十四話

 怯えた顔で老人を見上げるリンゼーに寄り添ってやりたいが、今はそれも叶わない。ヒューは執り行われようとしている呪いの儀式とやらを黙って眺めるしかなかった。


 老人は祭壇の前に立つと、そこに置かれた瓶の中の液体を祭壇の上に撒き始める。


「……これで祭壇は清められ、願いは精霊に通ずるだろう。では次は、あなたの声で、あなたが呪いたい相手を伝えるのだ」


 そう言われた女性は老人と入れ替わるように祭壇の前に立った。


「フィッチ・レノクス……見ているだけで苛立たせる、あの目障りな男を、這い上がれないほどの奈落へ突き落として」


「精霊に、どのような呪いを望むのか、伝えよ」


「あの男は、私の事業を横取りし、潰そうと企んでいるわ。目を付けていた工場や土地をこれ見よがしに買い漁って大きな顔を見せている。不愉快極まりない……だから、あの男の会社を破綻させて。私に二度と笑顔を見せられなくなるよう、再起不能なまでに潰して!」


 ヒューは恐ろしさと共に、人の醜さも感じながら女性を見ていた。どうやら事業家である女性は、そのライバル会社の男性を邪魔に思い、呪いで蹴落とすつもりのようだ。自分の力ではどうにもできず、この儀式に頼ったということだろうか。しかしこんな得体の知れないものに頼るなど、女性の怒りや恨みに正気は残っているのか疑いたくなってくる。


「望みはすべて伝わった。あとは精霊をこちら側に招くだけだ……」


 そう言うと老人は後ろに控える四人に目で合図を送った。それを受けて二人ずつに分かれると、ヒューとリンゼーに歩み寄って行く。


「なっ……何……」


 リンゼーが動揺し始める。隣にいるヒューも身を強張らせ警戒する。どうする気なのか。


「先生、私、血というものが苦手で、以前の儀式で使った山羊でも耐えられなくて……」


 女性は振り返ると、いかにも困ったふうに老人に言った。それに老人は微笑を浮かべて答える。


「あなたはこちらを見る必要はない。祭壇へ祈りを捧げ続けていればいい。ただ臭いは我慢してもらうしかないが」


「そうですか……では祈りに集中しておきましょう」


 向き直った女性は祭壇へ向かって手を組み合わせると、目を瞑り祈り始める。


「……それでは皆の者、生け贄の首を切り、その血を捧げよ」


 この号令にローブ姿の四人が動き出す。生け贄――それが自分達であることをまさにこの瞬間に気付いたヒューは、さらわれ、ここに連れて来られた理由をようやく知った。祈っている女性は、もう何日も前からこの儀式を予定していたのだろう。そこで使う生け贄を必要とし、雇われた目付きの悪い男がリンゼーを誘拐。それをたまたま目撃してしまったヒューも、証拠隠滅として一緒に監禁されることになった。一週間も待たされたのは、儀式の予定日が決まっていたからだろう。女性の私利私欲のために、自分達はさらわれて、殺されようとしている――こんな理不尽なことはない。


「いやっ! 来ないで!」


 リンゼーもそれに気付き、半ば混乱したように身体を振り、叫び声を上げる。それを見下ろしながら黒いローブの一人が近付こうとしている。主が、守らなければいけない主が殺されてしまう。だが身を挺したくても、鎖とロープで動けないヒューには成す術がなかった。


「リンゼーに触れるな! 殺すなら僕だけにしてくれ!」


 自分の命で主が助かるのなら、ヒューは喜んで差し出したかった。けれどそんな願いを聞いてくれる気配はない。ヒューにも一人が近付いて来て、目の前で膝を付くと、その手を伸ばしてくる。触れたら、終わる。リンゼーには諦めるなと励ましの言葉を言ったが、もうこれ以上先に希望は見えなかった。心の中でリンゼーに詫び、そして底のない悔しさを噛み締めながら、ヒューは不本意な覚悟を決める――が、その直後だった。


「え? な、何? 何なのあなた達は!」


 突然女性の驚いた声が上がり、ヒューは祭壇のほうへ頭を巡らせる。そこにあったのは、自分達を殺すと思っていた黒いローブの二人が、女性の両脇をつかみ、拘束している光景だった。なぜ儀式の主役を、それを手伝う人間が止めているのか、ヒューには不思議に思えるだけだった。


