第十四話:セーラー服と日本刀⑤

「あっち行ったぞ!」

「追えェ! 捕まえろォ!」


 路地裏に怒号が鳴り響く。舞は、男達が目の前を通り過ぎ、たっぷり三十秒待ってから、ようやくゴミ箱の中から顔を覗かせた。


「ぷは……ったく、しつこいな何奴どいつ此奴こいつも」

「ゲホ、ケホ……!」


 隣で飛鳥が咳き込んでいる。頭から放り込んだから、生ゴミでも口に入ったのだろうか。舞は慎重にゴミ箱から這い出した。狭い路地には、今や電気も通っていないようだった。建物と建物の隙間、縦長に切り取られた空は、昼間だというのに夜中のように薄暗い。


 あれから三日経った。


 世田谷温泉を出た二人は、

渋谷駅忠犬ハチ公前

明治神宮

東京ドーム

東京大学

 周辺を彷徨った挙句、上野駅の近くまで来ていた。飛鳥の姉・花凛は未だ見つからない。

 

 芽衣の様子も気になったが、だからこそ舞は、妹からできるだけ遠く、離れた場所にいたかった。

 次に蒐集家コレクターと遭う時はきっと、激しい戦闘になるに違いなかった。出来れば巻き添えにはしたくなかったのだ。

 

 だが、その蒐集家コレクターも簡単には見つからなかった。何処かで爆発音や雷鳴が轟くたびに、舞たちは原付を走らせたが、現場に急行するとすでに蒐集家の姿は影も形も見当たらなかった。

蒐集家。

 嵐のようにやってきて、一瞬にして事を成し、そして姿を消すのだ。足跡すら残さない。その早業に、舞は舌を巻いた。残されるのは変わり果てた街並み、蒐集家にやられたであろう、黒焦げの参加者だけだった。まるで津波や地震で全てが無に帰ったような、地獄と呼ぶにはあまりにも悲惨な光景が、舞たちの目に焼き付いた。


「ひどい……」


 飛鳥がえずいた。

 ここ数日で、血の匂いにも、死体の焼ける匂いにも二人は大分慣れてしまった。今や東京の空を覆うように羽の生えた黒い化け物クリーチャーが無数に飛び回り、そこら中で参加者の死体を喰い漁った。これを悪夢と呼ばずして、一体何と呼べば良いのだろう?


 さらに悪いことに、蒐集家に触発され、街を壊し、一般市民を襲う参加者もボチボチ散見され始めた。


「これは救済なんだ! 勘違いするな、俺はみんなを殺すことで助けてやってるんだ。生きて苦しんでる人たちはみんな肉体を捨ててに来れば良い。武器を取れ。俺たちは幽体のまま、この大会で、永遠に生き続けるんだよぉ!」

「寝惚けた事言ってんじゃねーぞコラ!」


 危ないカルト宗教みたいなことを言い出した彼らは、一般市民を襲うことが善行だと信じて疑わないようだった。見かけ次第、舞たちは止めに入ったが、たかが二人と一匹では、同時多発的なそれら全てを止めることなどできない。逆にそのせいで妙な恨みを買い、今では追われる立場になってしまった。


「行くぞ」


 周囲に誰もいない事を確認し、舞は飛鳥の足を掴んで引っ張り出した。飛鳥は無言だった。飛鳥の口数もめっきり減ってしまった。思いつめたような顔で、愛犬のタロを腕にぎゅっと抱きしめている。隠していた原付にまたがり、二人は当てもなく走り始めた。空は暗いままだ。しとしとと、頬を撫でるような細雨が降り始めた。


「……大丈夫か?」

「…………」

「何か言いたいことあるなら、ちゃんと言え」

「…………」


 舞は前を見たまま、ぶっきらぼうにそう言った。飛鳥は舞の背中に額を押し当て、セーラー服の裾を強く握りしめた。小さなその手は寒さでかじかんで、氷のように冷たかった。


「でも……」

「うん」

「……みんなが賛成する理由も、ぼく、少し分かる……」

「うん」

「だって、このまま戦って、最後の一人になって生き返るより……ずっとこのままでいた方が。そっちの方がずっとかんたんだ。それに、そしたらぼくとお姉ちゃん、他のみんなも、ずっとここで、いっしょに生きていける……」

「他の誰かを巻き添えにしても、か?」


 それに、いつまでもこのままで……というのは微妙に誤りだ。

 ポイントを稼ぎ勝ち残るほど、月を跨ぐほどに、舞は、幽体カラダが生身の人間に戻っているのを感じていた。いずれ終盤では、より生きた人間に近い……食べなければ、眠らなければいけない身体になっていることだろう。

