第16話 白銀の髪をした少年

 鷹山に入山するようになってから、ひと月が経った。沙羅は依然として暴れまわっている。


「沙羅、待て!」


 沙羅を追いかけている茜の大声が、充の耳にはっきりと聞こえた。一度見失ったが、探し回っているうちに彼女たちの方が充の方に近づいて来たようである。


 沙羅と茜は、鷹山のなかを物凄い速度で走る沙羅を追いかけているのだろう。充は二人の走る速度には付いて行けないので、茜には「待っていろ」と言われたが、薬屋の彼女たちの見えぬ背を追いかけて来たのだった。


 だが、追いかけて来たのは単なる義務だけでもない。


 暴れまわる沙羅は、何故か小さい妖ばかりに怪我を負わせるので、その対処が早く出来るようにするためにも後を追った方がいいのだ。


 昨日は充が来る前にひと暴れした沙羅のせいで、怪我をした小さな半妖たちが痛みで大泣きしていた。人間の子どもが怪我をしているのもいたたまれないが、半妖の子たちの怪我を見ても同じである。


 生きている世界が違うとはいえ、やはり一方的にやられた傷は見ていて心が痛む。


「沙羅!」


 茜が再び叫んだ。はっきりとした声。近い。


 充は辺りを見渡し、声が聞こえた方に近づくと葉が落ち切った木々の間で、二人が格闘している姿が見えた。沙羅が人間とは思えない速度で飛び跳ねるような蹴りを打ち込んでいるせいか、茜が防衛する一方になっている。


「沙羅……!」


 充は息切れをしながらも、何とか叫ぶ。すると沙羅が、一瞬こちらを気にした。防衛一方だった茜はそれを見逃さず、僅かにできた隙に沙羅の腹に重い一撃を放っていた。


「かはっ!」


 沙羅は腹を押さえて苦しみながらも、よろよろと後ろに下がって茜との距離を取ろうとする。一方の茜は時機を見計らって、距離を詰める時を探っていた。


「沙羅、もう逃げるのはよせ。そろそろ辛い頃だろう」


 茜がさとすように言う。沙羅は屈んだ体勢のまま、茜と充とを交互に睨みつける。


 彼女はどうしたいのか——。そう思ったときだった。沙羅は自身の右側へ向かって走り、斜面しゃめんを飛び降りたのである。


「馬鹿! 待て!」


 茜はすぐに反応して、同じように飛び降りる。充は荒い息をしながら斜面へ近づくと、立ち止まった。


(これは駄目だ……)


 思った以上の急斜面に目を見張る。入ったら転げ落ちてしまうのがおちだろうが、茜と沙羅はここを躊躇ためらわず下りたことが驚きだった。


 妖怪や鬼の血というのは恐怖心がなくなるのか、それとも身体能力が高いために大したことが無いと思うのだろう。そうでなければ、急斜面を飛び降りるなど考え付かない。


 充はため息と吐くと、手当てをする人間が怪我をしては元も子もないと、追跡を諦めた。


(水……)


 充は息を整えながら、近くの木に寄りかかる。


 毎日隣村と行き来して足腰に自信があったため、あの二人の疾走しっそうに付いて行ったまでは良かったのだが、水の入った竹筒を携えて来なかったことは後悔した。空気が冷たく乾燥しているこの時期は、口のなかの水分を持って行かれやすい。喉が乾燥した息で焼けそうだった。


「水……」


 呟き、木から体を起こしたときである。目の前に水の入った竹筒が差し出された。


 茜が戻って来たのだろうかと思い顔を上げると、そこには犬耳に、目尻に紅の化粧が特徴の、きれいな白銀の髪をした少年が目の前に立っていた。


 彼は凛々りりしい薄茶色の瞳で、充の様子を伺いながら「水だ。飲んだ方が良い」と言った。


「すま……ない……」


 充は竹筒を手に取ると、少しずつ水を口に含んで喉のうるおいを取り戻した。


「ありがとう。助かったよ」


 すらりとした姿の少年は、充よりも背が高い。充は彼の顔を見上げると、「君の名前は何て言うの? 僕はみつる」と慣れた様子で名を聞いていた。


 だが、すぐには返事がなく、気まずい雰囲気になる。聞かれたくないことを聞いてしまったのだろうかとか、敬語で話さないといけなかっただろうかと思っていると、清らかな声で「ぎんせい」と答えた。


「『銀』に『星』と書く」


 充はほっとしたのと同時に、深く頷いた。名は体を表すとはこのことではないか、と思う程彼にぴったりだったからだ。


「銀星か……。きれいな名前だね。君のその姿に合っている——」


 と、そこまで言ってからはっとした。


「銀星」とは、沙羅に血をやった半妖のことではなかったか。


 確証はないと茜は言っていたが、確かに血の影響が見た目に影響するなら、沙羅の姿は彼に少し似ている。髪は白いし、爪は黒く鋭い。そして牙もある。


 だが、銀星は沙羅とは違って力が溢れ出る様子はないし、茜が「銀星は強い」という割には、穏やかで静かな雰囲気がある。


 銀星は頷く充から視線を逸らし、「ふーん」と興味なさそうに答えた。そういえば、彼は戦以外興味がなかったはずだ。


 しかし、そうであるならば、何故充に水を持って来てくれたのだろうか。

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