第二章 鬼と人間の間に生まれた子

第14話 「風流」という名の妖

 養母である時子に「沙羅」のことを頼まれてからというもの、充は毎日鷹山へ行くことになった。


 初めの数日は茜が迎えにきてくれていたこともあって渋々と向かったが、彼女が来なくなったころには充も諦めて、昼過ぎの時間になると判を押したように、あの黒い山小屋まで行くようになっていた。


 山小屋には毎日訪れているが、日々その様相を変える。それは沙羅が暴れているせいで、引戸だったり、壁だったり、時には屋根が壊されるせいだ。


 だが、鷹山に住んでいる半妖たちのなかに、壊れた建物を直す技術を持った者がいるのか、前日に壊された部分は夜に補修作業が行われ、翌日訪れる頃には元に戻っている。人の世界ではこれほど上手くはいかないだろう。


 そして沙羅が飲んでしまったという半妖の血。


 茜が目論もくろんでいた「沙羅が血に慣れる」はどうも簡単にはいかないようで、薬が切れるたびに大暴れしている。小屋を破壊したり、木は勿論、小屋の後ろにある竹藪たけやぶの竹を十本ほど折るのは日常茶飯事だ。


 沙羅の意思では力の暴走は止められないため、大抵茜が力尽くで止めたり弱らせたりしたあと、充が用意した鎮静薬と睡眠薬を溶かした水薬を飲ませるようにしている。


 血に馴染むのは中々容易ではなさそうだったが、沙羅にも変化はあった。


 初めは拒絶していた薬の入った小鉢を、口元まで持っていくと素直に飲むようになったのである。自分の意思で血を飲んだのかまでは分からないが、これほどの苦しみにさいなまれる日々が続くとは思っていなかったのだろう。薬を飲めば落ち着くので、大人しく飲むことにしたのかもしれない。


 もしくは茜に口移しで飲ませられたくない、というのもあるかもしれないが。


 充としてはどちらでもよいのだが、患者がすんなり薬を飲んでくれるのは、薬屋として無駄な力を使わなくて済むのでいいことだった。沙羅が薬を飲んで眠っている間に、茜と協力して怪我の手当てをするのも随分と慣れたものである。


 このような淡々と日々をこなしていく内に、充は、沙羅に怪我をさせられた別の半妖の子たちの手当てもするようになっていた。


「痛っ」

「すみません。でももうちょっとで終わりますから、あと少しだけ我慢して下さい」


 充は、小屋の暗がりにいた若い女性の左腕を手当てしていた。彼女は沙羅が暴れたときに、自分よりも小さな子を庇った際、爪で引っかかれてしまったのだという。


 半妖は体が頑丈な妖怪の血を半分引いているので、人間よりも回復は早い。

 だがそれはそういう傾向にあるというだけで、人間寄りの者もいると茜に言われた。そのため、そのまましておいても治らないことがあるので、充が傷の手当てが必要な者のところへ順に回っている。


(妖怪同士でも守ったり、守られたりするんだな……)


 充は消毒を終えた腕に布を当て包帯を巻きながら、心のなかで呟く。


 村の人たちに教えてもらってきていた妖怪の姿は、とにかく恐ろしくて、近づいてはならないものだった。また以前、茜が「そいつらの多くは、人間の子どもである沙羅を見下しているのさ。誰かよりも優位に立ちたくて沙羅を見下す」と言っていたので、幼い半妖も強い者たちに蔑視べっしされているのかと思っていたが、必ずしもそうではないらしい。それは充にとっては意外なことだった。


(それとも嫌われているのは沙羅だけなんだろうか。でも沙羅が人間で見下すなら、僕だってその対象になってもおかしくなさそうだけど……)


 充はそんなことを考え、背中に悪寒を感じる。嫉妬だとか、優位に立ちたいという理由で痛めつけられたのではたまったものではない。

 しかし、今のところ自分に危害が及ぶ様子はないので、充はとりあえず安堵している。


(妖怪……というか半妖たちの考えていることはまだ分からないな……)


「終わりました」


 充は包帯のはしを結んだ。すると、彼女はほっとした表情を浮かべると、鈴のような声で「ありがとう」と礼を言う。


「思ったよりも酷くなくてよかったです。それから明日、傷の状態の確認と布を交換しますね。それと、お名前を伺ってもいいですか?」


 尋ねると、女性は少し照れくさそうにした。

 彫りの深い顔は艶のある黒く長い髪で隠されていてよくは見えないのだが、茜のように変わった髪色や瞳の色をしているわけではないので普通の人間に見える。はっきりいって人間の沙羅よりもずっと人間らしい。


「……ふうりゅうよ。『風』に『なが』れるって書く」

「風流さんですね」


 みやびやかなこと、という意味のある言葉である。きっと彼女の両親が、素敵な人になるように願いを込めたのだろう。


「さん、なんて付けなくていい。茜のことも『茜』と呼んでいるでしょう? だから私のことも風流と呼んでくれていいし、敬語もいらない」

「分かった。風流と呼ぶよ」

「うん」


 充は手当の道具を片付けながら、ふと、彼女が字のことを話したことに疑問を抱いた。ここでも、文字の読み書きの練習をするのだろうか。


 しかし、村では子どもたちに読み書きを教える場所があるが、ここには教師となるような人がいるように思えない。そのため、彼女が字が書けるということが不思議だった。


「あの、さっき名前の字を教えてくれたけど、字は誰かに教わったの?」


 尋ねると、瞬時に答えが返って来た。


「茜」

「へえ、すごいね」


 あまりに早い返答だったので、これで会話も終わりかと思ったが、急に彼女は顔を上げ、表情をぱっと明るくする。


「そうよ。茜はすごいよ。すごくて――特別」


 充は驚きつつも、風流の話に耳を傾けた。ここでは、まだ茜のように話し合える者が少ないのもあって、風流の話に興味惹かれた。


「特別?」

「そう。私のことも分け隔てなく優しく接してくれる」


 充は「どういうことだろう」と首を傾げる。すると、充の様子を察した彼女は自嘲気味じちょうぎみに話し始めた。

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