 だが不思議なことはさらに続く。女性に気を取られた隙にヒューの足はつかまれ、その焦りで足をばたつかせようとしたヒューに、ローブ姿の相手が初めて口を開いた。


「暴れないで。助けるから」


 優しい男性の口調に、ヒューは瞬時に動きを止めた。これはどういうことなのか? 戸惑っているうちに男性は懐から小型のナイフを取り出すと、その切っ先をヒューの足へ向けた。一瞬足を切られると思ったヒューだが、そうではなかった。ナイフは足にはめられた鉄の輪の鍵穴に差し込まれ、そこをガチャガチャと回し始めた。すると間もなく輪は外れ、足は鎖からあっさり解放された。それに続き、男性は縛られた手のロープも切り、ヒューはどういうわけか自由を取り戻すことができた。


「……もう大丈夫だ」


 目深にかぶったフードを少しずらすと、男性はヒューへ笑顔を向けた。見たことのない顔……だが、生け贄に子供を殺すような顔には見えなかった。


「ヒュー!」


 呼ばれて振り向いたと同時に、リンゼーはヒューに抱き付いた。


「……リンゼー、あなたも、助けられたんですね」


「怖かった……」


 ヒューを抱き締める腕はその言葉通り、小刻みに震えていた。殺される寸前だったのだ。一体どれほどの恐怖を感じていたか。しかし結局ローブの四人にその意思はなかったようだが。だとしたらこの者達は何者なのだろうか。ヒューはそれを聞こうとしたが、それをさえぎるように女性の大声が響いてきた。


「先生! 一体どういうことなの? まさかこれも儀式だなんて言うの?」


 両脇をつかまれたまま振り向かされた女性は、その正面に立つ老人に聞く。しかしこれに答えたのはリンゼーを助けたローブの人物だった。


「くだらない遊びはここまでよ。誘拐、及び殺人未遂で、あなたを逮捕します」


「なっ……何の権限で、そんなことを――」


「私達は警察です。ここまでやって、言い逃れはできないわよ」


 フードを下ろし、ローブの胸元を開けると、その下には警官の制服が見えた。それを見て捕まった女性は絶句する。


「……そ、んな……」


「連れて行きなさい」


 指示を受け、女性はローブ姿の警官に連れ出されて行く。


「……私を、騙したわね!」


 すれ違う老人へ女性は怒りの言葉と眼差しを向けたが、老人は冷静に見送るだけだった。


「さあ、君達も行こう。怪我はないね」


 残りの警官に連れられ、ヒューとリンゼーも部屋を出て明るい地上へと戻った。そこには何人もの警官達が集まり、せわしなく動き回っている光景があった。


「何だよ! だから俺は雇われただけで――」


 連れて行かれながら大声を上げていたのは、二人を誘拐した目付きの悪い男だった。見逃さず捕まえてくれたことに、ヒューは胸を撫で下ろすのだった。あの男には十分反省をしてもらわなければ困る。


「辛い思いをして疲れてるだろうけど、少しお話を聞かせてほしいんだ。まずは君から……」


 そう言って警官はリンゼーに話を聞き始めた。それを眺めていたヒューだったが、そこへ老人がやって来るとおもむろに話しかけてきた。


「怖がらせて悪かったね」


 まだ黒いローブは着ていたが、フードは下ろされており、表情と共に白い口ひげと揃いの真っ白な頭まで見えていた。


「あなたは警官なんですか?」


 聞くと老人は笑顔で首を横に振った。


「いいや。わしは魔術師をしていてな。警察に協力をしただけだ」


「協力……だから儀式をするふりをしてたんですね」


「あの女が君ら二人に危害を加えることを承認するか、それを聞いておく必要があってな。ふりとは言え、怖がらせてしまったことは謝らなければならない」


「いえ、僕達は助けられて、悪い人達は捕まったんです。こっちこそお礼を言わせてください。ありがとうございます」


 礼儀正しく礼を述べるヒューを、老人はなぜか興味深そうに見つめていた。


「……あの、どうか、しましたか?」


 あまりに注がれる視線にヒューは戸惑い、思わず聞いた。


「ふむ……君は一見、普通の子供のように見えるが、そうではなさそうだな」


「え……?」


 どういう意味なのかわからず、老人を見つめ返していると、警官の声が呼んだ。


「次、君のお話を聞かせてくれるかい?」


 ヒューがどうしようかと迷いを見せていると、老人は笑って言った。


「呼ばれているぞ。行きなさい」


「は、はい……」


 促され、仕方なくヒューは警官の元へ向かう。話を聞かれている間も、ヒューの頭には老人の発した言葉が何となく引っ掛かり続けていた。そんな姿を老人は尚も関心の目で見つめるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る