第十二話:セーラー服と脇差
「行方不明?」
舞がそう言うと、飛鳥少年は頷き、悲しそうに顔を伏せた。
ロビーに古い牛革のソファがあったので、二人はそこに並んで座っていた。もう何十年も使われていないような、深緑の、所々破けたソファである。壁にはこれまた古ぼけたポスターが貼られていて、名前も知らない美少女が、『ルービ』と書かれた得体の知れない瓶状の飲み物を片手に、白い歯を溢していた。舞はソファの上に胡坐をかき、コーヒー牛乳を飲んでいた。左手で瓶を持ち上げる動作がちょっとぎこちない。
「うん……。ぼくもこの間、討伐隊について行ったんだ」
飛鳥が隣で声を絞り出した。
「反対されたんだけどね。だけどぼくだって、お姉ちゃんといっしょに戦いたくて……。だからこっそり後からついて行った。だけど討伐が始まったら、みんなどんどん先に行っちゃって……いつの間にかはぐれちゃってさ。ぼくもタロも必死に走ったんだよ! でも……。それで、仕方ないから、朝になって最初の拠点に戻ったけど、お姉ちゃんはまだ戻ってなかった」
足元では、芝犬のタロがはっはっと舌を出し、忙しなく走り回っている。
「しばらく待ってみたけど、ダメ。お姉ちゃんだけじゃない、誰も帰って来ないんだよ」
飛鳥が今にも泣き出しそうな顔で舞を見上げた。舞は無言のまま、喉をグビリと鳴らし、あの夜のことを考えていた。蒐集家に襲われたあの夜……その数時間前に舞は花凛と一度戦っている。その後花凛は仲間に呼ばれ、蒐集家の目撃地点に向かった様子だった。
「だからタロといっしょに、お姉ちゃんを探してたんだけど……そしたらタロが、道端で倒れてたお姉ちゃんを見つけたんだ」
「なるほどねえ……」
口の周りに牛乳のヒゲを拵えて、舞は頷いた。ポケットからチュッパチャプスの苺味を取り出して、咥える。
ロビーにしばらく沈黙が訪れた。
舞は口の中でからからと飴を鳴らしながら、天井を見上げていた。花凛もまた、蒐集家に武器を奪われ何処かに打ち捨てられているのだろうか? それとも監禁でもされているか。
しかし舞には、あの花凛が負ける姿と言うのがどうも想像できなかった。ましてや今回は、目黒組含め、数百を超える人数が動いていると聞いていた。いくら蒐集家が強いとはいえ、そりゃいくら何でも多勢に無勢に過ぎるのではないか。しかし今の話が本当なら、少なくとも討伐隊は全滅したことになる。
「どう思う? お姉ちゃん」
「そうだな……」
舞は、赤みがかった髪をタオルでくしゃくしゃっと撫で付けた。
「とりあえず、私のことは『舞さん』と呼べ」
「え??」
「お姉ちゃんお姉ちゃんって、ややこしいだろ」
「そうじゃなくて! 花凛お姉ちゃんのこと!」
「おやおや。起きなはったんかい」
「ん?」
二人が喋っていると、カウンターの向こうから小さな人影がひょっこり生えてきた。赤いちゃんちゃんこを着た、腰の曲がった老婆だった。今の今まで気がつかなかったが。どうやら最初からそこに居たらしい。
「あの人は、温泉の管理人さん」
飛鳥が紹介した。老婆が嗄れた声で喜んだ。
「いやあ、えがったえがった。アンタ、助かったんやねえ」
「あのおばあちゃんが、色々助けてくれたんだよ。おね……舞さんを温泉に入れて」
「あぁ……そうなのか。それはどうも………」
飛鳥も参加者である以上、舞を発見した時点で殺してポイントを奪うことだってできたはずだ。その点は感謝しなければならない。
「ありがとう。じゃ」
「待って!」
牛乳瓶を放り出し、そそくさと出て行こうとする舞を、飛鳥が慌てて呼び止めた。
「んだよ?」
「待ってよ。お願い、おね……舞さん。ぼくといっしょに花凛お姉ちゃんを探すの手伝ってよ」
「ヤダ」
「なんで!?」
感情表現豊かな飛鳥の表情に、舞は思わず吹き出してしまった。
「だって……私はこれから、『村正』を取り返しに行かなきゃいけないんだよ」
