第一章 駆け出しは如何様に書き出すか

第D話『重ね重ね申し上げますには』

 瞼を開ける。上体を起こす。心地よい重みを伴う毛布を払いのける。スリッパを履く。顔を洗ったりあれやこれや。今日も朝のルーティンを完璧に終了した。その所作たるや流麗な曲線美を誇る大理石製の彫像のように!


「おはようございます。おぼっちゃ……お嬢様」


 待って。初っ端から変なウソを始めようとしていない?


「朝5時55分からでございますね。しかし気持ちだけが先走っておられますセリーヌお嬢様。まだ朝のルーチンは7割しか終了しておりません」


 お早うユニヴェルス。起きただけで70%達成されるというのも驚きね。


「設定したのは他ならぬお嬢様でございますから」


 あ! ちなみに『ボクが地の文で喋ってるのは、実は病で喋れないなくて心で思ってることを何かで読み取ってるから』みたいな考察は無駄よ!


「ぶっちゃけると、ラジオドラマっぽい雰囲気を出したいだけでございます」


しかしユニヴェルス。その執事みたいな喋り方は治らないのかしら。それとその白髪のくせ毛も。ボクのことをおじょ


「執事言葉ではありません!」

 

 めっちゃ食い気味に言うじゃない。


「敬語にございます、お嬢様。それにこれ、くせ毛でも寝ぐせでもございません。そういう風にキメているのでございます」


 疑う余地なく執事言葉じゃない。それに、ボクのことをお嬢様って呼ぶのもやめなさい。


「髪のことは無視なさるので?」


 指導が必要のようね。ついでに言葉遣いも矯正しようかしら。


「『コーチ』でございますか」


 早速行きましょう。まだ未達成の3割を成しえるために階下へ降りて朝食をとるのよ。


「足元にお気を付けなさいませお嬢様。ただでさえツルツルの大理石の床が使用人により磨かれ、そのツルツルさに磨きがかかっています」


 よく存じているわ。毎朝のことだもの。


「行かれましょう。高地より低地へ」

「お嬢様、階段になさいますか? それともエレベーターになさいますか?」


 歩くのは億劫だわ。


「ではエレベーターにしましょう。我らが『Cell&Substitute財団』の全高1200mに及ぶ高さを誇る本社ビル内部での移動を快適かつストレスフリーに、そして潤滑に行うべく開発された我らがC&S財団製の昇降機は世界のどこよりも速いものですから……といっても他社比0.02秒とほぼ勘違いみたいな差ですが」


 どんぶりの銭比べね。


「どんぐりの背比べ?」


 0.02円は誤差よ。さて、0.02階行きのボタンを押しましょう。


「四捨五入すると……地上階ですね?」


 しばし暇ね。


「お気をつけなさいませお嬢様。手すりにお掴まりください……昇降機が急停止、もしくは急落下とか致すかもしれません」

 

 ちっともわが社のテクノロジーを信用して無いじゃない。


「どんなテクノロジーも運命には勝てませんので。その確率、ざっと半分」


 とんだどんぶり勘定ね……と、言ってる間に着きそうよ。


「お気をつけなさいませお嬢様。まもなく昇降機の扉が開きますが、開いた先でまさに使用人がびっしょびしょに床に磨きをかけていますから」


 ところで、なんで扉が開くときってチーンって言うのかしら


「オーブンレンジと同じでございましょう。などと申している間に、チーンと」


 扉が開くと……なんだこの純白のパンケーキは。これが使用人か。


「人間の使用人は解雇され転属となりました。今日からこのどんぐりぐらいの背丈の者が新たな使用人です」


 つまり、ロボット掃除機ね。しかも裏面にびっしりとモップの毛が生えているわ。


「持ち上げるのはお辞めくださいませお嬢様。その者……Cell&Substitute Foundation製自走式洗浄機 CLEANIA-IIIも下ろして~下ろして~と喚いております。黄色い声で」


 色は白いわね。


「お気に召しませんか?」


 愛嬌があるわね。


「そうでしょう。お嬢様が好きなパンケーキに似せてデザインされましたから」


 思い出した。それが最後の3割よ。


「お足元が濡れております。第三大食堂まで駆けようとするのはお止めくださいませ」


 嫌よ。だってユニヴェルス止めるじゃない。


「お嬢様がチョコソースでびしょびしょになさるからでございます!」


 パンケーキにはチョコソースをかけてこそよ。


「びしょびしょさえも、Cell&Substitute Foundation製自走式洗浄機 CLEANIA-IIIは似せてあるのでございます」


 皮肉ね。


「嫌味でございます、恐れながら」


 見て、ユニヴェルス。私たちが一番乗りよ。


「手を広げてくるくると回るのはおやめください」


 なぜ?


