三十一話 『恋』

一生冷めない恋だと思ってた。ずっとこのままの関係が続くと思っていた。最初は別に良かった。あの複雑な関係を進めても別に構わなかったし、むしろ進んで欲しいと思ったくらいだ。



でも今は違う。『松崎透』という男に冷めてしまった。成宮茜は二人目の女なんかになりたくない。



透のことが好きだった。それはもう狂おしいほどに。だからこそ、こんな結末を迎えるなんて想像できなかった。

最初の頃は、二番目の女だろうがなんだろうが別に良かった。



ただ、透が傍にいてさえくれればそれで良いと本気で思っていた。でも、違う。こんなの茜の望んでいた光景じゃない。



透に決断を促せば良かった。そしたらまだこっちに振り向いてくれたかもしれないのに。茜自ら『負けヒロイン』になってしまった。



「もういいよ……あんな男くれてやる」



あんな優柔不断で中途半端な男なんて、もう要らない。あんなに好きだったのに。カナ相手なら別にそれでも良かった……とそう思ったのに。



茜はカナのことを無意識に見下してたのだ。透はきっと自分に惚れているはずだと。そう思い込んで、自分が選ばれることを信じて疑わなかった。



そんな慢心が駄目だった。自業自得だ。結局、奪われた。茜が最初リードしているように見えていたが、実はそうじゃなかった。カナの方が上手だった。それだけの話だ。



透が茜ではなくカナを選んだ。ただ、それだけの話であり、それが事実なのだ。

茜は今更になってやっとその現実を受け入れ始めた。



そして同時に、後悔した。もっと早く気付いていれば、こんなことにはならなかったのに。

もう遅い。取り返しはつかない。



「カナちゃんと顔合わせたくないなぁ」



カナは自分のところの生徒であり、茜の教え子でもある。それは透から頼まれたことであり、茜も了承したし、その約束だけは守らなければならないと思っている。



「……私って最低だよねぇ」



茜は自嘲気味に呟きながら、家に帰ろうとしていると。



「あの……落ちましたよ」



不意に声をかけられた。振り返るとそこには男がいた。声をかけてきた男は少し見上げるほどの長身で、かなり細身である。そして何より目を引いたのはその容姿であった。




黒髪に黒い瞳、白い肌、中性的な顔立ちをしており、まるで人形のような印象を受ける。



「あ!ごめんなさい!」



慌てて謝りつつ、茜は差し出されたハンカチを受け取ると、彼は言った。



「………大丈夫ですか?泣いてますけど

……」



言われてから気づいた。確かに涙が出ている。泣きながら歩いていたのだ。最悪だ。恥ずかしいところを見られてしまった。茜の顔がみるみるうちに赤くなり、



「ご、ごめんなさい……!拾ってくださってありがとうございます……!えっと、じゃあ私はこれで……」



茜は逃げるようにしてその場を去ろうとしたのだが。



「待ってください」



彼に呼び止められる。まだ何かあるのかと思い、茜は恐る恐る振り向くと。



「……ちょっとお話しませんか?」



「……え?」




△▼△▼




茜は見知らぬ男性に連れられ、近くの喫茶店に来ていた。店内にはクラシック音楽が流れていて、コーヒーの良い香りが漂っている。落ち着いた雰囲気のお店らしい。



本来なら初対面の男性と何処かになんて絶対に行かない。ましてや二人きりなど論外だ。だがあのときの茜はそんなことを考える余裕もなく、ほいほいと来てしまった。



今更になっての後悔も、もう遅い。

茜は目の前にいる男性を見る。彼はコーヒーを飲みながら、じっとこちらを見ている。正直言ってかなり気不味い。一体何故こんな状況になっているのだろうか。



「……落ち着きました?」



不意に、彼が口を開いた。低く、安心感のある声で、聞いていて心地良い声だった。茜は一瞬呆けていたが、すぐに我に帰ると、



「あっ、はい……なんとか……ええっと……」



「あ、自己紹介がまだでしたね。僕の名前は高宮奏太です。あなたは?」



奏太と名乗った青年は優しく微笑む。茜もつられて名乗った。



「わっ私は……な、成宮茜といいます」



「成宮さん……ですか。……初対面なのに突然誘ったりしてすみませんでした。でも……泣いている女性を放り出すわけにもいかなかったので……その迷惑でしたか?」



「い、いえ……全然迷惑なんかじゃないですよ!むしろこっちこそ助けていただいて本当に感謝しています……」



「それは良かったです」



そう言って笑う顔が美しくて。また見惚れてしまう。



「(恋だなんて……もううんざりしてたのに……)」



だと言うのに、この人から目が離せない。だから……



「連絡先、交換しませんか?今度お礼させてください」



「え?お礼だなんて……そんなの気にしないで下さい」



「そういう訳にはいきませんよ……!てゆうか、それだと私の気が収まりません」



茜は半ば強引に、そう言うと奏太は――。



「わかりました……」



「はい」



この人を逃してはならないと。茜は直感的にそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る