三十話 『依存』

――二人分の愛を受け止められる器になりなさい、カナの父親である石田京介に言われた。二人分ということは即ち、透に浮気をしろ……とそう暗示していた。



そしてそれは二人も受け入れた。つまり、覚悟が決まっていないのは透だけということになる。



だって、そんなのあんまりじゃないか。透には一人しかない。二人分の愛を受け止める覚悟もなければ器もない。なのに、それじゃあ、あまりにも酷過ぎるではないか。



だというのに。



「その気がないんだったら今ここで私を突き放して。中途半端な優しさで期待持たせるくらいなら、いっそ私のことなんか忘れてよ」



カナの言葉は脳裏の奥まで響く。突き放すことは出来ない。だが、受け止めることも出来ない。器なんてないんだから。



でも、ここで突き放さないといけない。でないと、彼女はきっと傷つくだろうし、自分も苦しむことになるだろう。それだけは絶対に避けたい。だから、早く言わないと。



でも、言葉が出ない。とんだ卑怯者だ。



「透さんって本当優柔不断。そういうところが好きなんだけど」



『お兄ちゃん』呼びからの『透さん』呼びも。この複雑すぎる関係も。全部透を置いてけぼりにされて話が進んだ。



でも、今は違う。今はこんな関係止めるべき、なんだ。だというのに。



「………あれ」



拒絶の言葉は出てこなかった。いや、出せないのか? 分からない。

嫌だ。離れたくない。このまま一緒にいたい。ずっとこうやって過ごしてきたい。



反対の言葉ばかり思い浮かべてしまう。自分の心が恨めしい。



「好きになったの?私のこと」



不意に耳元で囁かれるカナの声。ゾクッとした感覚が背筋を走る。違う……と拒絶できないのは、心のどこかでカナのことを、好きだと思っている自分がいるからなのか。

しかし、カナの言葉を否定することは出来なかった。



「ねぇ、答えて?」



再度囁かれる声。甘美な誘惑に頭がクラクラする。まるで媚薬でも飲まされたかのような気分だ。



誘惑に負けそうになる。『好きだ』とそう言ってしまったらもう引き返せない。否、そもそも引き返す道も残されていない。



「………言わないのならもういいよ。……無理矢理襲うから」



脅迫じみた口調と共に背中越しに伝わる柔らかさと温もり。後ろから抱きつかれているのだ。それも、かなり強く。

逃げられない。どうしようもないほどに強い力で抱きしめられている。



「茜さんも薄情だよね?この関係認め

て付き合ったのに、冷めたーって言って別れるとかさ……だから、透さんの隣にはもう茜さんはいないんだよ。透さんは捨てられたんだよ?茜さんに」



冷酷で残酷な事実を突きつけられる。分かっていたことだけど、改めて言われると結構キツかったりするものだ。先までは現実逃避していたというのに。


「だからさぁ……」



カナが耳元で囁く。



「もう私しか見てないよね?透さんのこと好きな女の子は他にいないもんね?だったらもういいじゃん。他の女なんか見なくていいじゃん。私だけを見てればいいじゃん」



洗脳。そんな単語が頭に浮かぶ。もしそうだとしても仕方がない。それほどまでにカナの言葉は魅力的で、抗えないものだったから。



妹のようにしか見ていなかったカナ。そのはずなのにいつの間にか……。



「ねぇ、透さん……愛してるよ?」



溺れてゆく。どんどん深く沈んでゆく。底無し沼に嵌まったかのように抜け出せなくなってゆき、もう二度と戻れない。



カナが自分に依存していたみたいに自分もカナに依存してしまった。依存していたからこそ、今こうしてここにいるんだと思う。



堕ちてしまった。もう後戻りはできない。

堕ちた先にあるものは何か。それは分からないけど、少なくとも今の自分は幸せだと思う。だから……



「俺も……愛してる」



そう言いながら透はカナの唇にキスをした――。

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