第2話 それでも昔は……

 私の返した言葉に激昂すると思っていたが、意外にも兄はうんざりしたように眉間に皺を寄せるだけだった。


「……なら、謝罪の手紙だけ書け。それでいったんは手打ちにしよう」


 そう答えた兄の姿に私はとてもがっかりしたと同時に虚しいと思った。


(ははは、お兄様は知っていたのね。私が無実だって……)


 知っていたのに、私に謝罪を求めて、さらに酷い言葉を吐いたのだ。つまり、大切な『ツガイ』のためなら『カケラ』の妹が無実であろうがなかろうが、関係ないし、傷つけられてその心がどうなっても良いということだ。


 全てを悟った時、ひどくもやもやとした気持ちになる。分かっていても想像したりイメージしているよりずっと現実は痛みを伴う。それだけは実際経験し続けてしか分からないけれど、できれば心の平穏のためにあまり経験したくない。


 けれど、兄の『ツガイ』様は、私が嫌いだから、そして兄に一番愛されているのは自分だっていつだって主張する、ただ自分の自己顕示欲を満たすために私の平和を脅かそうとする。


 兄は、それについて私への疑い半分、『ツガイ』のワガママだと理解半分で結果的に『ツガイ』のワガママのために私の平和をこうやって定期的に乱してくるのだ。


 そんなことを考えた時、心が痛むことはもうないけれど、胸の奥の方が冷たくなっていくのが分かった。


ここで反論したところで私の平和な時間がより長く搔き乱されるだけなことをよく知っているので、たとえ私がどんなに嫌だと思ってもやるべきことは決まっている。


「……はい」


 私の大切な時間を、ただ平和な日常を守るためならばと、頷けば納得したように兄はその場を立ち去って行った。


 兄の後ろ姿を眺めてそれが見えなくなった時、ほんのわずかに胸が痛むのが分かった。


(あの日と同じ後ろ姿だな……)


 兄は『ツガイ』が生まれるまで10年程の間があった。『ツガイ』判定機はその人が生まれた時に『いつ』『どこで』『どのような家』に自身の『ツガイ』がいるかを判定してくれる。


 兄の『ツガイ』は、『10年後の●月×日』『近隣の街』『子爵家』に生まれると出ていた。


『ツガイ』同士に年齢差があることは珍しくはないが、兄は10年の間は『ツガイ』がおらず、その物心がつくまで、おおよそ15年ていどは私と変わらない状況だったこともあり、昔は兄と私の仲は今のように悪くはなかった。


 むしろ、仲の良い兄妹と言っても遜色そんしょくがなかったと思っている。


『ツガイ』が生まれて、認識するまでに兄はとても冷静で平等で妹思いの優しい人だった。


『ツガイ』のいないこの世界で、寄る辺ないはずの私が無事に成長できたのはまだ『ツガイ』が居なかった頃の兄と『ツガイ』に先立たれた祖父が私を守ってくれたからだった。


 両親は私が『ツガイ』が居ない『カケラ』であると知った日、つまり生まれた時から無関心だった。


 育児だって兄とは違いほとんど乳母に丸投げで、その乳母もあくまで仕事だからということで私に接していた。


 そんな、時に5歳年上の兄は私を妹として心配してよく会いに来たし、小さなパーティーでは周りから奇異な目で見られてしまう私を兄はいつも背中に庇いながら最大限守ってくれた。


『お前は、僕の大切な妹だ。『ツガイ』が僕を認識できるようになってもお前のことも守り続けるよ』


そう言って微笑んでいた笑顔の兄を今はもう見ることはできない。


『ツガイ』が生まれて、物心がついてきたあの日……、兄が『ツガイ』だけを愛する他の人と同じものになる少し前、


『何があってもお前は僕の大切な妹だから』


不安がる私にそう告げて、『ツガイ』の元へ向かった時の後ろ姿とついさっき暴言だけ吐いていなくなった優しかったものの残骸の後ろ姿が重なった時、やりきれないもやもやした気持ちが沸き上がるのが分かった。


けれど、そのもやもやが解決することなど今、この世界ではない。


「……忘れましょう」


兄が優しかったことなど忘れてしまえばいい。両親のようにずっと無関心だったのだと、乳母のようにずっと義務だけで私に接していたのだと、その他の人達のように無関心だったのだと、なかったことにしてしまえばいい。


それが正しいことでなくても、寄る辺のないこの世界で自分を守るために必要なことなのだからともう何度目か分からない諦める作業をした。


うず高く積み上げられた古本を見た時、その独特の紙のにおいを嗅いだ時、わずかに震えた心が日常に戻るのが分かった。


(私が守るべきはだけ、他に心を動かす必要なんてない)


そう、私に必要なのはこの本に囲まれた幸福でけして誰にも乱されることもない世界だけだと改めて自分に言い聞かせた。

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