第4話

 五郎は物心ついた時から坑道で働いていた。

 親はいなかった、はっきりと認めた者はいなかったが売られたのだろうと五郎は思っていた。

 朝から晩まで続く重労働の中での娯楽といえば、弱い者へのいじりやかわいがりぐらいのもので、当時まだ小さかった五郎はその標的になった。

 五郎は耐えた、いつか両親が迎えに来ることを妄想して3つの冬を超え、いずれ自分の背丈が大きくなればこの苦難が終わる絵空事を描き4つの冬を超え、自分に対するこの苦境が終わることはないのだと五郎はようやく理解した。

 そして、死ぬことも殺すことも自分ではできないという絶望に沈みかけた時、マキが流星のように現れた。

 五郎の話を聞きながら、2人は五郎の家を目指していた。この町を出るための荷物をまとめなければならなかった。

「みんな殺して死刑にでもなるつもりだった。それぐらい憎い奴らだった。

 今でも死んで当然の連中だと思ってる。けど、本番になるとまるでダメだった」

「そりゃあね、あなた殺しなんてやったことないでしょ。

 特に顔見知りじゃ無理よ」

「先に自殺だって試してみたんだけどね」

「私も、死ねなかったからこんなことしてる」

 電灯もない時代であるから、足元も見えない。二人は足元を確かめながらゆっくりと歩いていた。コオロギの合唱だけが生気あるものであり、夜の不安感を紛らわせている。

 そんな暗い中でも、五郎の表情が大きく動いたことがマキにはわかった。

「なによ?」

「慰めてくれると思わなかった」

「慰めてるつもりはないわよ、みんな似たような境遇なんじゃないの。

 私もだもの。親もいなくて、物心ついた時には組の仕事をしてた。初めての仕事は組から逃げ出そうとした友達を殺すことだったしね。」

 少しの沈黙の後、マキはわざとらしく咳をした。

「で、なんで私の追っ手を撃とうと思ったわけ」

「あの時、君が死ぬことに納得がいかなかった」

「なにそれ、意味わかんない」

 ま、助かったのも事実だけど、とマキは小さく呟いた。マキはどこか境遇が自分に似ているこの男を拒否する気にはなれなかった。

 銅山の宿舎になっている長屋には誰もいない様子であった。あの騒ぎからさして時間も経過していない。警察にでも駆け込んでいるのかもしれないと判断して、二人は五郎の部屋に入り込んだ。部屋の中には布団と机以外には何もなく、殺風景な風景が広がっている。

 五郎は押し入れの中に体を突っ込むと、その中から二本の棒状のものといくつかの箱を取り出した。

「戦争でもするつもりだったの?」

 半ば呆れ気味にマキは尋ねる。五郎が取り出したのは水平2連の散弾銃と、大型ライフルであるシャープス銃であった。

「妄想の中ではいろいろ試してたんだよ。遠距離からやるとか散弾銃で確実にだとか……」

 五郎は恥ずかしそうに頬を掻き、マキは彼からそっと距離をとった。


 銃と弾薬、なけなしの金をバッグに詰め込むと、2人は駅を目指して歩き始めた。駅はこの村からかなりの距離があり、この時間から歩き始めても夜明けに間に合うかどうかといったところだった。

「そろそろ教えてくれ、君は何であいつらに追われてるんだ?

