第十話:セーラー服と日本刀④

「分かった、すぐ行く」


 雨が降っていた。

 眼下で花凛が誰かとしゃべっている。花凛の目の前に浮かぶ、赤い『calling』の文字。3Dホログラムで四角いポップ画面が空中に表示されている。どうやら例の『ス魔ートウォッチ』で電話中らしい。


「北地区だな」


 少し不機嫌そうに短く言葉を切ると、花凛は脇目も振らず入り組んだ路地の間を駆け抜けて行った。どうやら目黒の北地区で、『蒐集家コレクター』の目撃情報が入ったらしい。舞を追うのは諦めたようだ。雑居ビルの屋上からこっそりその様子を伺っていた舞は、花凛の背中を見送り、ひゅうと口笛を吹いた。


「あれが……『正宗』か!」


 先ほど百段階段から辛くも逃げ果せた舞だったが。初めて花凛と手合わせし、その強さをまざまざと見せつけられた。なるほど、強い。こちらの攻撃は尽く、向こうの太刀筋は苛烈を極めた。一撃一撃が必殺の、迷い無き『活人剣』。血は止まったものの、未だに斬られた箇所がズキズキと痛む。


「参った。ありゃ勝てねーわ」


 お手上げとばかりに両手を上げ、舞は小さく息を吐き出した。鞘に収まった村正が少し不思議そうに尋ねた。


『その割には舞さん……なんだか嬉しそうですね?』


 ついさっき殺されそうになったばかりだというのに。極彩色のネオンに照らされた舞の表情は、言葉とは裏腹に、踊っていた。


 花凛の後を追うべきか、迷ったが、舞は病院に向かうことにした。

 妹の芽衣が入院している心療内科だ。施設はすでに消灯時間を過ぎ、芽衣は事故直後から誰とも面会拒絶中だったが、幽体である舞にはあまり関係がない。しっかり鍵が閉まった扉をすり抜け、警備員にも気付かれずに、芽衣が寝ている304号室まで病院内を進んだ。万が一霊感のある患者がそれを目撃していれば、『落ち武者の幽霊が病院内を徘徊している』などと大騒ぎになることだろう。


 さすがにもう寝ていると思っていたが、舞が足を運ぶと、驚くことに芽衣はまだ起きていた。大きな部屋の壁際にあるベッドに横になったまま、雨の降りしきる窓ガラスの外を黙って眺めていた。


 不健康そうな色白の肌。枯れ木のようにやせ細った腕。何かを見ているようで、何も捉えられていない、光を失った両の瞳。


 宇喜多芽衣は、未だに事故から立ち直れないでいた。


 妹には霊感はない。

 当然舞が話せるはずもなかったが、それでも舞は足繁く病院に通っていた。生前から……舞とは正反対に……大人しくて消極的な妹だったが、事故に遭ってからはさらに輪をかけて落ち込んでしまった。何とかしてやりたいとも思うが、今の自分には何もできない。薄暗い部屋の中で、一人(正確には壁際に半透明の舞が立っているのだが)ぼんやりと窓の外を眺めている芽衣を、姉は憂いを帯びた目でしばらく黙って見つめていた。


 結局まんじりともせず、小一時間ほど経っただろうか。相変わらず妹に回復の兆候はないが、蒐集家コレクターが襲ってくる気配もない。どうやら取り越し苦労だったようで、舞はホッと胸を撫で下ろした。


 妹のためにも、何とかこの馬鹿げた大会を勝ち残らなくては。決意を新たにし、舞は踵を返した。静まり返った病院の廊下を歩きながら、彼女はふと思った。そういえば、あの東禅寺花凛にも家族がいただろう……。


 舞や花凛だけではない。今まで舞がポイントを奪ってきた参加者にだって、生前家族はいたはずだ。それぞれ形は少しづつ違えど、生き返りたいそれ相応の理由があったに違いない。


 もし、目の前に舞と同じ理由で戦っていたり、舞より幼くして亡くなった子供が現れた時……自分はその子を斬れるだろうか……?


『舞さん?』

「ん……いや」


 何でもねえよ、とうそぶいて、舞は足早にその場を後にした。


「眠れないんですか?」


 舞が人知れず立ち去ったその数十分後。まだ目を閉じていない芽衣を発見して、見回りに来た当直の看護師がちょっと驚いたように声をかけた。芽衣は首だけ動かし、しばらく黙って看護師を見つめていたが、フッと表情を軽くして口を開いた。


「何だかパパやママが……お姉ちゃんが、近くにいるような気がして」


 ……幻覚でも見たのだろうか。言葉の真意を捉えかねて、看護師は気付かれないよう首をひねった。普段からほとんど喋る事もなく、感情を見せない。まるで人形のようだ。その患者が突然見せたほほ笑みに、しかしその看護師は果たして喜んで良いものかどうか、複雑な気持ちでその様子を見守っていた。


 雨が降っていた。

 空は厚く暗くなる一方で、当分晴れ間は見れそうにない。


 病院から出た舞は、目の前から大男がこちらにゆっくりと歩いて来るのを見た。

それは……雨で朧げにしか見えなかったが……2mはあろうかという大男で、今時珍しいカーキ色の軍服に身を包んでいた。腰には日本刀のようなものを差し、さらに拳銃、ナイフ、背中にはショットガンと火縄銃を背負っている。パッと見ただけでも数えきれないほどの武器だ。そしてその顔は、白い、二本のツノの生えた能面で覆われていた。どう見ても患者には見えない。


