第四話:セーラー服と日本刀

「待て! 待てだよスプラッ太。まだ食べちゃだめだからね……良ぉ〜し良しいいこいいこ……」

「…………」

「いいこだ……偉いぞぉ〜スプラッ太。ちゃんと待てができて偉いねぇ〜……キミはやればできる子なんだからな、良ぉ〜し良し良し良し」

「…………」

「待て……待て良し! 良いぞ! 食って良し! そうだスプラッ太! 生首美味いかぁ? 骨が歯ごたえあって美味いだろう? もっとも、これは幽体だけど……キミはいつでも美味しそうに死体を食うなあ〜」

「……オイ」

「?」


 隣に座っていた舞にジロリと睨まれ、男は顔を上げた。

真っ黒な衣装に身を包んだ、痩せぎすの男。彼の肩には、スプラッ太と呼ばれた、野犬とカラスを足して2で割ったような謎の巨大生物クリーチャーが乗っかっていた。


 スプラッ太が、舞の見ている前で生首をバリバリと噛み砕いた。舞が先ほど倒した偽神父の首だ。ブシャッ、と音を立て、怪物の強靭な顎から熟した赤ワインみたいな血飛沫が零れ落ちる。舞の足元はたちまち殺人事件現場みたいになった。もっとも被害者偽神父を殺した犯人は、他ならぬ舞自身だったが。


 生首を噛み砕き、スプラッ太が美味そうに喉を鳴らした。見た目は羽の生えた真っ黒な犬……だろうか。二本足で、鉤爪を男の肩に深々と食い込ませている。西日にその体躯を照らされ、全身がヘドロのような光沢を放っている。その虚ろな目は真っ赤に充血しており、その禍々しさで、周りの重力が歪んでいるかのようだった。とてもこの世の生物とは思えない。


「早くしてくれ」

「分かった分かった」


 舞が焦れたように唸った。男はボリボリと後頭部を掻き、ベンチからゆっくりと腰を上げた。その傍らには、木製の、黒いスーツケースが置かれている。黒服の男が、ケースから布切れと研石を取り出した。男は少女から差し出された日本刀を両手で受け取ると、ニヤリと笑った。


「ダメだよぉ宇喜多クン。どんな名刀もきちんと手入れをしないと、たちまちだよ?」

「だから、テメーに頼んでるんだろうが」

「はいはい」


 男は肩をすくめて返り血を浴びた『村正』を丁寧に拭き始めた。

二人は今、都内の小さな公園に来ていた。

滑り台と鉄棒、それにベンチが一台並んでいるだけの、こぢんまりとした公園だ。夕暮れの公園に、黒服の男と紺のセーラー服の少女が二人。彼ら以外には誰もいない。西日が反射して、キラリと光る『村正』を見つめながら、舞は、この男と初めて逢った時のことを思い出していた……。



 三ヶ月前。


 その日は大型連休の初日で、舞は両親、妹の4人で家族旅行に出かけていた。首都高に乗り、ようやく出口に差しかかろうとしたその時、その”事故”は起こった。


 トラックによる正面衝突。気がつくと舞は、担架に乗せられ、見知らぬ病院の廊下を走っていた。後から聞いた話だが、運転手と助手席に乗っていた両親は、即死だった。後部座席に乗っていた舞と妹の芽衣は、未だ予断を許さず……。


 医者か、看護師だろうか?

 舞の耳元で、誰かが何かを叫んでいるのが聞こえた。だけど、何かは分からない。視界は途切れ途切れ、場面が暗転したかと思えば急に白熱が両目に飛び込み、光の調節が上手く行っていない。やがて集中治療室に入り、無影灯に照らされ、そこで舞の意識は深い闇の中へと沈んで行った……。


 結局、助かったのは妹の芽衣だけだった。妹一人を遺して、舞たちは皆帰らぬ人となってしまった。


 ……彼女が次に意識を取り戻したのは、霊安室だった。


 目を閉じた時と同じ色をしたくらがりの中、舞はゆっくりと瞼を開いた。


 何も見えない。

 自分は、死んだんだろうか?


