第九話:セーラー服と日本刀③

 目黒駅に着くと、舞は電車の扉が開くのを待たずに改札の方へ走り始めた。幽霊が電車に乗るというのも変な話だが……自分で走るより速いのだから、利用しない手はない。何より運賃を払わなくて済む。


 駅前はまだ賑わっている時間帯だった。半透明な体で大抵のものは素通りできるが、人混みで遮られた向こうの景色までは見通せない。もし、この中に『蒐集家コレクター』が潜んでいたら……犠牲者の数も計り知れないものになってしまう。そうなれば芽衣も……追っ手の存在も考え、病院付近は迂回することにした。舞は人混みを通り抜け、目黒川の方へと急いだ。


 雨が降っていた。濡れるのを嫌ってか、駅から遠ざかると人気はそこまで多くなかった。舞は

氷川神社

大鳥神社

中目黒公園

天空庭園

 辺りを散々走り回ったが、不思議なことに何処を探しても、『目黒組』とも『討伐隊』とも『蒐集家コレクター』とも、誰とも出会わなかった。


 ……おかしい。

 流石に息が持たなくなってきて、舞は立ち止まった。何処かに身を潜めているのだろうか? もらったばかりの腕時計を覗き込む。日付が変わろうとしていた。雷鳴がした。雨脚は一向に収まる様子もなく、むしろ激しくなっていく一方だった。


 あるいはもう既に……別の場所に移動したのだろうか。遠く北の方の空で、紫色の雷が闇の間を走り落ちた、その時だった。


「……やはり来たか、浮玉」

「……!」


 轟音の後に、声がした。静かな、だけどよく通る声に舞が振り向くと、路地の真ん中に制服姿の少女が立っていた。


 東禅寺花凛だった。

 雨に濡れるのも御構い無しに、仁王立ちでこちらを睨みつけている。青髪の少女はそのまま腰に手をやると、二本とも抜刀した。篠突く雨のカーテン越しに、オレンジの街灯に照らされ、二本の『正宗』がぬらりとその刀身を光らせていた。


「ちょ……待て! 私は……」

「問答無用!」


 我に返って舞は叫んだ。花凛は細長い右足で地面を蹴ると、闘牛のように真っ直ぐ舞の元まで飛んで来た。文字通り、飛んで来たとしか言いようがないほどの……少なくとも舞にはそう見えた……電光石火の俊敏さであった。


「くッ……!?」


 舞が『村正』を抜く前に、花凛の初太刀が袈裟斬りに振り下ろされる。目で追っていては避けきれない。ほとんど本能的に後方に跳び退り、辛うじて『本庄正宗』の切っ先を避けた。息吐く暇もなく、今度は右下手から二の太刀。容赦無く『武蔵正宗』が鼻先を掠めて行く。無駄な動き一つ無い、華麗な剣技であった。まるで水の中を泳ぎ回る龍のような、東禅寺花凛が物心ついたその時からおよそ十年の歳月をかけて鍛え上げた、二天一流の剣舞である。


 ビッ!、と皮が裂ける音がして、舞の頬から血煙が噴き出した。ほんの少し上にずれていたら、失明するところだっただろう。舞の頭にカッと血が昇る。


「待て! 私は……『蒐集家コレクター』じゃねえ!」

「だから何だ!?」


 舞の返事を待たず、花凛が踏み込んで来た。これに関しては、花凛の言う通りである。舞が何者であれ、戦うことはルール上何の問題もない。五月雨のように襲い来る二本の連撃を鼻先でかわしながら、舞は慌てて近くの建物の中に逃げ込んだ。木造のホテル……通称『百段階段』の中だった。


 都指定の有形文化財である『百段階段』は、目黒駅から徒歩3分、目黒川沿いにあり、

十畝じっぽの間

漁樵ぎょしょうの間

草丘の間

静水の間

星光の間

清方の間

頂上の間

 の七つの間を99の階段で繋いだ建物で、”昭和の竜宮城”とも呼ばれる煌びやかな装飾で有名である。

 天井にも壁にも柱にも余すところなく破格の贅が尽くされ、当時の著名な画家たちによって創り込まれた美の世界は、正に桃源郷の名に相応しい。中でも二階・漁樵の間などは、部屋全体が純金箔、純金泥、純金砂子で仕上げられており、その絢爛さは息を飲むほどである。


