綺麗な君は今夜、私の首を絞める

深茜 了

綺麗な君は今夜、私の首を絞める

流果るかと私が出会ったのは、夜のネオン輝く繁華街のホストクラブだった。


別に私が好きで足を運んだわけじゃない。私はホストクラブにこれっぽちも興味が無かったのだけれど、友人にどうしても一緒に行ってくれとせがまれたのだ。


その店で指名ナンバー1の流果るかがたまたま空いていたのは本当に偶然だった。どうせナンバー1が指名出来るならと彼を指名した。


やってきた彼は目を見張るほど綺麗な男だった。

年齢は二十六歳の私より少し下くらい。

パーマがかかった黒い髪に、肌はそれと対照的に白く肌理きめ細かい。

女性のような切れ長の艶っぽい目に、通った鼻筋、唇は薄かった。

彼は間違いなく輝いていたし、他のスタッフとは違うオーラを纏っていた。


予想以上の美青年の登場にもちろん私は緊張したけど、昔から感情が表に出づらい性格だったので、ある程度冷静な様子で彼との会話を楽しめたと思う。



ホストと客。一晩限りの交流。そうなるはずだったけど、流果は私に個人的な関係を求めてきた。私は特に美人ではなかったし、どちらかといえば地味な方なので彼の要求にいささか驚いた。


個人的な関係といっても、付き合っているわけではない。流果の気の向いた時に私の家にやってきて体を重ねるだけ。

きっと彼は常連客の女性とも付き合いがあるんだろうし、聞くことはしなかったけど、私と同じような関係の女性が他にも居るような気がしていた。流果との関係はとても褒められたものとは言えなかったけど、そんな風に扱われたって、この透き通った美の化身のような彼と共に過ごせる誘惑に勝つことは出来なかったのだ。



その日、流果が家に来ると連絡があった。

彼はいつも夜の早い時間にやって来て、私が用意した夕食を食べて、その後一緒に寝る。そして夜が明けると帰る。それがおきまりの流れだった。

来るのは決まって彼が休みの日だった。これで6回目くらいの来訪だろうか。玄関口に現れた彼は革素材のジャケットに細身のパンツを穿いていて、休日といえど身なりに隙はなかった。


「チサ、今日もお仕事お疲れさま。二人分のお酒買ってきたよ」


チサというのは私の本名だけど、どんな字を書くのか彼は知らない。私だって彼の流果という源氏名しか知らず、本名は分からなかった。


今日の流果はいつもと少し違っていた。お酒を普段よりも多く飲んで、珍しく酔いが回っているようだった。


「チサはさ、良いよね。何かさっぱりしてて、女々しい感じがしない」

夕食の片付けが終わって二人でベッドに横になっていると、仰向けの流果がそうこぼした。いつもならベッドに入るとすぐ事に及ぶのに、今日はまだその気配が無い。

「それが私に近付いた理由?」

同じく天井の方を向きながら聞き返した。

「そうだね。それもあるし、何となく心地が良いと思った」

「それはどうも」

クールに返してみたけれど、頭の中でこれは喜んでいいのだろうかと考えている自分がいた。


「ホストの連中ってさ、男だけどやっぱり嫉妬する奴らもいて、俺が1位だからっていちいち噛み付いてくるの。なるべく相手にしないようにしてたけど、少し疲れてきちゃったな」

昔、何かの話で、多くを得る者はその分多くを失うと聞いたことがある。流果もナンバー1という栄光の裏で様々な鬱憤を抱えているのかもしれなかった。

「昨日なんか、俺の客を取ったとかなんとか言って、胸ぐら掴んできた先輩がいてさ。お客さんが勝手に指名してきただけなんだから、知らないよ」

流果は笑いながら話していたが、勿論ちっとも楽しそうではなかった。くだんの同僚への嘲りが顔に貼り付いていた。


私には理解出来ないし、深く関わりたくない世界だなと考えていると、流果が私の方へ寝返りを打った。そして愛を囁くかのような声で、こう言った。


「ねえ、チサ。チサの首絞めていい?」

「え?」


私が返事をする前に、流果は起き上がって私に馬乗りになった。そのまま流れるように両手を私の首に掛ける。いつもは黒い宝石のように潤んでいる彼の瞳を見たが、今は外側からの干渉も、自分自身の感情さえもシャットアウトするかのように光が感じられない。そして私がそれを呆然と捉えているうちに、流果の両手に思いっきり力が込められた。