 死んだことがないので、どうにも勝手が良く分からない。死んだら異世界に転生するんじゃなかったのか? ……どんなチート能力にするか、せっかく色々考えていたのに。途方に暮れて、ベッドに横たわったままでいると、不意に耳元で男の声が聞こえた。


「……生き返りたいかい?」


 舞が顔を上げると、全身真っ黒なスーツを身にまとった、怪しげな男がそばに佇んでいたのだった……。


 それが、この死神の男・泥梨葬太どろなしそうたとの出逢いだった。


「自分は、ただのしがない『道具屋』、『武器商人』さ」

「『武器商人』?」

「嗚呼。大会のために、見どころのありそうな人に『武器』を配ってる」

「大会……」


 病院の屋上で、死神の男はアメリカンスピリットに火を付け、美味そうに煙を吐き出した。開け放たれた屋上の入り口には、『禁煙』の張り紙が大きく貼られてある。


「そう。WWW。WORLDワールド・WEAPONウェポン・WARウォー。世界最強の武器を決める戦いさ」


 WWW。世界中の、ありとあらゆる異世界中の、伝説の武器を持った者が戦う大会。

 剣でも、銃でも、魔法でも。

 参加しているのは、舞と同じく不慮の死を遂げてしまった者。

 その大会で勝てば、優勝者は無事生き返り、さらにどんな願いでも一つだけ叶えてもらえるのだと言う。

 

 舞は目を瞬かせた。聞いたこともない大会だった。昔から格闘技や武道大会は好きで、良くこっそり観ていたものだったが。舞の両親は、「女の子が格闘技なんて……」という、ちょっと古いタイプの人間だったので、舞が道場に通うことなどは許さなかった。だけど舞のおじいちゃんは、そんな彼女を連れ出して、チャンバラごっこなどをして遊んだものだった。


 死ぬ前のことを思い出して、舞は少しだけ目に涙を浮かべた。


 WWWのルールは

①指定の『武器』を使用し戦うこと。

②殺すか、もしくは『武器』を壊すと1ポイント。その逆がマイナス1ポイントとなる。

③一ヶ月以内に3ポイント以上で予選通過。期限内にポイントを集められなかった場合、その者は失格となる。

④なお、最終的な勝者は一人のみとする。


 聞くと、大会はすでに始まっているらしい。


「ご家族は、残念だったね」

「…………」

「キミ自身も……。だけど、もし生き返りたいなら、家族を助けたいなら……この大会に参加するって手もある」

「…………」

「どうする? キミは今、死んだばっかりで、半死半生の幽体みたいな状態だ。そんな奴らが集まって、生き返りをかけて戦うのさ。ただし、願いを叶えられるのは一人だけ……」

「…………」

「飛び入り参加大歓迎! まだまだ随時募集中なんだ。どう? 死んだつもりになって頑張ってみるかい?」


 しばらく黙って考えて、舞は死神から『村正』を受け取った。

 全く、眉唾モノの話だった。

 巫山戯た名前の大会だ。突然現れた死神の言葉を、信じる方がどうかしている。


 だが、どっちにしろすでに死んでいる身だ。

 このまま冥府に運ばれていくか、謎過ぎる大会とやらに一縷の望みに賭けてみるか。

 どうせ同じなら、最後まで抗ってみようと、舞はそう思ったのだった。 


「良かった」

『村正』を受け取った舞を見て、死神が嬉しそうに笑った。

「その武器、中々攻撃力は高いけど、引き取り手がなくて困ってたんだよ」

「…………」

「なんせ『呪い』の刀らしいからねぇ。それじゃ、また」


 死神は踵を返すと、気取った足取りで入り口へと歩き出し、ちょうど待ち構えていた大勢の警察官に連行され『禁煙防止』の『迷惑条例違反』でそのまま現行犯逮捕されていった。警察官は、舞の方を見向きもしなかった。どうやら彼らにとって、舞は幽霊に近い存在らしい。一人屋上に取り残された舞は、『村正』を手に、広がる星空を見上げた。


 珍しく星の見える夜だった。舞が生まれる前から、見えなくても、ずっと輝いていた宇宙そらだ。

 これほど舞の頭上で毎晩輝いていたというのに、生前は特に興味も無く、星を見ようとも思わなかった。

 今夜はその一粒一粒を、舞は食い入るように見ていた。


「…………」


 世界最強の、武器を決める、文字通り起死回生の大会。

 勝てば、望みが一つだけ叶う。

 死者が生き返ることですらも。 ……そうすれば、家族を助けることもできる。妹を一人遺して、このまま黄泉の国に逝くなんて、考えられない。


 事故で死ぬなんて、思いもしていなかった。まだ生きたい。

 興味のなかった星空ですら、これから死んでもう見れなくなってしまうのかと思うと、何だかとても愛おしい、美しい景色に感じられてしまう。星空だけじゃない。一体私は、この世界の何を知っていると言うのだろう? 蝶も、花も、そして恋も……この世のほとんど全てのものを、舞はまだ何にも知らずにいるのだ! 今月のお小遣いだって、まだ使い切れてないままだ……できることなら、まだ生きていたい。