 舞は無礼にもその漁樵の間に土足で逃げ込んだ。

天井には菊池華秋原図の四季草花図、

欄間には尾竹竹坡原図の五節句が浮彫された、珠玉の芸術的空間である。

 だが、今正に日本刀で襲われている舞にとっては、どれだけ偉い奴がどんなに優れた絵画を描こうが、命の前には何の価値も無いに等しかった。せいぜい歴史のテストに出て来た時のために、覚えやすいペンネームにしてくれ、と願うくらいである。


 分厚い襖を蹴破って、18畳ほどの金色こんじきの和室に転がり込む。入って左手正面、樹齢300年弱ある左右の巨大な檜の柱には、国会議事堂の議長席や内閣総理大臣の机も手がけた盛鳳嶺さかりほうれいという彫刻家により、荘厳な縁起物が彫られている。『百段階段』には百の縁起物が装飾されているが、今夜の舞にとっては、不吉な出来事以外の何物でもなかった。


「××が!」


 およそこの芸術空間には相応しく無い悪態を吐きながら、彼女は『村正』を抜いた。綺麗に研磨された『村正』が、今宵の獲物を求めて銀色に輝く。と同時に、階段を駆け上がって来た花凛がゆったりと漁樵の間の前に現れた。律儀にも靴を脱いでいた。


「貴さ……」

「だらぁッ!」


 花凛が何かを言いかけた。今度は一転、舞は終わりまで聞かず、お返しとばかりに彼女に猪突猛進していった。

 およそ舞が今日こんにちまでこの死闘を生き残ってこれたのは、ひとえにその思い切りの良さ、そして体格の小ささに他ならない。


『神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬る』。


 宇喜多舞は、東禅寺花凛と違い、正式に街の道場などで剣の型を教わった事はなかった。

 その筋の人から見れば、ズブの素人と言っていい。だが素人故の迷い無さが、彼女を今日まで生かしてもいた。


 玄人プロだと経験則から躊躇する場面でも、後先考えず突っ込んで行く。自分を傷つけられまいと恐々と握る剣に怖さは無く、また間合いを詰めてこない刀など恐れるに値しない。


 余談だが、投げる、という攻撃もある。が、これは半ばやけっぱちに近く、自分の武器をみすみす相手に渡す危険性、そもそも投げ槍と突き槍では重心の設計から違うように、その成功率は決して高くない。たとえ投げたとしても、攻撃の間合いを稼ぐために持ち手側に重心を置かれた長刀では、空中でひっくり返ってしまうだけである。


 そしてもう一つ、平均的女子中学生に比べて舞の体格の小ささ……標的まとは小さければ小さいほど、狙いにくいものである。本人は密かに劣等感コンプレックスを抱いているようだったが……人間、何が何処でどんな風に役立つのか、本当に分からないものである。

 

 シュッ! と畳を擦る音と共に、逆袈裟で三日月型の弧を描いた舞の白刃が、勢いよく花凛に襲いかかった。だが……。

「シッ!」

 花凛は怯むことなく片方の刀でそれを受け、短く息を吐くと、もう一本の刀を真っ直ぐ舞に突き出して来た。慌てて首を捻り、辛うじて避けた舞だったが、左の耳たぶをバッサリと斬られてしまった。これで彼女が密かに楽しみにしていたピアスも、当分の間はお預けだろう。どばっ、と溢れた鮮血が畳の上に散らばった。


「……〜っ!」


 ゴロゴロと畳の上を転がって舞は後方へと逃げた。瞬き一つせず、獲物から目を離さない花凛の表情は、普段の美麗な造形からは考えられないほど殺気立っていた。修羅か般若を思わせる形相で、ゆっくりと舞との距離を詰めた。腰まで伸びた青い髪がゆらゆら揺れる。


「人を斬るに非ず……」


 四方から、豪華絢爛な日本画や彩色木彫たちが、戦いの行く末を穏やかな表情で見守っている。ゆったりと、舞ですら見惚れるような美しい動作で、花凛が二本の刀を胸の前で構えた。


