第十五話:セーラー服と日本刀⑥
雨が降っていた。
気がつくと、飛鳥は空を見上げていた。遠のいていた意識が徐々に戻ってくる。少年は、まだぼんやりとしたまま、
(あれ……? ぼくは何をしていたんだっけ……?)
ぽーんと空中に身を投げ出されていた。ちょうど雷門の大提灯を飛び越えるくらいの高さにまで、細切れになった原付の部品といっしょに宙を飛んでいた。彼の顔の横を、愛犬のタロや、タイヤがくるくると舞っている。身体が痛い。
(ぼくは……)
確か……。
そう。
おっかない人たちがたくさん追いかけてきて、
(目の前にお寺があって……)
そこに大きな男が立っていて、そのお寺の向こうから巨大な顔が……。
胸が痛む。
そう。
舞さんの運転する原付バイクが
(トラックが)
目の前の男に突っ込んで行って、
(事故だったんだ)
そのままぼくは……。
「わわっ……!?」
思考の時間は、空中浮遊はそれほど長い時間ではなかった。断片的に浮かんだ景色は、ジグソーパズルのようにバラバラになって心の奥深くに沈んで行く。不意に重力に襟首を掴まれ、頭から急降下していく。ぼんやりしていた頭を横殴りされたかのように、恐怖心を乱暴に叩き起こされた。ぞわり、と内臓が浮くような感覚。逆さまに落ちていく視界の中で、その中で、飛鳥は目を見張った。
舞と大男……
正面衝突だったにもかかわらず、二人ともその表情から変化は窺えない。いや、正確には
ぎぃん、
ぎぃん、
と刀が擦れ合う音がして、篠突く雨の中に紫色の火花が走った。視界の端では、蛇のようにしなる遠雷に襲われた参加者たちが、車を捨てて逃げ惑っている。騒がしくなって来た。武装観音の足元で、大提灯の下で、真剣勝負が始まった。
「いてっ!」
どしゃっ、と鈍い音を立て、飛鳥が地面に投げ出される頃には、舞と男はもう二度剣を交えていた。飛鳥の頭に、タロや、クラッチが降ってきた。いや、今はそれどころではない。飛鳥は痛みも忘れて息を飲んだ。舞と蒐集家の戦いから目が離せなかった。
「ラァッ!!」
舞が気合を吐き出した。八重歯を剥き出しにして、激情を迸らせ刀を振るう舞に対し、蒐集家は黙ったままだ。能面を被っているせいもあり、落ち着いていて冷静沈着のように見える。男が手にしているのは通称
『雷切』
と呼ばれる刀である。柄に鳥の飾りがあったことから、元々は
『千鳥』
と呼ばれていた。元々太刀を磨りあげて脇差にしているので、長さは58.5cmとそれほど長くない。九州の猛将・立花道雪が夕立に遭った際、雷の中にいた雷神を斬り捨てたという逸話が残っている。現在は川下りや鰻で有名な福岡県は柳川市・立花家史料館に所蔵されており、実際に見ることができる。筆者も一度見学に行った。なるほど、「それほど長くないなあ」と思ったものである。
そんな『雷切』であるから、長さ的には、舞の無銘の脇差と大差はない。しかし二人の体格差、腕の
だが、ここで下がらないのが舞の
持ち前の小柄な体格と速度を生かして、半ば強引に膝下へと踏み込む。今までの戦いでは、これが良く効いた。下手すれば己が致命傷を負いかねない間合いである。だが、猪突猛進で向かってくる相手に平静を保てる人間は、そう多くない。大抵は硬直する。その一瞬の隙を付いて、下から斬り上げるのだ。獲った。実際、舞はそう思った。やや大胆すぎる一歩は、相手の、蒐集家の影を踏んでいた。
「シッ!」
太く短く息を吐き出し、半月型の弧を描きながら、白刃が薄暗がりに煌めく。今にも肉を喰い破らんとするその刃は、しかしその瞬間、空を切った。
「な……!?」
いない……。
消えた?
消えた! 舞は驚いて目を見開いた。今の今まで、確かに舞の目の前にいた大男は、彼女の一振りが当たる寸前、忽然と姿を消していた。と、
「舞さん! 危ない!」
「わん!」
唖然とする舞の耳に、飛鳥とタロの叫び声が飛んできた。
「んな!?」
刀を振り上げ、そのままの姿勢で固まっていた舞の後ろに、再び蒐集家が現れた。無言のまま、間髪を容れず舞に斬りかかる。
「くッ……!」
転げるように、辛うじて前に避けた舞がくるりと襲撃者に向き直る。驚いたのもつかの間、蒐集家はまたしても煙のように消えてしまった。
「瞬間移動だ!!」
「わん! わんわん!!」
「足に加速装置でも付けてんのかよ!?」
雨の中、少年少女の叫び声が交錯する。分からない。理屈は分からないが、これも男が集めた『武器』の一つだろう。目の前で一瞬にして姿を消した蒐集家が、数秒後、彼女の死角から音もなく現れる。振り返った時には、もういない。
「にゃろ……!」
「後ろ!」
飛鳥が悲鳴を上げた。何度目かの瞬間移動の後、男は舞のすぐそば、真後ろに出現した。能面の男が『雷切』を振り下ろす。その時、舞は、
目を閉じていた。
腰をかがめて脇差を居合のように構え、呼吸を整えその場に佇んでいる。
気配だ。
気配を感じるのだ。
……何となく分かって来た。
どうやら消えた状態で攻撃はしてこない。攻撃するために、彼奴は姿を現す。彼奴が攻撃して来たその瞬間に、消えて現れるその隙をついて、一太刀浴びせるのだ。
姿を見せれば、音なり匂いなり、何かしら気配が漂う。目で追うから死角ができるのだ。音は真後ろからでも聞こえる。匂いに死角はない。
技と呼べる代物でもない。野生の直感に身を任せた。
間合いは十分。
振り下ろされた『雷切』が、
……かに見えたが。
がきぃん!
