第1話 ただひとり……
「……ああ、この本も『カケラ』の項目はほとんど破られてしまっているのね」
私は深くため息をついた。埃っぽく狭く薄暗い店内にはうず高く古本が積まれている。お世辞にも良い環境とは言えないけれど、今は亡き祖父が残してくれたその古書店は私の唯一無二の大切な宝物だった。
瓶底のような分厚い眼鏡をかけているので翠の瞳は度が強すぎて酷く小さく見えるだろうし、本来なら美しい紅い髪も何の色気もない三つ編みを編まれて髪の毛は手入れが行き届かずに痛んでいる。その毛先を指でくるくると巻くようにいじりながらも、目の前の本を熟読する。
誰からも見られないと人間はどこまでも怠惰になる。だから、服装だっていつも地味な色合いで綺麗な服なんてもう何年も着ていない。
けれど、最低限の機能が保てればそれでいいのだ。普段の私を気にする人などいない。完全なる『無』である時間の方が圧倒的に長いのだから。
それでも、どこかでまだ何かを夢見てしまうのかもしれないとも思う。そうでなければ『カケラ』についての本など永遠に買取続けたりしないだろう。
今、読んでいる本は、公金を横領したことがわかり取り潰されることが決まった大貴族の家から売りに出された書物の1冊だ。
王家にある最古の書物の写しとされるとても貴重なものだったの期待したが、案の定『カケラ』に関する記載はほとんど故意に切り取られていた。
『ツガイ』が当たり前の世界で私は『ツガイ』を持たない『カケラ』として千年ぶりに生まれた。
今、この国の『カケラ』は私ひとりだ。
理解者なんていない。普通が『ツガイ』の価値観の中に私がどんなことを口にしても受け入れてくれるものはいないのだ。
だからこそ、私はもうこの世界を諦めていた。いや、死ぬつもりはないのでとりあえず死ぬその日まで、平和に波風もない日々を送りたいと考えていた。
唯一、この世界の神様に感謝することがあるならば私にはこの世界ではない別の世界の前世の記憶があった。そして、その世界でも生涯独身を貫いたいわばぼっちのプロであるので寂しさや孤独さはあっても潰えずにすんだ。
それでも、どこかで夢見てしまう気持ちは許してほしい。そして、その期待が今も裏切られ続けているという事実に悲しい気持ちになることもある。
もやもやは晴れないけれど、私は、ため息がまた口から洩れそうになるのをなんとか抑えて、本を捲ればあるページが目に入った。
『『ツガイ』とは神の祝福であり、神が欠けた人を完全に近づけるために作り出したシステムである。
ただ、極まれに『カケラ』と呼ばれる『ツガイ』を持たないものが生まれてくる。『カケラ』が『ツガイ』を持たないのには理由がある。
『カケラ』とは神の欠……』
―その先は破れていた。
いや、焼かれて紙片すら残らなくしたらしくページからはもう長い時間経っているだろうにうっすら焦げ臭い。
故意にそれも執拗に亡き者にされたのが分かる状態だった。
(なぜ、『カケラ』はこんなに憎まれないといけないのだろう……)
過去に、本のこのページだけを焼き払った人物のなんとも言い難い感情を感じ取った時、次のページを開こうとした指先が小刻みにふるえてしまい、次のページを開けなくなった。
リンリンリン!!!
突然、来店を告げるドアベルがけたたましく鳴り響いた。
「いらっしゃいませ」
反射的にギリギリ相手に聞こえる程度の声量で答えるが、その声が聞こえたか聞こえないか分からない招かれざる客は、ドスドスと店の奧に迷いなく歩いてきた。
「おい、どういうことだ!!」
そう叫んだ声に体が反射的にビクリとなる。
そして、声の主を見た瞬間、心の中のシャッターが下りたのが分かった。彼のことはよく知っている。黒髪に碧眼の瞳をしたその人の顔を驚くほど整っていて、今日も品が良くとても高いだろう青い貴族の装束をきっちりと寸分の乱れもなしに着ているその人は私の兄だ。
兄はここが店であることなどどうでも良いように私のところまで進んできて、真正面からその整った顔を最大限まで歪めて睨んできた。
「いきなりなんでしょうか、お兄様」
そう兄に問いかけた私の声はとてもそっけないものだった。私にはこのいきなりの行動の原因とこれから続くだろう言葉が想像できていた。
「……お前が、私の大切なツガイにまた嫌がらせをしたことは分かっている」
(想像通りの言葉ね……)
この世界において『ツガイ』は絶対だ。だからこそ、たとえその『ツガイ』が嘘をついていても疑わない。
私にも『ツガイ』が居れば、話は違うがそれが居ないだけで謂れのない罪を着せられていくらそれが無実であると訴えたところでこの世界では意味がない。
何故なら、嘘をついた側の『ツガイ』がそれが真実でも認めない、それでも『ツガイ』が居るならばお互いの話し合いがもたれるが、私は『カケラ』。
私の反論など意味をなさない。
相変わらず私を睨みつけている兄に私は、うんざりした調子で答えた。
「私がお兄様の『ツガイ』、エルザ様に嫌がらせをした。と答えれば満足してくださいますか??」
「……なんだその言い方は。エルザはお前のせいで昨日もずっと泣いていた。そんなエルザにお前は申し訳ないとも思わないのか??」
(申し訳ないも何も、私はもう何ヵ月も貴方の『ツガイ』様に会っていないのにね。そんなこともきっとこの人は話しても通じないだろう……)
「回りくどい言い方は好みません。お兄様は何を私に望んでいるのですか??」
私は睨みつけてきている青い双眸を無気力に見つめ返す。
「エルザに謝罪しろ、そしてもう嫌がらせはするな」
兄のその言葉に私は深くため息をついた。その態度にさらに睨みつけられたがいうべきことは言わないといけない。とても面倒だと思いながらゆったりと答える。
「……謝罪はいくらでもできますが、嫌がらせをしないという部分に関してはどうにもできません。だって、私が嫌がらせなどしていなくてもエルザ様は私がいるだけで嫌がらせだとおっしゃるのですから」
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