第20話 沙羅

(ふた月になるな……)


 充は、前かがみになっていた姿勢を起こして、ふうっと息をつく。

 初めて鷹山を登ったときは秋のはじめ頃だった。あのとき紅葉した木々が山道を情緒豊かに装っていたが、今は枝だけがむき出しになった寒々しい木が連なる。本格的な冬が近づいていた。


 いつも通り山小屋のある開けた場所に出ると、充は妙な光景を目にした。

 それがどういうことなのか、気づくまでに暫し時間がかかったが、よく見ると小屋の縁側に一人座り、どこかを遠く見つめている沙羅の姿がある。普段暴れまわっているばかりの彼女としてはあり得ないことだ。

 充は信じられないものを見ているような気持ちになりながら、ゆっくりと彼女に近づいた。


「沙羅……?」


 長くて白い髪は相変わらずとしても、穏やかな表情も落ち着いた姿も、これまでの経緯から考えられない。充は疑問形で尋ねながら彼女の前に立つと、沙羅は顔を上げ、静かな笑みを浮かべると「こんにちは」と言った。昨日まで大声で怒鳴っていたとは思えない程、線の細い声である。


「僕が分かるの?」

「分かる。みつるさんでしょ?」


 当たり前の応答に、充は胸が苦しくなった。

 いくら話をしようとしても攻撃的で、すぐに手を出そうとした彼女とは思えない姿に感極まったのかもしれない。

 沙羅は少しよけると、自分の隣をぽんと叩いた。


「ねえ、座って」

「え?」

「お話したい」

「あ……うん」


 勧められ、充は背負っていた薬箱を下ろし傍に置いて隣に座る。


「ごめんね」


 彼女はぽつりと言った。充はすぐに日々の出来事について謝ったのだと思った。


「覚えているの?」


 暴れまわる沙羅に、正気の部分があったとは思えず聞くと、彼女は静かに答える。


「とぎれ、とぎれ」

「そっか」


 充がそう呟いた後、暫しの沈黙が訪れる。

 沙羅は足をぶらぶらと揺らし手持無沙汰な様子だが、自分から話をしようとは思っていないらしい。充は堪らなくなって、思わずこんなことを聞いてしまう。


「あ……、ねえ、沙羅。どうして半妖の血を飲んだの? もしかして飲まされた、とか?」


 あの日から銀星と会っていない。つまり沙羅と銀星の関係について聞いていないということである。

 そのため、充は沙羅に聞いてみようと思ったのだった。すると彼女は表情を変えず、淡々と答える。


「違うの。わたしが望んだの」

「どうして?」


 半妖たちに馬鹿にされたくなかったからだろうかと、想像していた答えを思い出す。だが、沙羅の理由は充が予想していないことだった。


「茜が可哀そうだから」

「茜が可哀そう?」

「うん。優しい赤鬼と人間の子だから、私を捨てられない……」


 鎮痛な顔をして沙羅が言う。


「それは……どういうこと?」


 充はそのとき、ひと月前に茜が自分のことを「赤鬼の子」を思い出した。「赤鬼の子」だと何かあるのだろうか。

 話を聞こうと思ったそのとき、山道の方からこちらに近づく足音が聞こえた。そちらの方を向くと、すぐ近くまで茜が来ていた。


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