 いつまでもこのままでいられる保証はどこにもない。

 仮に死神が大会を急遽中止する、とか、約束を反故ほごにすれば、簡単に覆ってしまうものだ。バックミラー越しに、舞は背中の様子を確認した。


「それは、だけど……」

 飛鳥は、今にも泣き出しそうな顔で声を絞り出した。

「ねえ、そもそもこんな大会……。誰かを蹴落としてまで、生きる価値、生き返る価値なんてあるのかな……?」

「…………」


 舞は答えなかった。二人を乗せて、原付は浅草・雷門の方へと向かって行く。速度を上げるほど、雨風はさらに鋭さを増してきた。


 蒐集家のような人物が現れることを、死神達は想定していたのだろうか? あるいは参加者が一般市民を襲うようになる、今の惨状を見越して、大会を運営していたのだろうか? だとしたら……。自分たちはまだ、この大会を甘く見ていたのかもしれない。舞はブルっと背筋を震わせた。


「いたぞォ!」

「ゲ!」


 不意に背中から怒号が追いかけてきて、舞は飛び上がった。

見ると、ひしめき合うように、黒塗りのセダンや改造バイクが大挙して押し寄せてくる。二人を追い回している参加者たちだ。助手席に乗ったスーツ姿の男が、窓から身を乗り出し二人に発砲してきた。


「きゃああっ!?」

「逃げるぞ!」


 大勢を引き連れて、舞は狭い脇道を滅茶苦茶に走った。追っ手が仲間を呼び、昼下がりのカーチェイスはたちまち大世帯となった。高速回転するタイヤが唸りを上げる。飛鳥は必死になって舞のセーラー服にしがみ付いた。


 そのうち、雷門が見えてきた。


 この辺り、街並みはまだ整然としているが、観光客の姿は全く見られない。ここのところ断続的に起きる『ゲリラ豪雨』や『突発的ハリケーン』で、客足もめっきり遠のいてしまった。それでも降りしきる雨の中、ライトアップされた巨大な提灯と脇に立つ風神・雷神像が、荘厳な雰囲気を漂わせている。


 大提灯の正面、門のその中央に……。


 二人の道行く先に、人影があった。


 軍服を着た、背の高い大男だった。

 顔を能面で覆い、

 右手に刀を構えて、

 男は舞たちの方をじっと睨んでいた。


「彼奴は……!」

 蒐集家コレクター……! 

 その姿を確信した途端、舞の体の中でぶわっと血が駆け巡った。

「おい待て! 何だありゃ!?」


 その時、飛鳥の耳に、悲鳴にも似た甲高い声が届いた。後続の改造車たちに次々とどよめきが走る。

「……?」

 振り返って、飛鳥は眉をひそめた。明らかに追ってくるスピードが緩んでいる。

 一体何が起こったのだろう? 彼らは、何かに怯えているようだった。


 よくよく見ると、彼らは正面の雷門の、その上の空を見上げていた。門の向こうに広がるのは、浅草仲見世商店街、本堂へと続く参道である。飛鳥は首を突き出し、正面の大提灯に目を凝らした。


 そして飛鳥は見た。

 本堂の向こう、くすぶった曇天に、巨大な 眼 が浮かんでいた。


「何、あれ……!?」


 彼は息を飲んだ。その時、突然辺りが暗くなった。


 舞を追って速度を上げていた改造車たちが、次々に急ブレーキを踏んだ。玉突きで何台かが事故を起こしたが、今はそれどころではない。空だ。空に巨大な眼が浮かんでいる。その異様な光景に、敵味方全て、そこにいた全員が肌を粟立あわだたせた。


 眼は二つあった。

 空に浮かんだ二つの赤い眼が、ぐるり、と地上を見下ろした。


「観音様……!?」

「巨人!?」

「ぎゃあああッ!」

「化 け 物 だァ!!」


 雷鳴が轟く。

 閃光が白と黒のコントラストを描き、一瞬空にその顔を照らし出した。

 不意に喑雲が風に流され、ゆっくりと巨大な顔が現れる。影の正体は、その顔だった。雲を突き抜ける巨大な人影……集まった人々は目的も忘れ、悲鳴を上げて逃げ惑った。突如不快な機械音が大地を揺るがす。


 現れた巨人は、無表情のままゆっくりとこちらに一歩進んだ。その振動で、舞たちは何度か原付ごと跳ね上げられた。


 それは、『武器』だった。


 蒐集家が、集めた武器を結集して作り上げた、巨大な『武器』……。

 武器同士がくっ付きあってできたそれは、まるで巨大な観音像のような、人型をしていた。


 眼はレーザーで。

 肌は戦車で。

 螺髪は無数の刀剣で、指は巨大なミサイルで、つま先から天辺まで、全身武装を施した……

 天まで届く『武器』の観音像が、舞たちを見下ろしているのだった。


「舞さん! あれ!」

 飛鳥は舞の背中にしがみついたまま、絶叫した。


「舞さん!」

 舞は、

「舞さんってば!」

 正面に仁王立ちする、大男を睨んでいた。男は『雷切』を構えた。

 

 舞はブレーキをかけることなく、原付のまま男に突っ込んだ。

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