「なんとはなしに、危ないからでございます」


 なんとなくか。


「急ぐ必要などなかったのです。さっそくメイドを呼びましょう」


 やっぱり執事ごっこなのね。このごっこ遊びはいつ終わる。


「びしょびしょの件ですが、『びしょびしょは阻止せよ』と旦那様より仰せつかっております」


 パパ上が?


「他にも1984個の”決まり事”を仰せつかっております。『パンケーキをびしょびしょにするな』『就寝は必ず23時23分にせよ』『鉄は熱いうちに喰え』『クローバーは踏むな』『願いは星に』などなど机上で済むことから屋外活動まで幅広く」


 気になるわね。1984個というのは初耳よ。


「さて何をいただきましょうか」


 私は新兵器にしましょう。


「パンケーキでしょうか?」


 それ。


「若いころ私は毎日サメ肝油を一杯、初夏にはウミガメの卵を食べて激務に備え、力を養っていたものです。しかし」


 そんなのメニューにないわね。


 「なのでヨーグルトで代用いたします」


 できてるのかしら?


「パンケーキが焼きあがるまでお話いたしましょうか」


 話してちょうだい。


「お話します。今から1420年前、旦那様の更に先代の先代……ノウェアー・レイノルズ様はCell&Substitute財団の前身の前身となる組織を設立なさいました。現在同様に公共利益を目的とした共同体であり、国境線を股にかけ、支配、戦争、飢餓、死をこの世から根絶すべく尽力なさっておりました。」


 先が長そうね。


「その共同体が設立された時に共同体の秩序を維持すべく1040余りのルール、もとい規律を制定成されました。そのうちの243個の規律といくつかの遺言が現在の決まり事に引き継がれております」


 ユニヴェルス、パンケーキが運ばれてきたわ。


「規律は既に前述されているものでも内容に幅がございますね。一見ふざけているようにさえ見えるものでも、それは暗喩であり、メタファーであり、一種の寓話であり字義と含意が一致しないのであります」


 ユニヴェルス、ユニヴェルスのヨーグルトも運ばれてきたわ。


「『頭が白ければ白いものを食え』という規律もございます。これはリテラルに白色しか食せないという意味ではございません。白とは逆に……年を取った時には揚げ物とか茶色いものばかり食うなという……つまり体調管理に関する助言なのであります」


 ユニヴェルス、パンケーキが冷めるわ


「お聞きくださいお嬢様。『パンケーキをびしょびしょにするな』……これは明確に後継者が生まれたら適用せよと仰せつかっている一言ですが、これもまた健康を気遣われての一言なのではないでしょうか。セリーヌお嬢様はチョコレートソースにおける砂糖等甘味料類の含有量をご存じなのですか」


 どうして”チョコソースで”とは言い残さなかったのかしら


「違う可能性の…並行宇宙のお嬢様はハニーシロップもしくはメープルシロップでびしょびしょにしているものかと。時にお嬢様。野球のし過ぎと掛けまして甘党の末路と解きます」


 その心は?


「当分肩が痛いでしょう(糖分過多が痛いでしょう)」


 『鉄は熱いうちに喰え』とも言われている。てんやわんやと言ってる間に冷めてしまうわ。


「あれよあれよ?」


 それにボクはまだ16歳なのだからまだまだブラウンカラーを食しても良い年齢なのよ。それともユニヴェルス、その紅茶は茶色ではないと言うの?


「リテラルに読解するのは危険でございます」


 ユニヴェルス、その素敵な茶色の襟が乱れているわ。


「ブラウンカラーを正せと?」


 チョコソース、美味しいのに。やはりボクは変わった子なのかな。


「心配なさることはありません。お嬢様はC&S財団御曹司。ちょっと変なぐらいでちょうどよいのでございます」


 それ。確かパパ上が。


「変だと思うから変なのでございます」


 ユニヴェルス。


「どうなさいました」


 ……。


「パンケーキをフォークでおツツきにならないでください。オギョーギが悪いです」


 このパンケーキ、凍ってるわ。


でございますね」


 喋っているから冷めてしまったに違いないわ。


「そのエビデンスは?」


 なんとはなしに……。


「否定はできません」


 パンケーキが食べれないならケーキを食べればいいじゃない。なんとはなしに。


「代用できていましょうか、ナントワネット?」


 なんとはなしに……。


「えー、では、冷めてしまったので仕切り直しを」

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