第3話

 酒場の中に広がるのは凄惨な光景だった。

 とある男には腕がなかった、血の海に顔をうずめて死んでいた。おある体には顔がなかった、持ち主をなくした体はそこで横たわっていた。足をなくした体、臓器がこぼれた体など、あらゆる損傷を与えられた男たちの体はそのすべてが死傷していた。

 どこかで嘔吐の声が聞こえた。

 この惨劇の中心には、数人の男と女がいた。

 女は地面に転がり浅い息を繰り返しており、一人の男がその女の腹を蹴り飛ばした。

 女がうめき声をあげて転がる。

「好き勝手やってくれたな、お前」

 女の顔に唾を吐きかけた男は女の顔を蹴り飛ばした。

 女はまだ意識があるようだが、言葉を発する余裕すらない様子である。彼女の得物だと思われる太刀は、弾き飛ばされたらしく彼女の後方で地面に突き刺さっていた。

 酒場の客は前触れもなく繰り広げられる暴力に恐怖し、誰も動くことができずにいる。

 突如起こった殺し合いにパニックになりながらも、五郎はこの光景を見て、どこか安堵を覚えていた。

 この現状はまるで自分と変わらないではないか。どれだけ現実から逃げ周り、不条理に耐えたとしても、いつかは追いつかれ蹂躙されるのだ。

 だから、俺のこのみじめな現状も自然の摂理であるのだ。嬲られる女を眺めながら、五郎は穏やかな気持ちで自身を正当化し始めていた。足蹴にされる女の前髪から覗く、爛々と光る女の目が五郎の精神を射抜くまでは。

 五郎は思わず声を漏らしていた。女は明らかに諦めていなかった。

 無様に地面を転がりながらも、男たちの寝首を掻くために歯を食いしばっている。その眼には怒り以外の一切の感情はなく、眼下の全てを打ち倒す以外の目的を持たなかった。

 諦めれば楽になる、五郎はその考えの元過酷な環境に虐げられながら生きてきた。そうでなければ心が壊れそうだった。早々に戦うことを諦め惨めに生きてきた。

 目の前の女はどうだろうか、死の淵におりながら、彼女には諦めがなかった。たった一人で、この世界に抵抗していた。彼女はまるで生を叫んでいるようだった。

 死んだように生きている自分と、死にかけながらも命の輝きを瞳に燃やす彼女。

 凍り付いた五郎の心の中で、何かが燃え上がる音がした。

 足掻いた後には希望が残っていてほしかった、そして何より、彼女の抵抗を、存在を誰かに肯定してほしかった。最後まで戦い、無意味に死ぬ。そんな結末を五郎は認められなかった。

