第二幕

第十一話:セーラー服と柴犬

 ……夢を見ていた。


 暗闇の中で、舞は一人立っていた。右も左も、自分の手のひらですら視認できない泥濘の中。音も無い。感覚だけがある。両手に、刀を握っているのが分かる。『村正』だった。この軽さ、この手触り、『村正』に他ならなかった。


 ふと、舞の目の前に見知らぬ男が立っていた。彼女とそう変わらない、学生服姿の、まだ若い男だった。男は無表情のまま、何かを訴えるように舞をじっと見つめていた。


 舞は『村正』を振るった。


 男の首筋に、刃が食い込んでいく。

 肉を切り裂き骨を断ち、そのまま斜め下に、心の臓を刈り取るような軌道で、男の胸、脇腹へ向けてずぶずぶと進んでいく。斬れた。良く斬れた。男は何か叫ぼうとして……代わりに血を吐いた。ごぽり、と男の口から溢れた血溜まりが、斬られた箇所から噴き出す血煙が、漆黒の泥濘を少し赤く染めた。


 どしゃ、と男が足元に崩れ、やがて暗闇の中に沈んで行った。しばらくすると、少し先で、今度は牧師の衣装に身を包んだ老人が舞を睨んでいた。


 舞は再び斬りかかった。

 喉元を突き、首の骨ごと叩き斬る。柔らかい。そのまま刀を天に向けて振り上げ、頭蓋骨を真っ二つに砕く。花瓶に植えられた花のように、牧師の天辺から、血の華が咲き誇る。飛び散った脳髄が、暴れ狂う絵筆のように暗闇を赤く塗りたくった。


 次は、名前も知らない異国風の男だった。一人斬ったら、また一人。斬る。斬るたびに、ゆっくり、ゆっくりと視界が赤く染まっていく。腕を振るいながら、舞は……嗤っていた。


 疲れはない。むしろ一人斬るごとに、斬れ味も増し、体の奥から悦びが湧いて来るようであった。女の悦びともまた違う……もっと奥底の。獣にも似た。気持ちよかった。綺麗だった。楽しかった。男、女、老人、子供。


 善人も、悪人も。

 凡人も、超人も。

 貧富も。上下も。左右も。古今も。


 どんな相手ものでも、刀は容赦なく、分け隔てなく斬り捨てた。舞にはそれが心地良かった。人を斬ると云うのは、これほどまでにたぎるものなのか。


 腕が飛び、首が跳び、眼は潰れ、足が千切れ。


 いつの間にか、辺りは流された血でいっぱいになっていた。

赤。

一面の赤。

中天の位置に、ほんの少し残された黒。

舞は恍惚とした表情を浮かべていた。頬についた返り血を舌で舐める。歓喜の味がした。舞の膝まで血が溜まり、それが腰になり、胸付近にまでなっても、まだ舞は斬り続けていた。温かい。暖かかった。血の海だ。まるで湯船に浸かっているかのような、母の子宮に還って来たかのような。ざぶざぶと血を掻き分けながら、舞は火照る体で次の獲物を探していた。


 終わらない。どれだけ斬っても終わらない。

 たとえこの暗闇が、真っ赤に染まり切っても、

 舞がこの世界で最後の最後一人きりになるまで、この煉獄は終わらないだろう。


 やがて舞は人影を探し当てた。

 血走った舞の目が次に捕らえたのは、妹の、芽衣の姿だった。

 

 舞は、天を掴むかのように両手を上へ上へと掲げ、そして……。





「……ぅぎゃあぁあああぁッ!?」


 ……そして、そこで目が覚めた。気がつくと、舞は夕焼けに赤く染まった空を見上げていた。


「はぁ……、はぁ……」


 途端にどっと汗が噴き出してきた。夢を見ていた。何だかとても愉しい、いや恐ろしい、夢だった……ような。……どんな夢だったか、起きた瞬間に忘れてしまった。


「はぁ……!」


 深くため息をつき、額の汗を拭う。そのまま起きあがろうと思って、全身が鉛のように重くなっていることに気がついた。気がつくと、舞は裸だった。いつの間にかセーラー服を脱がされ、そして、


「……温泉?」


 いつの間にか彼女は湯船に浸かっていた。舞は温泉にいたのだった。テニスコートほどはあろうかという、広い露天風呂だった。視界は真っ白な湯気で覆われている。首を曲げると、ただ中天に、夕暮れの紅がぼんやりと見え隠れしていた。舞はポカンと口を開けた。


 ……ここは何処だろう?

