第八話:セーラー服とカイト・シールド

 西日の沈んだ街には、横っ面を叩くような強風が吹きすさんでいた。時折暗雲がパッと白く光り、遥か上空で不吉な雷鳴が轟いている。予報通り、目黒は夜にかけて雷雨となった。雨風に晒された街並みは、さながら嵐の中を彷徨う難破船のようだ。当然、人気ひとけは少なかった。


 今宵、この目黒で血塗られた大捕り物が繰り広げられようとしていた。


 目黒区の北部……旧前田侯爵邸洋館付近……を巡回していた立花トシロウ(38)は、凧型の盾・カイトシールドに身を隠し、苦しそうに目を細めていた。そばには同じように剣や盾を構えた5〜6人の仲間たちが立ち竦んでいる。彼らの頭上で、植えられたシイの木がごうごうと踊った。


 トシロウ含め、彼らは全員WWWの参加者であった。皆『目黒組』……総勢数百名から成る、その名の通り目黒を拠点とした巨大な組織に所属している。元SE・勤続8年目で無念の過労死を遂げた彼が、『目黒組』に参加したのには二つ訳がある。一つはトシロウが目黒で生まれ育ったから、そしてもう一つは、最初に死神に渡された武器があまりにも貧弱だったからである。


刀剣型ソード

射撃型ガンナー

打撃型アタッカー

魔法型マジック

生物型モンスター

盾鎧型ガーディアン


 ……と、大まかに分けて6種類ある『武器』のうち、トシロウが引き当てたのは中でも最弱と呼ばれる『盾鎧型』であった。もちろん防具と言えども、

メデューサの首をはめ込んだ『イージス』

だったり、

文字通り矢が避けて通る『避来矢ひらいし

と言った上位ランクの防具も存在するのだが、彼が受け取ったのは、カイト・シールド。11世紀半ばに北ヨーロッパなどで流行った、約1メートルほどの盾であった。


 一体この盾でどう勝ち上がれと言うのか。

 トシロウは頭を抱えた。これならまだ、『金槌』とか『マイナスドライバー』とかの方がマシである。せっかくのだと言うのに、一体自分はどれほど運が悪いんだろう。


 彼のように嘆く者は少なくない。『タコ糸』だとか『爪切り』だとか、悲劇的な『武器』を手にしてしまった者たちは、自然と徒党チームを組んだ。強者に身を寄せることで、何とかこの戦いを生き永らえようとしたのである。彼らはそれぞれの徒党チームで弾除けだったり、いざと言う時のポイント補填のために強者に生かされているのだった。


 死してなお、強者に媚びへつらい愛想を振り撒かなければならない屈辱……だが『目黒組』は、他の徒党チームと比べても穏やかな組織だとトシロウは思っていた。『目黒組』のボス・玉坂大吾郎も、トシロウたちを丁重に扱ってくれる人格者だし、仲間同士の信頼も厚い。少なくとも彼が生前勤めていた某ブラック企業とは大違いだった。


「雨、ひどいな」

「今夜は現れないんじゃないすかねえ……」


 前方で、同じ『目黒組』の盾兵たちが唸った。今夜、この旧前田侯爵邸洋館に、巷で噂の『蒐集家コレクター』なる不届き者を誘き寄せようと言う作戦であった。洋館内に

『七支刀』

『打神鞭』

『ロンギヌスの槍』 

と言った滅多にお目にかかれないレア武器を配置した。どれも『目黒組』が他の徒党との死闘を制して手に入れた、珠玉の武器である。これらを餌に、のこのことやって来た『蒐集家コレクター』をボスの如意宝・『打ち出の小槌』で一網打尽にしてしまおう、と言う段取りであった。だからトシロウたちが務める外の警備も、目立つ部分はわざと手薄にしてある。パッと見は分からないが、木陰や建物の中に、500を超える組員たちが息を潜めて洋館を見張っているのだ。


 だが肝心の獲物が、一向に現れない。


 トシロウは内心ホッとしていた。彼は比較的目立つ位置に配属されていた。ボスからは、『蒐集家コレクター』が姿を見せたら即逃げろ、と言われてはいるが、果たして素直に逃してくれるかも分からない。ましてやこっちは1000年以上も年季の入った古い盾一つである。できることなら、何事もないのが一番だった。


「野郎、ウチの組に怖気付いたんだろう」

「ちげえねえ」


 先輩の盾兵が笑った。だがその声は、微かに震えている。所詮自分たちは囮役、壁役なのだと皆理解していた。幹部クラスがどれだけ強い武器を所持していようと、真っ先に犠牲になるのは、結局前に立たされる弱い者なのだ。


