24 スパークリングワインと泥酔男
寿司屋を出た3人は、そのまま5分ほど歩いた先にある孝太郎の店に入店した。薄暗い階段を地下に降りる。大きなドアをくぐった春が、わぁ、と声を上げた。
「広い……なんか、ギラギラしてますね……」
暗めの店内の天井にはブルーの照明。壁には白い照明が埋め込まれ、ソファは紺色、壁の一面が鏡張りになっている。春の感想に孝太郎は、はは、と笑った。
「まだ落ち着いている方ですよ。うちの店は。他の店よりこじんまりしてますしシンプルで」
「え! これでですか!?」
絵梨花は、そうだね、と相槌を打った。
「BGMうるさいとことか目がチカチカするところ嫌いだから、このくらいがちょうどいいかな。この店がうるさいのはシャンパンコールの時くらいで……あ」
絵梨花がこそっと孝太郎に耳打ちした。
「今日はシャンパンコールやめた方がいいんじゃない? 囲まれたらびっくりさせちゃうでしょ」
「お気遣いありがとうございます……あの、チョコレートサービスで持ってきますね」
「そのチョコの名前アルマンドって教えて春くんに誤魔化しておいてね」
そう言って絵梨花はクスッと笑う。席について、孝太郎が入店時に内勤に言っておいたアルマンド・ゴールドが運ばれてきた。孝太郎がシャンパングラスに注いでみんなで乾杯する。一口飲んだ春が、美味しい、と笑顔を見せた。
「シャンパンって生まれて初めて飲みました!」
そう嬉しそうに言った春に絵梨花は、うう、と目を覆った。
「夜の人間には眩しくて目が眩みそう。一緒にいればいるほど孝太郎が好きになった理由わかってきちゃった……」
「ね。春さんめちゃくちゃ可愛いでしょ」
そう眼の前ではっきりと惚気けた孝太郎に春は、もう、と注意する。
「春さんお水も用意しておきますね。飲みすぎないで下さい」
そう言ってグラスを取ってアイスペールから氷を数個入れて水を注いだ孝太郎を見て春が、ふい、と目をそらした。
「春さん?」
「すみません! なんかこうやって夜のお店でお仕事してる孝太郎くんがいつもと違う人に見えて!」
でしょー、と絵梨花が得意げな声を上げる。
「ね、店にいる孝太郎いいでしょ。ほら、もっと近くに座ってよく見て」
そう言って絵梨花は春を孝太郎の近くに座らせようとしたが春が、無理です、と断った。
「本当に、き、緊張しちゃって……なんでだろう、ごめんなさい。絶対変な感じになっちゃいます。孝太郎くん、いつもと違うから……」
「いつもとどう違うの?」
「かっこいい……から……」
そう小さな声で恥ずかしそうに答えた春に、はぁ! と声を上げた絵梨花が勢いよく天を仰ぐ。そんな絵梨花に春は、ごめんなさい、と謝った。
「せっかく配慮してくれたのに、気を悪くさせちゃいましたか?」
「いえいえ……むしろめちゃくちゃ気分がいい……石油王の気分だよ」
内勤が孝太郎に耳打ちしてきて、すみません、と孝太郎が言った。
「少し抜けます。すぐに戻れると思いますが」
絵梨花は斜め前の卓を一瞥して、はいはい、と慣れた様子で手を上げた。
「春くんは私に任せておいて」
席を立つ孝太郎の服を掴み、耳打ちした。
「アナルセックスのやり方教えとくね」
「ちょっと!!!!!!」
ぎょっとして大きな声を上げた孝太郎に、冗談よぉ、と絵梨花は可愛らしく小首を傾げた。席を立った孝太郎は、そのまま斜め前の卓に行った。絵梨花が春に説明する。
「あれはたぶん初来店のお客さん。で、視界に入った孝太郎を『あの人かっこいい! 呼んで〜!』ってなったのね」
孝太郎が2人組の女性の正面に座ると、キャー、と歓声が湧いた。春は、なるほど、と相づちを打ちながら少しモヤモヤしていた。ゲイだとわかっていても女性にモテている孝太郎を見ていると恋人として複雑な気分になる。そんな春を見透かしたように絵梨花は、大丈夫よ、と笑った。
