第15話 半妖の過去

「私の母は、人間に『吹き消しばばあ』と呼ばれた妖怪なのよ」

「吹き消し……ば、婆?」


 それはつまり、婆から風流が生まれたということだろうか。そう思っていると、彼女は察して「違うよ」と小さく笑う。


「婆っていうのは見た人がそう言っただけの話。吹き消しは、若い女の姿をしている者もいれば、男もいる。そして、吹き消しと言う妖は、ありとあらゆる火を消す」

「火事のときに大活躍じゃないか」


 充が感心すると、風流は困ったような顔をする。


「そうね。父がそんな母に惚れ込んだのは確か。父は火事で死にそうになっていたところを、母に助けられたから」

「いい話だね」


 だが、彼女は悲しそうな顔で笑うだけで同意はしなかった。


「二人は結ばれ私が生まれたけれど、吹き消しというのはさっきも言ったように、ありとあらゆる火を消すのよ。だから、家のなかに灯された火も消してしまう」


 充はそれを聞いて、風流がこれからどういう話をしようとしているか、何となく想像がついてしまった。


 人間にとって、暗闇に灯る火は大切なものである。


 足元を明るくすれば安全に歩けるし、部屋を明るくすることは闇のなかでも作業が出来ることに繋がるからだ。そして時には、人々のなかにある闇に対する恐怖を和らげてくれる。


 それを消してしまうとなると、問題になったに違いない。


「母は父に嫌われないよう、家のなかの火を消さないようにしていたみたい。でも私は、生まれてから本能に従って何度も何度も家のなかの火を消したものだから、父はとても驚いていて、それと同時に怒ってもいた。そのときの顔が今でも目に浮かぶ。だけど、私の火を消したい衝動は消えることは無いの。それが私たち『吹き消し』の定めなのでしょうね。そしてとうとうついに、父は夜になると、私は火がない部屋に押し込めるようになった」


「怖くはなかった?」


 充の問いに、風流はわずかに目を細めた。


「暗闇への恐怖はない。だけど、父に突き放されたのは悲しかった。まだ三つくらいのときだったから、やっぱり両親の傍で眠りたかった気持ちはある」

「それは当然だよ……」


 充は彼女の気持ちが痛いほど分かった。充自身、自分を産んでくれた本当の両親に構ってもらいたくても、兄弟が多くてそれが出来なかった過去があったからだ。


「でも、限界だったのは母も同じみたい。揺らめく火を見ると消したくなる衝動を抑えられなくて、私を連れて人間の世界から逃げ出した。そして母は私を鷹山に置き去りにし、どこかへ去った。悲しかったけれど、それに浸っている暇もなかった。最初のここでの生活も楽ではなかったから」


「それは……強い者が上にいる世界だから?」


 充が先回りして尋ねると、風流はふっと笑う。


「あら、人間の割に良く知っているのね。私は火消ししかできないから、戦う爪も牙もない。お陰でいじめられていたのよ。でも茜が庇ってくれて、助けてくれた」


 しみじみと話すのを見ていると、いかに彼女のなかで茜が大きな存在としているのかが感じられた。


「そっか。だから、茜が特別なんだ」

「そうよ」


 まるで自分のことのように得意気に言う風流に、充は「茜は弱いものを放っておけないんだね」と言った。


「どうしてそう思うの?」

「沙羅のことも守っているから」


 すると、風流は急に不快な感情を顕わにする。


「あいつと一緒にしないで。あれは、茜のお荷物よ。鷹山は少し前に、仕切ってた上の連中の顔ぶれが変わったのと、小馬鹿にする対象に沙羅が来たことで、半妖同士のいざこざがほとんどなくなったの。お陰で、チビたちも過ごしやすくなったみたい。でも、沙羅がいて足しになったのはそれくらい。むしろ沙羅が来たことで、私は茜と過ごす時間が減った」


 確かに今の茜は沙羅に付きっきりで、それ以外の時間を作るのは難しそうだった。


「……お荷物、か。否定はしないけど」

「意外。『そんなこと言うなよ』って言うのかと思った」


 風流は本当に驚いたような顔をして言うので、充は逆に困った顔をする。


「そんなに意外?」

「だって、付きっきりで看病しているから。悪く言われるのは好かないだろうと思っていた」

「それは……頼まれたからだよ」

「誰に?」


 風流の問いに、充は一拍遅れてから答えた。


「……茜と母に」


 すると風流は「ああ」と言って、「時子ね」と笑う。


「母さんのこと、知っているの?」

「少しだけ。でも、あの人のことは好きだ」


 母と話しているときのことを思い出しているのか、風流は柔らかな表情を浮かべる。それを見て、充は「どういうところが?」と尋ねていた。


「そうねぇ……」


 風流は考えるしぐさをすると、「侮蔑ぶべつしないところ」と言う。


「私たちは人間でも妖怪でもないから、どちらにもうとまれる。それでも強ければいいけど、私はそうじゃないから」

「……そう、か」


 充は聞いたことを後悔した。多くの半妖や半鬼たちは充と関わろうとしない。それは、充自身がここでは異質な存在だからだと思っていたが、もしかすると風流のように、侮蔑されるのが嫌で距離を取っていたのかもしれない。


 充はここに来るまで、妖怪に人間との間の子がいることを知らなかった。それは裏を返せば、半妖だろうが半鬼だろうが妖怪や鬼と見なし、「危険なもの」「恐ろしいもの」と決めつけていたということ。


 知る機会がないとはいえ、それは人間の血を半分引いている彼らにとっては辛いことだろう。そう思うと、何だか悲しかった。勝手に悪者にされる気持ちは、充にも分かるから。


「時子のことを嫌う半妖たちはいないんじゃないかしら。ま、嫌っていても、時子には誰も手出しは出来ないけどね」

「どうして?」


 充が尋ねると、風流は少し不思議そうな顔をしつつも、詩をそらんじるように答える。


「美しいけれど恐ろしいあやかしが彼女を守っているから」

「美しいけれど恐ろしい妖?」


 どういうことだろうと思っていると、風流はきょとんとした様子で充を眺めていた。


「どうかした?」

「だって、充の方が彼に詳しいと思っていたから。もしかして、まだ会ってないの?」

「えっと……」


 ここでもまた充の知らないことが浮上した。知らないのに、「知っている」と思われている出来事。


「ごめん、良く分からなくて……。どういうことか教えてくれる?」


 しかし、彼女は首を横に振った。


「充が知らないのなら理由があるのよ。そのうちあなたも会えると思う」

「え……?」


 彼が戸惑っているうちに風流はさっと立ち上がって、「手当をしてくれてありがとう。私はもう大丈夫だから、他の子を見てあげて」と言う。


「うん……」


「美しいけれど恐ろしい妖」についてもう少し聞きたかったのだが、これ以上聞いても風流も困るのだろうと思い、充は諦めるしかなかった。

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