と鈍い音がして、舞の刃は男の肉体に刺さることなく弾かれた。
「は……!?」
己の腹部に剣を突き立てられてなお、蒐集家は無表情だった。破けた軍服の隙間から、はらりとその下が覗く。男の胴体は、分厚い鉄板で覆われていた。
「……ッ! どんだけ『武器』仕込んでんだよ……!」
吐き捨て、ずるっと足を滑らせ、とうとう舞が膝をついた。斬られた肩の傷は深く、痛みは瞬く間に彼女の脳から自由を奪った。息が荒い。いつの間にか、玉のような汗が全身から噴きだしていた。汗と、血と、雨とで、舞の足元はドロドロに濁っていた。
「お前のような……」
その時、跪いた舞を見下ろして、蒐集家が初めて口を開いた。感情を押し殺した、いやまるで感情なんて元々無いような、なんとも無機質な声だった。まるで人間味を感じさせない声に、そばにいた飛鳥がブルっと身を震わせた。
「お前のような参加者をもう何人も見てきた……」
「あ”……!?」
「そんな彼らを殺し……俺は勝った。戦って戦って戦って、勝って勝って勝って、勝ち上がった」
「……ッ」
舞が吐血した。何を言われている? 蒐集家の、言葉がよく聞こえない……耳鳴りがする。血が止まらない。彼女の意識は急速に遠のき始めていた。紺色のセーラー服が、血を吸い込んで重くなっていく。
「そして思った。
ま だ 戦 い た い。
ま だ 終 わ り た く な い。
この興奮を、感動を、恐怖を、刺激をずっと味わっていたい。
終わらせるなんてもったいない。ずっと、ずっと戦っていたい……」
「ゲホ、がはっ……!」
「舞さん!」
「だから俺は願ったよ」
「……?」
「『この大会がずっと続きますように』と。前回大会で優勝した時の俺の願いが、それだ」
男は能面を被ったまま、死に行く舞を見下ろし、表情一つ変えなかった。
舞は返事をしなかった。出来なかった。ひゅーひゅー、と何処かから風を切るような音が聞こえてきた。それが自分の喉から出ている音だと、気がつくのに数秒かかった。
「何を言って……?」
飛鳥が戸惑ったように声を上ずらせた。
「感謝するがいい。俺のおかげで……この大会が続くおかげで……お前たちはこうして『武器』を取って戦っていられる。それが俺の『願い』だ」
「前回大会? 優勝者……?」
「俺は生き返り、また死んだ。できるだけ大勢を巻き添えにして。この大会に再び参加するためだ。この戦いをさらに白熱したものにするためだ。そして、より強い参加者を探すため、俺は今日もこうして街を彷徨っている」
舞は、
「
「そんな……」
「ずっと続けていたいよなあ? お前は俺と同じ匂いがするぞ、宇喜多舞。名将は乱世でしか輝けぬ。お前だって、本当は戦いが好きなんだろう? 人を斬るのは、とっても愉しかったんだろう?」
舞は激しく咳き込み、血反吐を吐いた。どしゃっ、と音を立て、血溜まりに顔を突っ込む。顔中を真っ赤に塗りたくって、ごろりと横たわった。恐らくは、血を流しすぎた。彼女の生命は、ほぼほぼ尽きかけようとしていた。舞に残された時間は、それほど長く無かった。
……もう助からない。
そう悟った時、舞は血走った目でギロリと男を睨みつけ、
「テメーが……」
腹の底から声を絞り出した。
「テメーのせいで、何人犠牲になったと思ってる……!? この、腐れ外道が……!!」
「安心しろ、宇喜多舞」
蒐集家は、やはり声色ひとつ変えず、淡々とした拍子で続けた。
「お前はこれから『武装観音』の中で生き続けるんだ。人々が畏れ崇める武神の一部として……」
「あ……あ……!」
いつの間にか、雨が止んでいた。いつの間にか、男の背後に、舞の頭上に『武器』の巨人が首を伸ばしていた。後光が差している。空がすっぽりと覆われ、地上に
「……俺の『
鋼鉄の巨人は、ぱっくりと口を開けると、そのまま地面ごと舞と飛鳥を飲み込んだ。
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