「すぐに戻ってくるよ。初めて来た人にはいろんなホストがぐるぐるとたくさんつくの。誰か気に入る人いるかなーって」
「なるほど……」
絵梨花は、そうだ、と思い立って春になにやら耳打ちした。春は初めて聞く言葉に首を傾げつつ、後で孝太郎くんに言ってみます、と答えた。絵梨花の言ったとおり孝太郎はすぐに席を立ち、絵梨花と春の元に戻ってきた。絵梨花はにやんと笑って孝太郎に声をかける。
「おかえりなさいイケメンさん」
「からかわないで下さいよ」
「初回でしょ。どうだった?」
「どうもこうも。ゲイだって自己紹介したら心のシャッター閉まったのが見えました」
はは、と絵梨花が笑った。
「そこがいいのに。その良さがわかんないなんて、おこちゃまね〜」
「いや、おれが悪かったです。どうしてもこっちに早く戻りたくていつにも増して雑なカミングアウトしてしまいました」
「やだ〜。彼氏のこと心配だったの? いつもなら少し抜けるだけでもすぐヘルプつけるのに今日はつけなかったし」
ヘルプとは、指名外の他のホストのことだ。お客さんを退屈させないため、卓を抜ける時には代わりに誰かを席につけるのがルールだ。孝太郎が絵梨花に謝る。
「すみません……万が一ヘルプの人が春さんに失礼なこと言ったら嫌だなって思ってしまってつい……」
「いいのよ〜。私も今日は他の子より春くんと話したかったし、だって他の子はいつでも店にいるけど春くんは今日しかいないでしょ」
春の隣に戻った孝太郎は春に、何話しました? と尋ねる。
「あ……お店の仕組みとか教えてもらっただけですよ」
「そうそう。お店の、ね。春くん、孝太郎にアレ言ってくれる?」
「アレ?」
孝太郎が首を傾げる。春は、はい、と答えて孝太郎に言った。
「孝太郎くん、ぼくにショカイマクラして下さい」
「ッな……!」
仰け反った孝太郎は後ろの壁に、ゴン、と思い切り頭をぶつけた。痛た、と蹲った孝太郎に春は、どうしました、と慌てる。孝太郎は絵梨花に注意する。
「何てこと教えてるんですか!!」
「ごめぇん。でも意味は教えてないから、ね」
「当たり前です! 春さん2度と言っちゃいけませんよ」
初回枕してとは初めての来店で枕営業、つまり自分とセックスしてくれという意味だ。春はおずおずと孝太郎に尋ねた。
「変な言葉でしたか?」
「いえ、あの……言葉が変なのではなくそういう行為がよくないといいますか……あの、でもおれはそんなのしたこと無いですから。1度も、これからも無いです」
孝太郎の勢いに圧倒されつつ春はよくわからないまま、わかりました、と答えた。
「絵梨花さん、もう変な事教えないで下さいね」
そう話しながら、孝太郎は春のグラスに氷と水を足して水滴を拭く。それだけではなくテキパキとチョコのゴミなどを片付けてテーブルを綺麗にしていた。そんな慣れた様子の孝太郎を春は感心したように見つめる。
「春さん?」
「ッすみません」
慌てて春が孝太郎から目をそらす。絵梨花が、見てていいのよ、と春に言った。
「いっぱい見てあげて。孝太郎は春くんのこと大好きだからかっこいいって思われるのすっごく嬉しいの」
「絵梨花さん……恥ずかしいですって。意識してグラス割っちゃいそうです」
絵梨花が、お手洗い行くわ、と席を立つ。
「孝太郎はついて来ないで。そこに2人でいて」
じゃあね、と絵梨花は内勤に案内されながらトイレに向かう。席で2人きりになったタイミングで春が、あの、と孝太郎に声を掛ける。ヒソヒソ話するような格好をされたので何かと思って孝太郎が耳を傾けたら春はひっそりと言った。
「帰ったらキスしたいです」
孝太郎は、も〜! と声を上げてソファに倒れ込む。
