第13話 母の頼み

 一本道の下り坂の歩いていくと、途中で獣道と繋がっている場所があった。時子はその道へ迷いなく入ると、「こっちよ」と言って充をいざなう。


「ほら、これがお天道様がいらっしゃるほこら


 獣道に入って程なくすると、その祠はあっさりと見つかった。


 大きな木々に囲まれた場所に、土の斜面に組み込まれた古くて小さな祠がぽつりとある。そして誰が用意したのか、祠の前には小さな花が一輪、供えられていた。


「ここが……」

「ええ、そうよ」


 茜はお天道様が、鷹山に入る者を選別していると言っていた。


 古びた雰囲気から察するに、何となく御利益ごりやくがありそうな気もする。


 充がぼんやりと眺めていると母が祠の前に立ち手を合わせたので、それにならう。こういうとき、どういうことをお願いしたらいいのかよく分からないのだが、とりあえず無事に鷹山から帰れることと、沙羅の回復を祈っておいた。


「さて、これで挨拶も済んだことだし、充もこの山に出入り自由ね」


 祈り終わった母が顔を上げると、優しい笑みを浮かべて息子に言う。一方の彼は目を瞬かせた。


「それ、どういうことです?」

「だって明日から、毎日沙羅ちゃんのところに行かなくちゃならないから、充の安全を守ってくださいってお願いしておかないとね」


 にこにこと笑う母の一方で、充の顔は強張り、血の気が引いていくような感覚がした。


「か、母さん、ちょっと待ってください。あの……、ちゃんと説明してくれませんか。僕が毎日沙羅のところに行くって、どういうことです?」


 すると時子は当たり前のように答える。


「充も沙羅ちゃんの状態を見たでしょう? 鎮静薬を飲ませて落ち着いているけど、あれが切れたらまた暴れ出すと思うの。だからまたそうなったときのために、あなたが毎日通って、暴れるようなことがあれば対応して欲しいの。あ、あと怪我をしたらその手当てもね」


 充は困惑した。何故そんなことを勝手に決めるのか。


 第一、薬屋には母と充しかいない。旭村にいる医者やそこ以外の隣接する村に薬を届けているのは充の役割で、母は店番。もし、充が毎日鷹山を登って沙羅のところに行かなければならないのであれば半日が潰れ、村に薬を届ける人がいなくなってしまう。


 まさか、母がそれまで担うというのだろうか。


 だが、一日分の仕事をやっとこのこで二人で終わらせているのに、一人で出来るはずがない。


「な、何で僕が⁉ それに日中の仕事はどうするんです⁉」


 たじろぐ充とは反対に、時子は冷静だった。


「午前中は今まで通り村に薬剤を届けてもらうけど、午後からは私か類がやるから大丈夫よ」


 充は、母の口から出た「類」という名に戸惑った。いつもなら飛びあがるほど嬉しいはずなのに、今は少し違う。


「……兄さんが帰って来るのですか?」

「うん。もう店にいるんじゃないかな」


 類はここひと月ほとんど帰ってきていない。帰って来たとしても滞在するのは一日か二日くらいで、充と母の様子に変わりがないことを見届け、仕入れた薬を置いていくとまた出かけてしまう。


 その兄が帰ってきて、充の仕事の代わりをする。それはつまり、充があそこにいる必要がないということではないか――?


「充、そういうことだから、よろしくね」


 母は屈託なく笑う。充はそれ以上のことを、聞くことは出来なかった。 

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