 なんで私は眠っていたんだっけ?

 そうだ、確か私は、病院で芽衣を見舞った後、その後……。


「あ……起きた」

「うぉッ!?」


 突然頭上からにゅっと逆さまの顔が伸びてきて、舞は飛び上がった。舞よりさらに若い、小学校中学年くらいの少年だった。逆さまの少年は、舞の瞳を覗き込んで顔を綻ばせた。


「良かった……気がついて!」

「んな……!? な、ななな!? お、お前、だ誰だッ!?」

「タロが気がつかなかったらたいへんなところだったよ。ぼく……ぼくは飛鳥。お姉ちゃん、道端に倒れていたのをタロが……」

「チカンッ!? 痴漢だなテメー!? こ、こら……近いッ!」

「……運良く見つけたんだ。ここは公衆浴場。世田谷区にある、非武装地帯ノーサイドの一つだよ。あ、安心して! 怪我はひどかったけど、大分回復してるし、ここにはお姉ちゃんの敵も……」

「分かった分かった! 助けてくれてありがとう! よし死ね!!」

「え、えぇッ……!?」


 少年は着流し姿だったが、舞はまだ素っ裸のままである。さすがの彼女も頬を紅潮させた。すかさず『村正』を拾おうとして……舞は自分の右腕が無くなっていることを思い出した。そして、あの夜、『村正』が取られてしまった経緯いきさつも。


「あ……」


 斬られた。そうだ。自分はあの雨の日の夜、蒐集家に腕を斬られ、そして『村正』を奪われたのだった。無くなった肘から先の部分を、舞は遠い目をして眺めた。


 右腕がない。

 これじゃもう、刀は握れない……。


「お姉ちゃん……」


 飛鳥と名乗った少年が、哀しそうな瞳で片腕になった舞を見つめる。なんと声をかけて良いか分からないようだ。舞は、仕方がないので、左手で飛鳥をぶん殴った。


「……へぶしッ!!」


 派手な音がして、飛鳥がすっ転んだ。


「な、なんで……!? 助けたのに……」

「右腕が無くなってるんだから、左腕で殴るしかねーだろうが」

「そんなぁ……」


 痛みと理不尽に耐えかね、少年が岩場の陰に蹲っている隙に、さっさと湯を上がる。脱衣所に向かうと、舞の着ていた紺色のセーラー服が綺麗に折りたたまれていた。


「なんなんだ……」


 綺麗に汚れを落とされ、ふかふかになったセーラー服に袖を通す。温泉の効能か、傷口は見事に塞がっていた。右腕の痛みもすでに引いている。


 脱衣所を抜けると、がらんとしたホールが広がっていた。四角く切り取られた西日が、床に落ち、くらい部屋の中でぼんやりと橙に輝いていた。

 客は一人も見当たらない。それどころか番台もいないようだった。代わりに犬が、まだ子供の柴犬が、入り口付近にちょこんと座っていた。


「わん!」


 芝犬は舞を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきた。舞の足元を、子犬が舌を出してくるくる回る。


「なんなんだ……?」

「わん! わん!」

「その子はタロ」


 いつの間にか飛鳥が追いかけてきて、ロビーでじゃれついている舞に声をかけた。


「その子がお姉ちゃんを見つけたんだ」

「お前……参加者か?」


 舞はふと気がついたように少年に顔を向けた。非武装地帯の回復施設。舞はそこに運び込まれたのだった。温泉を利用しているなら、彼もまたこのWWWに参加しているに違いない。飛鳥が頷いた。


「ここは……世田谷って言ったか?」

「たまたまぼくが見つけたんだ。ずっと昔、一度閉まっちゃった施設らしいんだけど、他に良い場所知らなくて……ごめんなさい」

「わん!」

「じゃあこの犬は……お前の『武器』?」


 舞は柴犬を抱き上げた。

 タロと呼ばれた犬は、舞の頬をペロペロと舐め始めた。この犬には舞が見えている。見えているどころか、ペロペロまでしているではないか。よっぽど霊感の強い犬なのか、もしくは飛鳥が所有する、『生物型』の兵器なのだろう。


「違うよ!」

「ん?」


 飛鳥が声を上ずらせた。その表情は、先ほどの舞とはまた別の意味で赤らんでいた。


「タロは……タロは『武器』なんかじゃない。ぼくとかりんお姉ちゃんの……大切な『家族』なんだ!」

「かりんお姉ちゃん……?」


 なんだか聞いたことのある名前のような気がして、舞とタロはいっしょに小首を傾げた。

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