はにこりと笑う。充はそれを確認しながら、そっと手を伸ばし器を手に取った。とても軽い。そして口をつけて飲んでみると、するっと水がのどの奥に流れていく。ごくりと飲み込むと、体のなかを通っていくのが感じられた。これまでに味わったことのない不思議な感覚である。
「口のなかは痛くないですか?」
「え? はい……」
「それならよかった。あ、もっとありますよ。飲みますか?」
「えっと……」
「遠慮しなくていいんです。その様子だと随分涙を流されたのでは?」
葵の指摘に、充は顔を赤くする。恥ずかしいことだと思ったのだ。
「あの、僕……その……」
すると葵は、器を持った充の手ごと掴むと、空になったそれに竹筒から水を注いだ。
「恥じることなどありません。よく我慢しましたね」
その瞬間、充は胸の奥がじわりと温かくなるのを感じた。
(この人は、僕の痛みを分かってくれる人だ……)
充は涙を流すまいと目に力を入れながら、葵から何度か水を器に注いでもらい、口の渇きを癒したのだった。
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