第二話:セーラー服とモーゼの杖

「哀れな子羊よ! 神の怒りを思い知れ!」


 老人が杖を高くかざすと、途端に風が吹き荒れ始めた。舞の視界が、徐々に縦に揺れる。


「何だ……!?」


 異変に気付き、舞は動きを止めた。足元がぐらつき、立っていられない。地震だ。老人が手に持った『杖』で、地震を起こしたのだ。みるみるうちに地面が割れ、ぱっくりと巨大な口を開けて舞を飲み込もうとしていた。近くに停めてあった軽自動車が、蟻地獄に落ちたかのように下へ下へと沈んでいく。


 小雨の降りしきる午後。郊外にあるショッピングモールで、次の戦いは唐突に起こった。人々の悲鳴が飛び交う中、村正が静かに口を開いた。


 あれは、モーゼの杖……旧約聖書で、紅海を割った杖、と言えばお分かりでしょうか。

牧羊家モーゼが、エジプトからユダヤ人を逃すために海に道を作った、あの杖です。

海を割る以外にも、

地割れや発火によって神に不満を持つ人を皆殺しにしたり、

『川の水を血液に変える』、

『カエルの群れを宮殿に呼び寄せる』、

『日食を起こす』

……など、数々の奇跡を起こしてきた伝説の……。


『……杖です。”魔法型マジックタイプ”の武器ですね。今回は分が悪いかも知れませんよ』


 舞の手の内で、村正が感情のこもらない声で敵の『武器』を解析して見せた。


 妖刀・『村正』。

 日本刀の代名詞であり、戦国時代の刀工・千子村正を祖として作られた刀の総称である。同じ時代の代表格『正宗』と比べると、華やかさには欠けるが斬れ味は抜群と名高く、武士の間では斬味凄絶無比と尊ばれた。


 現在の持ち主・宇喜多舞が手にしている村正は、

『妙法村正』

と呼ばれ、長さは約66cm、表に村正銘と共に『妙法蓮華経』と題目が切られているためこう呼ばれる。刀身には有難い彫刻が施されており、不動明王が何とやら、倶利伽羅が何とやら……つまりその鋭さでもって一切の煩悩を断ち切る降魔の剣、である。初代村正は敬虔な日蓮宗の信徒であったが、果たして今の所持者・舞がそれほど信心深いかどうかは、甚だ疑問である。


 舞は、斬れれば良い、と思っていた。

 『神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬る』。

 舞には、それだけだった。

(良く良くその教えを知れば、これは決して『殺し』を推奨している訳ではないのだが。要するに神だろうと仏だろうと、何事も『鵜呑みにするなよ』と言っているのである)


 煩悩を断ち切る気も一切無かった。


 悩み煩ってこその人間だろうが。舞はそう思っていた。むしろ何々信者だとか何々崇拝だとか、迷いのない人間ほど薄気味悪いものはない、とまで思っていた。何より舞が必要としていたのはその御利益アフター・サービスでなく、鋭さユーザビリティの方であった。あれほど篤信とくしんの初代に鍛え上げられた刀であるが、悲しいかな、道具は持ち主を選べないのである。


 神の奇跡を呼ぶ『モーゼの杖』

 と、

 百人斬りの異名を持つ妖刀・『村正』。


 もちろん戦いにおいて勝敗を分けるのは何も性能差だけではない。

 使用者の技量も存分に試されるのだ。


 一方の使用者である舞は、今まさに地割れに飲み込まれようとしていた。これも信仰の薄さ故だろうか。また一方の、聖職者の衣装を身にまとった老人が、ニンマリと顔を綻ばせた。恰幅の良い、白髪混じりの老神父だった。敵は少し離れた立体駐車場の屋上から、奇跡を起こす杖を手に踊り、慌てふためく舞を見下ろしていた。


「悪霊退散! あ、それ悪霊退散!」

「……ざァけやがって!」


 八重歯を尖らせ舞が吠える。彼女はカウボーイの投げ縄よろしく、腰に下げていた鞘をぶん投げた。するすると鞘の端に結ばれていた下緒さげおが伸びていき、鞘は屋上近くの照明器具に絡みついた。下緒の長さは通常五尺約2mだが、これは舞が特注で拵えた代物だった。引っ張ればゴムのように百尺約30mほどにも伸び縮みしようかという、萌葱もえぎ色の、頑丈な下緒であった。これで相手を縛り上げたり、アレしたりコレしたりしようと考えていたのだ。


『サゲオー!』

『さや姉ー!』

「ッうるっせぇぞ、刀ども!」


 投げられた下緒と鞘が、互いの身を心配しあって叫ぶ声がする。舞が足元の瓦礫を蹴った。

 今や足場は無きに等しく、駐車場には丸い大穴が開いてしまっている。落ちる寸前、ターザンの要領で、舞は壁際まで飛んで行った。その瞬間、駐車場は大きな音を立て、完全に陥没し崩れ去った。


「んなぁぁにが奇跡だ!」

 目を怒らせ、一度コキリと首を鳴らし、

「『川の水を血液に変える』……って、単なる嫌がらせじゃねえか!」

 舞は靴を脱ぎ、素足になった。


 雨でつるつると滑る壁の表面を両足で握り、下緒を命綱代わりに、上へ上へと登り始めた。まるで忍者……いや、もはや猿だ。全身から怒気を発するその姿は、目撃者がいればきっと現世に召喚された悪魔と見間違うであろう。


「ありゃ!?」

 てっきり地割れに飲まれて終わりとばかりに思っていた老人も、これには踊り狂うのを止めて、目を丸くした。


「こりゃいかん……ワシの信心が足りんかったか」

「クソジジイ! 今すぐそこまで行くから首洗って待ってろ!!」

「キェェェェェイッ!!」

 神父が杖を振るう。すると、『線』だった雨が集まって『球』になり、弾丸のように舞めがけて降り注いだ。


「……ぅおおおおッ!?」


 咄嗟に刀を構えるも、相手は水だ。とても防げるような攻撃ではない。思わず足が壁を離れる。空中に身を投げ出した舞に、ザクザクと水の弾丸が突き刺さって行く。


「ぉおおおアアッ!!」


 舞は落下しながら猫のようにくるりと身を翻し、『村正』で地面を斬った。

良く斬れた。掘り上げられた土砂が宙に舞う。衝撃をいなし、斬った勢いで体を回転させ、舞はそのままぐるぐると地面を転がった。落ちた場所が柔らかい地面の上、それに登り切れていなかった分、高さもそれほどではなかったのが幸いしたか。動きは辛うじて穴の手前で止まった。ガバッと起き上がると、舞はそのまま自動ドアへと突進した。


「クソが!!」

「痛みを感じないのか……?」


 全身から血を滴らせた少女が、鬼の形相で怒鳴り声を上げる。コンクリートに散らばる血の量は、屋上からも見えるほどだった。それでも勢いを失わない彼女の姿に、流石の『奇跡の老人』も、とうとう慄いた。

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