 コルト・ポケット31口径6連発、自分の頭を打ち抜くことも、自分を虐げていた者共にも向けられることのなかった銃を五郎はホルスターの中で確かめた。

 どれだけ力を込めても抜けなかった銃は、あっさり抜けた。

「おい、お前何してんだ!」

 男の一人が五郎の銃に気が付き、銃を向ける。

 男の銃のハンマーは上がっている。五郎は銃を構えたばかり。

 二人の視線が交差した。

 男の方が有利な状況であるにも関わらず、二つの銃声はほぼ同時に鳴り響く。

 頭に赤黒い穴をあけて、地面に倒れこんだのは男一人だった。

「危ない!」

 とっさにマキの方角を向くと、いつの間にかマキを離れた城島が銃を拾い上げていた。

 マキが城島に走り寄ろうとする。その進路に刀を振りかぶった刺客が躍り出た。マキは刺客の心臓を突き刺し、太刀を乱雑に抜くがその時には城島はもう止められない。

 城島の銃のハンマーは上がっている。いつでも発砲可能な状況である。

 城島が銃を構え、五郎も銃を城嶋に向ける。店内に響いた銃声は一つだった。

 両膝をついたまま、ゆっくりと倒れこむ城島。漂う黒色火薬の煙が五郎の銃から流れ出る。

 またしても、発砲が早かったのは五郎だった。

 店内に沈黙が広がる。騒がしかった刺客達は、今は呼吸音すら発していない。

 店内の誰もが動きを止める中、初めに動き始めたのはマキだった。

 皆が固唾をのむ中、刺客たちが絶命しているかきちんと確かめ、マキはぎろりと五郎を睨めつけて彼のもとへと歩き始めた。

「に、逃げるぞ!」

「バカ野郎押すなよ!」

 五郎のテーブル近くで震えていた坑夫たちが一斉に逃げ出すと、それに続き固まっていた店内の客たちも一斉に後に続く。

 店内には死体と、男女が残るのみとなった。

 女は血まみれだったが、それはほぼ返り血だった様子で、顔は冗談のように奇麗なままであった。

「助かった、けど。あなた一体何者なの」

 形の良い太い眉を眉間に寄せながら、女は刀を構える。ホルスターに銃をしまいながら、五郎は首を振った。

「なにって……」

「どう見たってカタギの揉め事じゃないのに首突っ込む?あなた、普通じゃないと思うけど」

「疑ってるのか?」

「えぇ、敵対してる組の手先とかね」

 暫く険しい顔を保っていた女だったが、苦笑いしながら太刀を鞘に納めた。

「にしては間抜けすぎるわね。この騒ぎ、すぐに知れ渡るでしょうし」

 二人はしばし沈黙して店内を見渡した、夥しいグロテスクな死体の山と血の海が広がり、とても留まる気にはならなかった。

 二人は顔を見合わせて苦笑する。

「とりあえず出ましょうか、私は城間マキ。城間組で鉄砲玉をやってるわ」

「俺は五郎、そこの銅山で働いてる。明日からは無職のお尋ね者かな」

 マキはその言葉を聞いて吹き出した。


 夜の村を五郎とマキは歩いていた。マキは血まみれのままで歩いており、近くを通りがかった人々は彼女を見るや悲鳴を上げて逃げて行く。どうやら幽霊か何かだと思われている様子であった。近くの建物からはお経が聞こえてくる。

「あなた、これからどうするつもり」

 マキが尋ねると五郎は不思議そうに首をひねった。

「君と一緒に行くけど」

 マキはため息をついた。五郎が刺客達の始末に一役買ったことはその場にいた客たちからとっくに広まっていると思われる。どちらにしても組からの刺客が差し向けられるだろうと予測できた。ならば彼女としても責任を取って彼を守らなければならなかった。

「なんで私なんかを助けるかなぁ……。言っておくけど、たぶん一緒に行っても死ぬわよ」

「いいよ、生きてたってしょうがない」

「自殺願望で私を助けたわけか」

 呆れたように笑うマキに五郎はむっとしてマキに顔を近づける。

「そんなんじゃない、俺は君に惚れた」

「ほほほ惚れたぁ!?」

 マキは目を丸くして顔を真っ赤にしていた。五郎はとんでもない勘違いに気づくと同じく顔を赤くして慌てて弁解を始める。

「ほ、惚れたって言うのは……そう!生き様のことだから!

 ほら、俺たち初対面だし!」

「そ、そうよね!ハハハ……」

 小難しい言い方やめてよね!と口を尖らせたマキにぺこぺこと頭を下げる五郎は、先ほどの銃を自在に操る男と同一人物であるようには見えない。マキは目の前の奇妙な男に対して、山のように疑問が浮かんでいた。

「銃はどこで覚えたの」

「独学で。ひどい虐めがあって、相手を殺す気だった。

 いざとなると銃は抜けなかった」

 マキは五郎の死への渇望の訳を読み取り、空を見上げた。

 田舎にはガス灯も通ってはいない、どこまでも黒い夜の闇にまばらな星がちらちらと輝いている。小さな希望を手繰り寄せて生きている自分とこの空はよく似ているのかもしれない。マキはため息をつく。

 この得体のしれない男と死ぬのも悪くはないかもしれない、少なくとも寂しくはない。それだけでも幾分か幸せであるようにマキは感じた。

「……わかったわよ、連れていけばいいんでしょ。

 言っとくけど片道切符だからね。これは私の無駄な悪あがきなんだから」

「終着駅まで2人で行こう」

 マキは眉間を抑えてあきれ返った。

「はぁ、クサいこと言っちゃって。何言っても無駄そうね。

 今から出発するわよ。まずはあなたの支度からしないと。

 それに、あなたのことを聞かせてよ。どうして五郎なのかとか。兄弟がいて?」

 五郎はその言葉に気まずそうな顔をした。

「わからないんだ。物心付いた時には坑道で仕事してた、売られたんだと思う」

「明るい話が聞けるといいんだけど」

 ぼやきながら2人は店を後にする、夜は始まったばかりだった。

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