「大悪を殺し、幾千の善を活かすなり是即これすなわち活人剣かつにんけん』の極意なり

「くッ……!?」


 打つ手を無くした舞は、咄嗟に『村正』を投げつけた。前述した通り、これは悪手である。通常の人間が投げて刀を相手に刺そうと思えば、有効射程距離はおよそ3mほどである。案の定舞の投げた『村正』はくるくると回転し、花凛の手前で失速、無様にも畳の上に突き刺さった。


「フン……」

 花凛は興が削がれたような顔で、最早哀れみの目をして舞を見下ろしていた。

「……なんだ、その程度で吠えていたのか。全く手応えがなかったぞ、浮玉」

「ぐ……!」

「貴様が死ねば、浮かばれる魂も多かろう。死をもって償え、この獣物ケダモノが!!」


 花凛は左の刀を鞘に収め、目の前に突き刺さった『村正』を抜き取ろうとした。だが……。

「何だ……!?」

 抜けない。『正宗』とほぼ同じ刀であるはずなのに、ビクともしなかった。

「何だこれは? 重い……!?」

 花凛が戸惑いの表情を見せたその瞬間、舞はすぐさま腰に下げていた下緒で花凛の両足を思い切り払った。


「隙あり!!」

「くッ……!」


 だが、まだ花凛の方が余裕があった。飛び退って一旦距離を置く。舞はガバッと飛び起きると、『村正』に巻きつけておいた『ス魔ートウォッチ』を外した。先ほど新宿の数奇屋でもらったばかりの、如何わしい腕時計である。


「時計……!?」

「へへ……」


 花凛の眉間に皺がよった。舞がニヤリと嗤った。頬や耳たぶから流血し、今や顔半分は赤く染まり、業魔か夜叉を思わせる風貌と化している。


 件の腕時計をこっそり刀の鍔の下に巻き付けておいたのである。『ス魔ートウォッチ』の中には、武器が仕舞える。だが質量は変わらない。


 これを利用して、『村正』を一時的に重くした。


 舞は『百段階段』に来るまでに、目黒区を走り回って路傍の石や砂を集め、この不思議時計の中に入れておいたのだ。おかげで『村正』は普段よりずっしりと重く、いつも通り動けなかったが……得物村正を投げれば敵が飛びつくだろうと、そういう計算が、舞の中にあった。実際追い詰められた時の最後の足掻きとして、武器を投げ捨て囮にする参加者は多い。一瞬でも足止めできればと考えてのことだった。


 展開は舞の思惑通りになった。花凛が『村正』に手を伸ばしたのはある意味正しい。敵の武器を破壊すればポイントを得られるこの大会において、それは勝利条件に等しかった。普段の戦いにおいても、相手の武器を奪う、これほど有利になることはないだろう。


 だがそのが……今回の戦いに限っては仇になった。軽さが売りの日本刀に重しを付けるなど、これも悪手に違いない。その、舞のが、花凛のを凌ぎ切った形であった。


「じゃあな!」

「あ! 待て……この!」

「やなこった!」


 舞がポン! と『ス魔ートウォッチ』を叩くと、画面の中から拾って来た石や瓦礫、画鋲やまち針などが飛び出して来て、二人の間に『川』を作った。ここでもまた、靴を脱いでいた花凛の律儀さが裏目に出た。時計の中から現れた障害物がとなって、花凛は思うように間合いを詰められない。その間に、舞は隣の襖を叩き壊し、漁樵の間から抜け出した。


「待て! 浮玉……宇喜多舞!! 貴様は……!」


 花凛は追い縋ったが、舞の姿はとっくに闇の中へと消えてしまっていた。壁を挟んだ向こうで、空が不機嫌に唸る声がする。まだ雨は止みそうになかった。

 

 一人取り残された花凛は、呆然と漁樵の間を振り返った。戦闘後の金色こんじきの部屋には、今や至る所におびただしい量の返り血が飛び散っている。そのほとんどが舞の血だ。花凛はかすり傷一つ負っていない。なのに……。


「逃げられた……!」


 それもあと一歩のところまで追い詰めて、だ。舞の返り血を浴びた日本画の中の天女が、二人の戦いの行方を見届けほほ笑んでいた。対照的に、花凛は顔を真っ赤にし、舌を噛みちぎらんばかりに歯を食いしばって悔しがった。

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