 しかし、見えない闇の中に数百の組員が身を潜めているのもまた確かだ。『蒐集家コレクター』なる組織が、果たしてどれほどの頭数を揃えているか知らないが……たとえ多く見積もっても、せいぜい10名前後の少数部隊だろう。集団戦は数が多い方が圧倒的に有利だ。今の『目黒組』に匹敵する徒党チームは、何処を見渡しても数える程しかない。


 仮に攻めてくるにせよ、二層にも三層にも連なるこの警戒網を、如何にして突破してくるつもりなのか。数百丁に及ぶ銃、360°から狙うスナイパーライフル、地雷、魔法の杖、神々の愛用品……たとえ全知全能の神だろうと、無傷では帰れない布陣であった。


 やがて夜中の零時を回ろうとしていた。

 トシロウがホッと息を付きかけたその時、


 異変は起こった。

 

 生暖かい風が、ふと彼の脇を通り過ぎたような気がした。トシロウは振り向いたが、何も見えなかった。気配も何も無く、トシロウがハッと我に返った時には、自分の右腕から、噴水のような血が溢れ出しているところだった。


「は……?」


 次にボト、ボトと熟した果物が地面に落ちるような音がした。よくよく見ると、それは斬られた人体の一部分だった。右腕、首、左足……トシロウの仲間たちは様々な箇所を適当ランダムに、だが綺麗に切断されていた。斬られた。いつの間に? 分からない。だが確かに俺の腕から先がない。斬られたのだ。目にも止まらぬ疾さで、だ。冷や汗がドッと噴き出して来た。


「ぎッ」


 鶏の首を絞めるような掠れた悲鳴が聞こえて来て、それが自分の出した声だと気がつくまでに、数秒かかった。トシロウの持っていたカイト・シールドは、いつの間にか真っ二つになっていた。表に描かれたドラゴンの紋章も真っ二つだ。地面に落ちた龍の下半身に、トシロウの腕から噴き出る血が全開にした蛇口のように降り注いだ。


「ぎゃあああああッ!?」


 トシロウの仲間たちが細切れになるまで、絶叫が辺りにこだまするまで、そう時間はかからなかった。襲撃だ。降りしきる雨に血煙が混ざり合い、トシロウの視界はたちまち赤く染まった。真っ赤な絨毯の上に、不揃いの果実たちが転がっている。初めは数えるほどだったそれも、みるみるうちに高く積み上げられていった。


 不意に闇の中を、一筋の光の矢が放たれた。その眩しさに、思わずトシロウは目を細める。遅れてくる爆音。木陰や建物の隅に身を潜めていた組員は、降り注いだ光で一瞬のうちにその身を焦がされた。死神を引き連れた魔の光だ。餌食になった者は、血液が1秒を待たずに沸騰し、己が人生を回顧する間も無く意識を刈り取られた。運良く直撃を間逃れた者も、瓦礫や土砂の下敷きになり、絶命するまで長い間苦痛を味わうこととなった。流星のような閃光が、夜空に一つ、二つ……。


「上だ!」


 誰かが叫んだ。激痛に身を捩っていたトシロウは、辛うじて顔を上げた。ちょうど洋館の上から昼間のように明るい閃光が地面に降り注ぐところであった。地表が波打つほどの爆撃。影さえも居場所を失うほどの光の洪水シャワーが、いつ終わるとも知れず闇を白く塗りつぶして行く。ただし幾万の命を道連れに、だ。ようやく静けさを取り戻す頃には、辺りには最早呻き声すら残されていなかった。


 やがて透明な雨が戦場を……いやを洗い流し始めた。トシロウは目を覚ました。光の洪水シャワーの中で、いつの間にか気絶していたのだ。彼は、意識を取り戻したことを後悔していた。目の前に広がっていたのは、黒炭になった仲間の死体。死体。死体。四方八方何処を見渡しても、死体死体死体死体死体……。


「ひ……!?」


 こんなのもう、戦いじゃない。災害だ……。


 胃の奥から酸っぱいものがこみ上げて来て、たまらずその場に嘔吐した。吐瀉物がじんわりと滲んで見えて、自分が泣いていることを知った。やがて上空から轟音が鼓膜を震わせ、稲光が辺りを白く照らした。誰か立っている。洋館の上に、屋根の上に、誰かが立っている。トシロウは震えながら顔を上げた。もう一度白雷が落ち、襲撃者の姿を闇夜の中に浮かび上がらせた。


「ひ、一人……!?」


 トシロウは目を見張った。

 洋館の屋根に立っていたのは、カーキ色の軍服に身を包んだ巨大な男が、たった一人。


 大男はマントを靡かせ、ふわりとトシロウの近くへと飛び降りて来た。


 雨が降っていた。この夜、『目黒組』512名のうち486名が、わずか数十分の間に冥府へと送られた。

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