思っていたよりも暴力的な力だった。華奢な彼にこんな力があったのかと驚かされる程私の首はきつく圧迫されていた。


苦しいのは当たり前だから、おそらく私は顔を歪めていた。このままの力で絞め続けられたら死んでしまうかもしれない。


けれど肉体の苦しみと死への焦燥感を感じながらも、私は意識の片隅で彼に殺されるならそれでもいいかもしれないと思った。彼が私を殺せば、私は彼の一部になれる。彼の人生の一部になれる。この美しさを散りばめたような青年の一部に。そんな最期だっていいかもしれなかった。


しかしそんな私の望みも虚しく、意識を手放す前に彼の手はぱっとほどかれた。

私は盛大にむせて咳き込む。気持ちとは裏腹に涙が大量に流れてきた。


「ごめん、やりすぎたね、こんなにするつもり無かったんだよ。ほんとごめん」


流果はそう言って私の背中をさすってくれた。けれどそんな彼の方が咳き込んでいる私よりも辛そうだった。


多分彼はもう限界まできていたのだ。

仕事中の大量の飲酒に、昼と夜が逆になった生活。客である立場を利用して横暴に振舞う女と、人気になるほどにどうしても生まれる同僚とのしがらみ。

様々なものが、華やかに見える生活のその裏で彼を蝕んでいた。



「あのまま殺してもよかったのに」


私が落ち着くと、再び並んで天井を見ながら私はこぼした。流果は私をちらりと見て笑った。

「さすがに殺人はまずいって。本当に殺すつもりなんて全然無かったよ」

そこで流果はでも、と言葉を続けた。

「でもね、殺した。自分の中では」

「私を?」

「ううん。チサじゃなくて、今一番目障りな奴らを三人。チサの首を絞めながら」

「どうせ殺すなら私を殺してよ」

そう言うと、隣から「ははっ」と楽しそうな声が聞こえてきた。

「チサはやっぱり、違うね。他の人間と。一緒に居てイライラしない」


そして私達は眠った。何もしないでただ眠ったのは、初めてだった。



 香ばしいようなくすんだような臭いを感じて目を覚ますと、既に流果が起きていて、ベッドに腰掛けて煙草を吸っていた。時間を見ると、まだ朝の7時だった。


「おはよう、随分早いわね」

背中に向かって声を掛けると、彼は振り向いておはよう、と笑った。

「今起きたの?」

「ううん、三十分くらい前。ぼーっとしてた」

そして彼はやや虚ろとも言える視線で煙草の煙を追った。

「・・・俺、ホスト辞めようと思う」

「・・・・・・」

私はそう、とも、勿体無い、とも言わなかった。むしろ後者のような言葉は、昨日の流果の暴走を見たあとに言える訳がなかった。


「チサと会うのも、これで最後にしようと思う」

「・・・流果がそうしたいなら、それでいいんじゃないかしら」

私は持ち前の落ち着きを発揮してそう答えた。本当は引き止めたい気持ちだってあったけど、私達の関係はきっとどう転がったって今以上にはならない。いつか清算しなければならない時が来るのだろう。それが早いか遅いかの問題だ。このタイミングがきっと潮時だった。


「そろそろ行こうかな」

流果がベッドから立ち上がって支度をする。私も私で、軽く身だしなみを整えた。

玄関へ向かう彼をいつも通り見送る。流果が靴を履いて、とんとん、とつま先を打ちつけた。

そして家の扉を開ける。流果は澄んだ顔で私を振り返り、「じゃ」と言った。私も「ええ」と返事をする。いつもと何ら変わらない別れの挨拶だった。

そして彼が後ろ姿を見せ、それが扉でどんどん見えなくなる。朝の光も思いの外似合っていた。これからは太陽の下で生きていくのだろうか。

私が心の中で「さようなら」と言うと同時に扉が完全に閉まった。その扉を見つめる私の耳には、彼が立ち去っていく足音だけが聞こえていた。


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