「取り返すって……その体で?」
飛鳥は舞をまじまじと見た。その視線が、舞の無くなった右腕で止まる。そんなことできるわけない、というのがバッチリ顔に表れている。
「タリメーだろ。武器がなきゃ、どっちみちポイント無くなって失格なんだからよ」
「あ……ぼく、武器持ってるよ!」
飛鳥が弾けるように飛び上がり、暖簾の向こうへと走って行ったかと思うと、一本の脇差を抱えて戻って来た。
「これ!」
「何これ?」
「花凛お姉ちゃんの。護身用にって、ぼくに預けてくれてたんだ」
「ふぅん……」
舞は左手で脇差を手に取り、それを眺めた。さすがに花凛が所持していただけあって、名のある脇差のようだが……。
「……しゃべらねえな」
「え??」
果たしていくら舞が待っても、脇差は彼女に語りかけては来なかった。
「何言ってるの?」
「え? お前の『武器』、しゃべらねえの?」
「分かんないよ……」
飛鳥は当惑した表情でタロを見下ろした。タロは主人の下でわん、と一言鳴いた。どうやら『村正』とはまた勝手が色々と違うらしい。舞は肩をすくめた。
「……まぁいいや。だけどお前、みすみす敵に『武器』を渡して良いのかよ?」
「……それ、貸すからさ」
飛鳥が懇願した。
「いっしょに花凛お姉ちゃん探すの、手伝ってよ。お願い!」
「お前さ。私が裏切って、
「舞さんは、そんなことしないよ……」
「なんで?」
「なんとなく……」
そうであってくれ、と言わんばかりの表情で、飛鳥がじっと舞を見上げた。
「お願いだよ……。花凛お姉ちゃんが居なくなって……もうぼくらだけじゃ、どうして良いか分かんなくて」
飛鳥がじんわりと瞳を潤ませた。一点の曇りのない、澄み切った瞳だ。どうにも、純朴が過ぎる。人を信じることは美徳だが、この戦いにおいてはどうだろうか。花凛が弟を討伐隊に参加させなかった理由が何となく分かった気がした。舞はしばらく無言だったが、その間、芽衣のことを考えていた。
「……よーし分かった。じゃ、交換条件だ」
「え……!?」
「お前は私にこの刀を貸す。その間、私はお前の用心棒になって、お前の姉貴と『村正』を探す」
「あ……ありがとうっ! 舞さん!」
「わんっ!」
飛鳥が目を輝かせた。本当にコロコロと表情の変わる奴だ。私らしくない。自分の提案したことに、舞は自分でも驚いていた。たった一人だけが生き残る戦いだ。誰かと手を組めば、情が移れば移るほど、後々辛くなるだけなのに……。
「ほんにえがったねえ」
「うん。おばあちゃんも、ありがとう」
「わん!」
屈託のない笑顔の前に、舞はポリポリと後頭部を掻いた。
「……ま、助けてもらった恩もあるしな。じゃ、行くか」
「え? もう?」
飛鳥が目を丸くした。日の入りはもう、とっくに過ぎていた。窓の外は墨を零したように黒く染まっている。透明なガラス越しに、降りた闇をじっと見据えながら、舞が尋ねた。
「そりゃそうだろ。今何日だ?」
「え? えっと……今日は二十四日……」
「月末までに何とか『村正』を奪い返さなきゃ、彼奴のポイントになっちまう」
舞は気合を入れ直すように表情を引き締める。出口の前で何度か屈伸運動を繰り返し、左手一本で苦労しながら靴紐を結び直し始めた。その様子を飛鳥がじっと見つめていた。
「足手まといになるんじゃねえぞ?」
「うん……でも」
飛鳥が少し不安げに舞を見上げた。
「その……」
「んだよ?」
「舞さん、左手で戦えるの? もうちょっと休んだり、特訓してからの方が……」
「バカ。お前……」
舞は飛鳥を振り返ると、ニヤリと嗤った。
「戦うってのはな、
そう言って彼女は自分の胸をトントン、と親指で叩き、先立って出口の暖簾をくぐった。
神無月の、二十四日……。
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