第U話 杏仁豆腐記念日

 瞼を開ける。上体を起こす。心地よい重みを伴う毛布を払いのける。スリッパを履く。顔を洗ったりあれやこれや。今日も朝のルーティンを完璧に終了し、今日も素晴らしい日々がいつも通り始まる……はずだった!

 ユニヴェルスは?ユニヴェルスはどこだ?一緒にモーニングを食べに行きたかったのに。


「おはようございます。お坊ちゃま」


 おはよう。それでその……申し訳ないけどあなたのお顔が思い出せないの。


「顔でしたら目の前にございます」


 お名前は何だったかしら。


「わたくし、企画顧問のバッコ・ブーガルーと申します。身長165cm、体重55kg、RINEの招待コードはこちらに」


 思い出したわ。あなた、企画部のバッコ・ブーガルーね。


「……左様でございます」


 社内でも全身ピンクファッションで有名。


「マジでございますか……」


 時に、朝からユニヴェルスを見かけないんだけど、何か知らない?


「ユニヴェルスはお手洗いに行っております」


 じゃあすぐ戻ってくるわね。


「いえ……戻ってくるのに1時間はかかりそうだと」


 何か悪いものでも食べたのかしら


「何か心当たりが?」


 というよりは食あたり?いつも通りヨーデルを食べたい放題に食べていたわ


「ヨーグルトでしょうか?」


 まあいいわ。心配するのはまた30分後にしましょう。


「かしこまりました」


 ユニヴェルス大丈夫かしら……


「舌の根びちょびちょでございますけれども」


 ところでバッコ、相談があるのだけれど。


「なんでございましょう?」


 突然の、脈絡のない質問にはなってしまうのだけれども、何か企画をするに当たってブレーキをかけてしまう、といった経験は無くって?


「確かに、企画という企画を企画するにあたり、自制して己がアイデアを殺してしまうこともかつてはありました。はたとひらめいたことであっても、さながら地動説を唱えた時のような気分に陥ることも」


 今は違うのね。


「はい、亡き旦那様が仰せられたことに、私の心は随分と救われました。曰く、『殴り書きでもよい、思うことはすぐに書かねばならない。レモンの楽しみ方には二種類ある、”炙り出し”と”齧り付き”だ』」


 おお。


「その日から私の中のガリレオ狩り令ははたと消え失せ、アイデアを推定有罪で消してしまうことは止めたのです」


 いい話だわ。私もついつい発泡レジンでいようとして、口をつぐんでしまうものだわ。


「八方美人?」


 十把一唐揚げとか言ったらきっと嫌われてしまうもの。


「ですがお坊ちゃまの語録集はベストセラーでございます。……主にネタ帳として」


 お話を書いてみたいのよ。


「お話ですか?」


 物語のテーマとか無くて、ただ登場人物が会話をするだけ……みたいな


「なるほど、中々に斬新ですね」


 ぼんぼりも点かないの。


「踏ん切りが利かない?」


 頭上に電球も灯らないし。


「なるほどわかりました。お坊ちゃま。ここは企画部として私が一肌脱ぎましょう」


 あなたのヌードはそんなに見たくないわ。


「……慣用句です」



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「それではお坊ちゃま。お話をお聞かせください」


 昔々あるところに、おじいさんとおばあさんとジョン・スミスが住んでいました。


「ジョン・スミス?」


 運輸省の役員なの。


「なるほど……」


 仕事ついでにお茶をいただいていたジョンは「スコーンを切らした」といって犬小屋に帰っていきました。

柴刈りと市長選を終え、やや疲れ気味の御老体二人の元に、突然の危機が訪れました!宇宙からやってきた人食いプリンが遂に里までやってきたのです!

おじいさんは叫びました。「杏仁豆腐の怪物だ!」


「何かと間違えてますね」


 甘い匂いと共に老夫婦に襲い掛かる巨大プリン!そこへ颯爽と現れたのは、ついさっきまで資格勉強に邁進していたジョン・スミスでした。

 ジョン・スミスは叫びました。「杏仁豆腐の怪物だ!」


「お前は間違えるなよ」


 おばあさんとおじいさんからプリンを引き剝がす事には成功しますが、しかし、プリンのぬらりとした動きに翻弄されるジョン・スミス!移動跡に残る粘液に足を絡める……プッ!


 「ご自身でお笑いになられないでください」


 ……ジョンの足を絡めるプリンであったが、実はこのような事態に備え、ジョンはおじいさんより秘密兵器をもらっていました。古代アングロサクソン語で『木片』……その名もスプーン。

約10cmのリーチの差を活かし、ジョン・スミスはついに勝利をつかんだのです!

 しかし……勤め先の運輸省にプリンバケツっぽい宇宙船が迫っていることは、ジョン・スミスにはまだ知る由も無かった……

 

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