第三話:セーラー服とモーゼの杖②

 舞がエスカレーターを駆け上がると、紳士服売り場が火の海と化していた。

すでに人影はない。異常な事態に、客も真っ先に避難したようだ。耳障りな火災報知器の音が、フロア全体にこだましているようだった。


「ホッホ。炎の壁よ」


 すると、轟々と燃え盛る火の手の向こうから、老神父がゆっくりと姿を現した。その右手には当然、『モーゼの杖』が握られている。


「神の奇跡に不可能なし! 聖なる炎が、貴様を焼き尽くしてくれるわっ!」

「言ってもショボい奇跡だなオイ」

 舞は軽く欠伸した。

「『今すぐ死人を全員生き返らせる』とか、『悪魔を全部天使に変える』とか、そういう本物の奇跡は起こせねぇのかよ」

「ン何ぉをォ!?」

 神父の顔が引き攣り、『杖』を高々と掲げる。

「貴様、神を愚弄する愚か者めが!! 正義の鉄槌に沈むが良かろう!」

「つーか何であのジジイはモーゼになりきってんだよ……」

 舞は半分呆れたように老人を見据えた。


「アイツは参加者であって、モーゼ本人ではないだろ。本物の神父かどうかも怪しいぜ」

『武器にますね』

 天井を覆う黒鉛の中、村正が淡々と告げる。


『武器の持つ魔力に、自我が蝕まれています。精神的に虚弱な者によく見られる光景です。贔屓のスポーツチームが勝ったから自分も強くなったと勘違いする痛いファン、みたいな存在でしょうか』

「相変わらず辛辣だなテメェは」

 に衣着せぬ物言いに、舞が苦笑いを浮かべる。


「モォォォォゼェェエエエエエッッ!!」

 神父が怒鳴り声を上げた。彼が杖を振るうと、炎は床一面へと広がり、マグマのように舞を飲み込まんと迫ってきた。


「どぉうだ!?」

 神父が恍惚な表情を浮かべる。

「ここまで来れるか!? さっきまでの威勢はどうした!? おォン!?」

「チッ」

 あからさまに舌打ちをした舞は、そのまま神父の方へと突っ込んできた。

「な……」

 予想外の行動に、神父が言葉を失った。


「……貴様、焼け死ぬ気か!?」

「正義だ悪だと、さっきからゴチャゴチャうっせぇんだよ!」

 裸足のまま炎の上を突っ走りながら、舞がニヤリと嗤った。

 刀を下段に構えたまま、一気に間合いを詰めてくる。神父が狼狽えた。慌てて巨大な火の球を作るも、もうセーラー服の刀剣少女は、神父の足元にまで迫ってきていた。


「熱くないのか!? 有りえん、これは本物の奇跡、神が起こした聖なる炎……」

「御託はいいから、さっさと死合おうぜ」

「ガキが……!」


 神父の顔が土気色になり、その頬に赤みが差す。

「……ラァッ!!」

「モゼェーッ!!」

 神父が杖を振り下ろし火球が舞を飲み込むのと、舞が村正を振り上げ神父に斬りかかるのと、ほぼ同時であった。


 巨大な爆発音が、ショッピングモールの中に響き渡った。




 それから数時間後。

 雨は止んでいた。薄暗い雲の隙間から、午後の日差しがほんのりと見え隠れしている。右手に村正を、左手に神父の首を持った舞が、渋谷のスクランブル交差点付近をフラフラと彷徨っていた。


『……拭いてくださいよ』

「あ?」

『だから、血。拭いてくださいってば』

「あー……」


 先ほどの戦闘を終え、村正の刀身は真紅に染め上げられていた。だが、戦いを終え消耗が激しいのか、酷く虚脱した舞はぼんやりと曇天を見上げるばかりで、一向にその声に応える素振りはない。髪は乱れ、化粧も落ちたままだ。セーラー服は、所々煤けている。カラカラと鞘の先端を地面に引きずりながら、口を半開きにして、舞は気怠そうに歩いていた。生首も生首で重たいらしく、途中からサッカーボールになっている。