 君も組の一員なんだろ?」

「そうね」

 マキはいきなり自分の胸元に手を突っ込んだ。何事かと五郎が手で目を覆う。

「ちょっとなにしてんのさ!?」

「馬鹿、なに色気づいてるのよ」

 マキが着物の中から取り出したのは、判が押された紙の束だった。

「ヤクザにも掟はあるわ。特にウチみたいな大所帯になってくると、組合みたいに誰が何を買ったのかを証明する必要がある。

 ……これはね、うちのオヤジの印なのよ。それが土地から宝石まで好き放題使われてる」

「オヤジっていうと、一番偉い人だよな。その印も大事なものなんじゃ?」

「そういうこと。最近金庫の収支が合わないことに気が付いたの。内部者の犯行だから誰にも知らせないで独自に調査してたけど、これがよくなかった。

……先手を打たれたのよ」

 マキは忌々しげに吐き捨てた。

「この証書の隠し場所についた瞬間に襲われたわ、証拠は手に入ったけど、私がこの動きをとること自体が奴の計算のうちだった」

 マキは唇をかみしめた。その先の結果は言葉に出さなくても明白だった。

「私が横領の証拠を隠ぺいするために榊原の仲間を襲撃したことになってたわ。

 本部に戻ったら私が横領の犯人に早変わり、その場を逃げ出すしかなかった。使用者は幹部の榊原、奴にいいようにやられてこのざまよ」

「これからもう一度証拠をオヤジさんに渡しに行くんだな」

「でも、オヤジさんが納得してくれなきゃどっちにせよ死ぬ。

 それに榊原もどんどん刺客を送り込んでくるはず。まともな死に方はできない。

 やめるなら今よ」

 五郎はマキの言葉に怯むことはなかった。

「俺は一人じゃここを抜け出せない。ここにいたんじゃ死んだも同然だ。

 だから君について行って死んだとしても、俺は一切の後悔はない」

「私、このもめ事が終わった後のこと何も考えてないわ。最悪飢え死にだけど」

「一緒に逝く人がいるなら寂しくなくていいや」

「馬鹿ね、俺が何とかするぐらい言いなさいよ」

 マキは笑った。少々抜けているが、この妙な男と一緒に死ぬのも悪くないと思った。

 二人の距離が縮まったその時、何者かが走ってくる音が二人を振り向かせた。

 マキは太刀に手をかけ、五郎は銃のグリップを深く握る。

「待てって!俺だよ俺!三島だよ!」

 足音の正体は坑夫のリーダー、三島だった。


 三島は一息つくと矢継ぎ早に話し始めた。

「しかしびっくりしたぜ、あの後やくざが来てお前の場所を聞いてきたんだよ。

 昔お前がこの町を出たいって言ってたからぴんと来てさ、駅と反対方向の港に行ったって言っといたぜ」

 マキは五郎の表情が明らかに険しくなったことに気が付き、三島に口を開きかける。五郎それを手で制した。

「三島、もう行かなくちゃならないんだ」

「ちょっと待てよ、ほらこれ、持ってけ。よくわからんがあいつらと戦うんだろ?」

 三島が突き出してきたのは乾物などの保存食である。五郎の表情が歪んだことは三島にも伝わったようだった。

「なにを良い人で終わろうとしてるんだよ、三島。

 俺が落とした銃はお前らを殺すために買ったんだって、それぐらい解ってるだろ!」

 三島は明らかに狼狽えたが、それでも笑おうとする。

「何言ってんだよ?最近はお前のこといじりすぎだったかもしれないけどさ。みんなお前と仲良くなりたかったんだぜ!」

「もうやめろ!」

 三島が少し声を荒げた瞬間、一瞬で抜かれた銃が三島の鼻先に突き付けられていた。

「自覚があるなら、罪悪感を抱えて一生を生きてくれ。

 自分の中で都合よく言い訳せずに向き合えよ。謝罪なんか必要ない!」

 憎しみを滾らせた瞳に、三島は何も言うことができない。

「待てって!俺は」

 それでも釈明を続けようとした三島は、それ以上言葉を続けることができなかった。


 何かが破裂するような音がした。

 それと同時に、三島の胸から太刀が飛び出していた。


「案内ありがとうねぇ」

 地面に倒れこむ三島の背後から現れたのは、身の丈ほどの大きな太刀を携える、大きな丸眼鏡をかけた三つ編みの女だった。

「話が長くなりそうだからこの辺で終わりにして頂戴ね」


「岬先生……!」

 マキに先生と呼ばれた女は、にこりと笑う。

「あなたの討伐は榊原が強固に主張してるのよねぇ。

 悪いんだけど、ここで死んでもらうわ」

 岬は太刀にへばりついた血を振り払いながら、のんびりとした声でそう言った。

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