 だがそれはきっと、他の参加者だって同じだろう。

 半死半生の参加者……皆、死に物狂いで向かってくるに違いない。


 望みを叶えたかったら……戦うしかない。


 舞は受け取った得物を鞘から抜き、その刀身をまじまじと眺めた。チャンバラごっこの模造刀とは違う。本物の刀を見るのはこれが初めてだった。『呪い』の刀……一体どんな『呪い』なんだろうか? 舞の腕の中で、『村正』がキラリと光った。彼女の頭上で、流れ星がゆっくりと横切って、東の空へと消えていった……。


 

『くすぐったい!』

「はい、できたよ」


『村正』が嬌声を上げ、舞は我に返った。あれほど血に塗れていた『村正』は、今や綺麗に磨かれていた。


「今月は……2ポイントか。重畳」

 泥梨が『スマート閻魔帳』を開いて、満足げに頷いた。

「どうだい? 宇喜多舞クン。大分戦いにも慣れてきたんじゃないかい?」

「フン……」

 鼻息を鳴らし、舞はそっぽを向いた。ポケットから苺味のチュッパチャップスを取り出し、口の中に放り込む。


「僕としても、自分の提供した武器が勝ち上がるのは、やっぱり誇らしいよ。キミは大会を通じて、半死半生の参加者にトドメを刺すことで、彼らを冥界へと送り届けているわけだ。こいつは傑作だ、ある意味死神よりも死神らしい働きじゃないか! もっとも、少々荒っぽい葬送だけど……」

「うるせぇよ」

 飴玉で頬を膨らませ、舞は低く唸った。


 初めの頃、舞は手痛い失敗をしてしまったことがある。


 殺すか、武器を壊すと1ポイント……それがWWWのルールだ。

事件は勝敗を決した後に起こった。相手の棍棒使いの青年に命乞いされ、舞は殺すのは忍びないと思い、棍棒を叩き割って1ポイントを手に入れた。彼女としてはそれで十分だった。何も殺すまでもない……そんな物騒な……だが、背中を向けたその瞬間、棍棒使いの青年は隠し持っていたナイフで舞を後ろから刺してきた……。


「裏ルールだね。壊すとポイントをもらえるが、敵から武器を奪い、攻撃手段を増やす。相手は死んだわけじゃないから、奪い返されるリスクもあるけど……月末に3ポイントあれば良いんだから、持ってるだけで保険にもなる。それも立派な戦略だ」


 棍棒使いは2つ武器を持っていた。命からがら逃げ帰り、後で舞が泥梨にその話をすると、彼はなんてことない、と言った具合に肩をすくめた。


 それ以来、舞は確実に仕留めるため、戦い終わったら相手の首を必ず斬り落とすことにした。

どっちにしろが成仏するだけの話だから、遠慮することはない。荒っぽかろうが何だろうが、こっちには気にしている余裕などなかった。


『神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬る』。


 相手が死ぬと、武器も自動的に煙のように消え去っていった。都合よく一気に2ポイント……とはいかないらしい。


「『武器よさらば』……と言ったところかな。実に平和的な大会だねえ」

「茶化すのも良い加減にしとけよ、コラ」

 舞がガリガリと飴玉を噛み砕き、泥梨を睨んだ。


「何が目的だ、テメーら。こんな胡散クセー大会……」

「とんでもない。僕はただのしがない『武器商人』だってば。何も目的なんて……」

「失礼」


 ふと、声がした。公園の前の人影が立っていた。

 上下真っ白なセーラー服を着た、背の高い少女。


 舞と同い年くらいだろうか。すらりとした体躯に、切れ長の目。青みがかった髪はまっすぐ腰あたりまで伸び、水色のリボンが風に揺れている。右腕には臙脂えんじ色の腕章が付けられていて、密陀僧薄い黄色の文字で『歩歩是道場』と書かれている。凜とした表情は、異性でなくてもハッと息をのむほどの美しさであった。


 そして現れた少女の手には、日本刀が握られていた。


「『正宗』……」


 舞がピタリと動きを止めた。その目は、現れた少女をじっと睨んでいる。

 木枯らしが吹き荒んだ。舞の腕の中で、『村正』がカタリ、と武者震いするのが分かった。

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