「アイツは……」


 舞の緊張が一気に高まった。やはり用心に越したことはなかったか。このまま大男が真っ直ぐ進めば、芽衣のいる病院に辿り着く。


「……オイ!」


 刀を抜き、舞の方から声をかけた。気づいた大男が、数十メートル先でピタリと立ち止まる。二人はしばらく無言で睨み合った。ごうごうと、風の音が鼓膜を揺さぶる。等間隔に並ぶ橙が、円錐形の光になって二人の姿を闇夜に浮かび上がらせていた。


「テメー……『蒐集家コレクター』だな!?」


 いうや否や、舞は地面を蹴っていた。得意の下段からの逆袈裟で一気呵成に斬りかかる。大男の方も無言で回転式リボルバーを抜いたが、その頃には彼女は、相手の間合いに踏み込んでいた。もしこの間に、少しでも躊躇い歩調を乱せば、否応無しにその体を撃ち抜かれていた事だろう。


 ぶぉん、と半月型の楕円が下から伸びて来て、男は思わず仰け反った。舞は小柄な体を捻り、畳み掛けるように二の太刀、三の太刀を繰り出していく。それは、東禅寺花凛のような理に叶った太刀筋では決してなく、新聞紙を丸めてゴキブリを叩くとか、『とにかく滅茶苦茶に叩きまくる』と言う感じだった。だがその不規則で強引な感じが、剣の心得のある者ほど戸惑わせ、その軌道を読み辛くもしていた。


「らぁッッ!」


 威勢の良い掛け声を打ち消すように、銃声が轟く。放たれた弾丸は大気を震わせ、一瞬、時が止まったかのように二人の動きを止めた。が、弾が当たってないと知るや、舞はさらに力を込めて剣戟を振るった。


「と……」


 大男が、今度は刀を受けた。銃ではなく、腰に差していた脇差……その鍔で飛んで来た舞を押し止める。文字通りの鍔迫り合いだ。こうなると筋力で劣る舞が圧倒的に不利であった。そのままググッと覆い被さるように押し込まれ、あっという間に態勢を崩された。形成逆転だ。体を海老反りに逸らし、華奢な体で何とか踏ん張ってはいるが、その姿は頼りなげで、今にも折れそうな枝葉のようだった。その眉間に、濡れた銃口を押し当て、大男がカチャリと撃鉄を引いた。


 死ぬ……!


 冷たい感触に、一瞬で舞の顔から血の気が引く。考えるより早く、ほとんど反射的に『腕時計』に手が伸びていた。中に溜め込んでいた泥や砂を放ち、大男の顔に浴びせる。花凛戦で見せたのとほぼ同じ戦法だ。能面の上からどれほど目くらまし効果があったか知らないが、少なくとも相手の動きがほんの一時だけ固まった。左手を離し、体を逸らす。同時に、二発目の発泡音が耳元で響き、舞は肌を粟立たせた。舞の顔のすぐ隣、目と鼻の先で回転式リボルバーが震えていた。


「テメ……!」


 すると、今度はパリ……! と空気が割れる音がして、二人の間に紫色の火花が散った。


「何だ……!?」


 思わず目を細める。柄を握りしめた舞の右手に、溶かした鉄を流し込まれたかのような衝撃が走った。


「ぐあああぁッ!?」


 思わず絶叫し、舞は背中から地面に落ちた。


 何をされた? 分からない。右手の力が入らず、『村正』を取り落とした。大男は、舞を一瞥し、彼女の刀を拾い上げると、品定めするようにマジマジと眺めた。このまま舞を殺し1ポイントを取るか、それとも武器を我が物とするか。見極めているようだった。


「フム……」


 この日、大男が初めて口を開いた。それ以上意味のある言葉は何も言わず、大男は黙って踵を返すと、足早にその場を離れ始めた。どうやら『村正』を自分の蒐集物コレクションに加えることに決めたらしい。焦げ付いた匂いが周囲に漂う。これは……焼けた肉の匂いだろうか? 肉……誰の? ……自分の?


「待て……!」


 喉から出てきた声は掠れていて、自分で驚いてしまった。舞は去りゆく男に必死に手を伸ばしたが、まだ体が痺れて上手く起き上がれない。近くで雷鳴が轟く。白雷に照らされた舞の右手は、


 


 その右手を、男が振り向きもせず脇差で串刺しにした。


 路地に舞の悲鳴が響き渡った。不幸中の幸いだったのは、斬られた付近の痛覚が、最初の一撃で既に焼き切れていたことだろうか。ほとんど痛みも感じることなく、黒炭になった舞の右腕が、その肘から先があっけなく切り落とされる。


 これでもう、刀は持てない……。

 

 男は、すっかり舞に興味を無くしたようだった。左手に舞から奪った『村正』、右手に紫色の光を帯びた脇差……『雷切』を持ち、能面の男はそのまま闇の中へと消えて行った。


「村正……!」


 まだ痺れが抜けない。すぐ目の前には、千切れた自分の右腕が転がっている。徐々に地面が赤く染まり始め、滝のような汗と、全身を悪寒が襲った。霞み行く視界の中で、舞は、今しがた起きたことが信じられず、呆然と体を震わせていた。

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