 大勢の人々でごった返す交差点に、血を滴らせた日本刀と生首を持った、セーラー服の少女が一人。その光景は、異常という他なかった。


 だがそれ以上に奇妙なのは、道行く人々が、舞を一切気に留めていないことだ。それどころか、誰も彼女の存在に気づいてすらいないようだった。幾人かが、舞にぶつかりそうになったが、その度に彼らは彼女の体をするりと通過して行った。村正がため息をついた。


『……全く。いくら半死半生の身だからって、無茶しすぎなんですよ』

「あー……あ?」

『何とか勝てたから良いものの……分かってますか? 負けたら終わり、舞さんは元の体に戻れないんですよ?』

「あー……」

 分かっているんだか、いないんだか。曖昧な返事を繰り返す舞に、村正のため息は止まらなかった。


『火に突っ込むなんて……『武器』による攻撃は幽体にも有効だって、あれ程言ったじゃないですか?』

「……言ったっけ?」

『言いました!』


 舞が立ち止まる。その体を、再び道行くサラリーマンがすり抜けて行った。他の誰にも見えていない。つまり彼女は、宇喜多舞は生身の人間ではない。


『相手が幽霊だから攻撃が無効、だと勝負にならないでしょ? 『武器』での攻撃は当たるんですから! 良いですか、これよぉく頭に叩き込んどいてください!』

 村正が口酸っぱく叫んだ。


『あの炎だって、危うく火傷するところだったんですからね!』

 あの時舞が炎の床を渡りきったのは、彼女の正体が幽霊だったから……ではない。

 あれは要するに、護摩行の要領である。

 事前に足を濡らし、素早く歩けば、たとえ素足でもやけどはしない。


 足を濡らしておけば、水が蒸発する際に気化熱を奪い、また発生した水蒸気が一時的に薄い膜を形成する。ライデンフロスト現象と呼ばれるこの膜はものの数秒しか持たないが、その間に素早く次の足を出しさえすれば、熱に囚われることなく火の上を歩いていける……という理屈ワケであった。


 この場合、逆に火を怖がり、恐る恐る歩く方が危険である。先ほどは雨が降っていた。それで舞の足は濡れていたのだ。もっともこのセーラー服の少女がそんな理屈を知っていたかどうかは、甚だ疑問である。


『魔法の炎だろうが、ミサイルの炎だろうが、モロに食らったらダメージ入るんですから。舞さんがこの”戦い”を生き抜くためには……』

「随分と順調そうじゃないか」


 不意に前方から声をかけられ、舞はハッと顔を上げた。


 いつの間にか彼女の前に立っていたのは、全身真っ黒なスーツを着込んだ、長身の男だった。黒服の男が突然立ち止まったから、通行人が嫌そうな顔をして彼を避けていく。


 


 2m近くあるかもしれない。交差点のど真ん中で立ち止まっては、電信柱のような迷惑さだ。長身の、切れ長の目をした男だった。真っ黒なスーツに、真っ黒なネクタイ。まるでそこだけぽっかり景色から切り取られたかのように、全身を黒で塗り固めた男。


「死神のオッサン……」

「誰がオッサンだ」


 男が低い声で唸った。舞は表情を引き締めた。男は胸ポケットからアメリカンスピリットの12mgを取り出すと、たっぷり時間をかけて火をつけた。舞がぼんやりと男を見上げて言った。


「『死神』は良いのか……」

「忘れてた。誰がオッサンだ。そして、誰が死神だ」


 紫煙を燻らし、20代半ばほどのその男は、ニヤニヤしながら舞を見下ろした。『死神』も『オッサン』もダメなら、彼はもはや『の』である。『の』が舞を見て言った。


「とりあえず、生首はこっちで預かろうか。うら若き乙女が持ち歩くにしちゃ、悪趣味が過ぎるでしょ」


 


 道行く他の誰にも、舞は見えていない。宇喜多舞は、生身の人間ではない……

  

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