桐菜の仕事
殊に、動揺した時の豹変ぶりは目に余るものがあり、「みょわあああん」「ぎいやああああ」など、謎の奇声を上げては侍女たちを驚かせている。しかも、割と頻繁に。
赤子ではないのだから、鳴き声ではなく言葉で意思疎通を図って欲しい。
侍女になりたての頃、そう思ってそれをそのまま言葉にして涼葉に伝えたところ、涼葉はびっくりしたような顔で桐菜をまじまじと見つめ、何故か「ありがとう」と嬉しそうに言った。
新入りの分際で上様にあのような口をきくのはあまりに不躾だと、後から先輩の侍女にこっぴどく怒られた桐菜だったが、それ以降、涼葉は何かと桐菜を頼るようになっていった。
曰く、「私のような半端者には、そばにいて叱ってくれる人が必要なの」だそうだ。
「みな私に遠慮して、優しくしてくれるでしょう? 私が姫帝に即位してからは、より一層敬ってくれている。それはありがたいのだけれど、桐菜みたいに臆せず諫言してくれる人も、すごく大切だと思うのよね」
桐菜が重用されるようになったことを好ましく思わない侍女たちは、初めこそ何とかして桐菜を陥れようと躍起になっていたが、彼女たちの企みはそのほとんどが失敗に終わった。
涼葉の元に参じる直前に水を浴びせられた時は、そのまま着替えもせずに開き直って、堂々と涼葉の前に現れた。当然、涼葉に事情を問われたので、正直に事の次第を報告したところ、次の日には犯人の侍女たちは内裏を追放されるという憂き目に遭った。
また、桐菜の居ない隙に、侍女たちが結託して桐菜の仕事ぶりや性格などについてあることないことを涼葉に吹き込んだ時は、いち早くそれを察知して、予め弁明の準備をしておいた。幸いなことに涼葉は桐菜に直接話の真偽を問う機会を設けてくれたため、正直にかつ理路整然と証言したところ、犯人の侍女たちはやはり内裏を追われた。
畏れ多くも姫帝にお仕えする身でありながら、良からぬ事を企むような不出来な者は、桐菜の立ち回りによって片っ端から蹴落とされていった。
そうしていつしか桐菜は涼葉の側近のような立場にまで上り詰めていた。
別に、出世したくてやったのではない。
侍女たるもの主人に対しては誠実であるべきだし、そうでない者は侍女として似つかわしくない。そう考えて行動した結果、たまたま涼葉が桐菜に信頼を寄せてくれた。それだけのことだ。
……出世したのは素直に喜ばしいことではあるが。
桐菜は今の己の仕事をかなり気に入っている。
さて、桐菜が毎日誠意を持ってお仕えしているにも関わらず、涼葉が奇声を上げる癖はあまり直っていなかった。
この頃は、動揺している涼葉を叱咤激励しても大した効果を得られない事が分かってきたので、桐菜も対応の方針を変更している。
まずは「如何なさいましたか」と尋ね、丁寧に事情を聞き出した方が、涼葉が落ち着くのが早いのである。
御乱心は、もう仕方がない。涼葉の本来の性質もあるだろうし、そうでなくても涼葉は毎日とんでもない重責を負わされているのだ。しっかりするように言い聞かせることで、涼葉を余計に追い詰めてしまうようではいけない。それよりも、きちんと弱音を吐ける場所を用意しておく方が、心身のためにも良い事だろう。
「それでね、兄上ったら、御自分が
早めに朝議を切り上げた涼葉は、昼間の居室である
「これでは私が、兄上の手柄を横取りすることになってしまうわ。ひどいと思わない?」
「ひどいかどうかは分かりかねますが、心中お察し致します」
「ありがとう。もうね、兄上は全然譲って下さらないし、家臣たちは私の顔を立てるか兄上の顔を立てるかで意見が分かれて不毛な言い争いを始めるし、時間の無駄だと思ったからさっさと切り上げてしまったわ。明日また同じことを話し合うのかと思うと頭が痛いわね。こんなことで着工を遅らせたら本末転倒でしょう?」
「仰る通りです」
「だから今から、兄上を言い包める方法を考えたいと思うの」
「それは難しいのではないでしょうか」
「そう?」
思ったことを迷わず口にした桐菜を、涼葉は首を傾げて見る。桐菜は頷いた。
「はい。春哉様は口がお上手でいらっしゃいます。涼葉様の方が言い包められてしまわれる可能性は高いかと」
「……それもそうねえ」
うーん、と涼葉は悩ましげな表情になった。
「でも私が兄上にまさっているところなんて、霊力と権力くらいのものだわ。でも、権力を使って乱暴に話を進めるのは良くないわよね」
ふむ、と桐菜は考えを巡らせた。
「……権力と話し合いの中間辺りを狙うのは如何でしょう」
「うん? どういう事?」
「実家の者からの受け売りでございますが、人は二つの選択肢を突きつけられた場合、新たな選択肢を持ち出したり提案を拒否したりするよりも、二つのうちどちらかを選ぶ傾向にあるそうです」
「へえ、そうなのね」
「はい。ここは涼葉様のお力で、こちらに都合の良い選択肢を二つ用意なさって、春哉様にそのどちらかを選んで頂く、という形になさいませんか?」
「……それはつまり、例えば『兄上の名義で神社を建立する』か『兄上と私の連名で神社を建立する』か、どちらにするかを兄上に決めて頂くという事かしら」
「はい」
桐菜は首肯した。
たまに情けないところもある主人だが、為政者として相応しいだけの聡明さがある。
「良いわね、それ。兄上のことだから油断はできないけれど、やってみる価値はあるわ。ありがとう、桐菜」
「勿体無いお言葉にございます」
さて、そうこうする内に昼餉の時間になった。侍女たちは交代制で食事を摂り、常に誰かが涼葉の世話をするように図らう必要がある。
桐菜は一旦、他の侍女に涼葉を任せ、退席させてもらった。
「……」
涼葉によく頼ってもらえているのは、悪い気はしない。
この国は決して女性に優しい国ではない。帝室の者に限り、女性が一族の当主となる可能性があるのだが、貴族はそうではない。
朝議に参加できるような偉い立場の人間には、女性は一人もいない。
如何に優秀な能力を持っていようとも、女性として生まれてしまったからには、それを活かす機会は与えられない。
だが侍女は別だ。
女性でも、この国の最高権力者を支える事ができる仕事。自分の能力を世のため人のために使える希少な職。
これからも気を抜くことなく、強かに、そつなく行動して、自分なりの形でこの国の民に貢献したい。よくボロを出してしまうものの、心優しく優秀な主人を、しっかり支え励ます事のできる存在でありたい。
桐菜は己の仕事に誇りを持っている。
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