「なんでそんなん今言うんですかぁ!」
「あ、ごめんなさい仕事中に……孝太郎くんが仕事中なの忘れちゃってました」
「そうじゃなくてそんなん言われたらすぐ……したくなるやないですか」
そう言って孝太郎がテーブルの下でこっそりと春の手を握る。春は、駄目ですって、と孝太郎を叱る。
「絵梨花さん、お手洗いから戻ってきますよ」
「戻ったら離します」
「もう……って、わ!!」
なにげなく後ろを見た春が驚いた声を上げて振り払ったので何事かと思った孝太郎が振り返ると、後ろの卓にお手洗いに行ったはずの絵梨花がこっそりと座っていた。絵梨花は可愛く、ごめぇん、と謝った。
「今2人っきりになったらイチャイチャするかなーと思って、トイレ行くふりしてぐるっと回って後ろに隠れてたの。ふふ。ふふふ」
本当にお手洗い行ってくるね、と笑いながら絵梨花はトイレに行った。春が、ごめんなさい、と孝太郎に謝った。
「孝太郎くんのお客さんに変な会話聞かせてしまってごめんなさい! 不快になってないでしょうか」
「その心配は……ないですよ」
腐女子の絵梨花は不快になるどころか、かなり上機嫌だった。本当にお手洗いから帰ってきた絵梨花が2人に言った。
「全然気を使わずいつも通りにしててね。2人でおうちデートしてる時みたいに。手も繋いだままでよかったのに」
「……すみません」
そう恥ずかしそうに謝った春に絵梨花は、いいのよ〜、と笑顔を見せる。
「ポッキーとか頼もうか?」
「絵梨花さん変なこと考えてますよね。しませんよ。春さんが嫌がります」
孝太郎がはっきりと断ると絵梨花は、もっとベロベロにした方がいいのかな、と口にする。ぎょっとして孝太郎は止めた。
「もうすぐワンセット終わるのでそれで春さんは帰らせます」
「春くんラストまでいてくれたらアルマンドあと2本」
「絵梨花さん、それはやりすぎです!」
それをやると今日の会計が100万円を余裕で越えてしまう。慌てて断った孝太郎に絵梨花は、違うの、と声を上げた。
「だって今帰らせたらこの夜の歌舞伎町の1番治安悪い時間帯に春くん置き去りになっちゃうじゃない! こんなピュアな子が! どうする? 道間違えて2丁目に行っちゃったら……」
孝太郎が顔をしかめて、早退して送って帰ります、と言ったので慌てて春は止めた。
「帰れますよ1人で!」
「少しお酒入った状態で、この酔っぱらいと客引きが溢れてる道を1人で、ね」
孝太郎は、うう、と頭を抱えた。そんな孝太郎に絵梨花は耳打ちした。
「深く考えないで。全員win-winだから。孝太郎は売上上がって、春くんは安全に帰れて、私は酔ってしまった推しカプを見たいの、お願い。ここまで来たらそれ見るまで帰れない。ね、一緒に帰るなら少々酔っても平気じゃない。ね、ね、ね!」
孝太郎は、おそるおそる、聞いた。
「あの……春さん、お仕事の方は大丈夫ですか?」
「それは平気ですけど、でもずっといたらお会計すごく高くなっちゃうんじゃないですか」
そう心配そうにする春に絵梨花は、大丈夫よ、と答える。
「今日のために先々週バースデーイベント頑張ったんだもん」
「お誕生日だったんですか?」
「誕生日は先々月なんだけど他の子との兼ね合いで先々週が私のイベントだったのよ。だから、ね、ね」
そう圧をかける絵梨花に孝太郎が、わかりました、と折れる。絵梨花は、やったー、と立ち上がった。そして絵梨花は40万円のアルマンドを追加で2本頼もうとしたが、それは孝太郎が止めた。
「嬉しいですが、やりすぎです。アルマンドじゃなくてマバムにしませんか? フレーバーも多いし朝まで楽しく飲めますよ」
マバムというのは甘口のスパークリングワインだ。1本40万円のアルマンドとは違い、1本5万円と抜き物の中では安価なお酒だ。
「いいの? 今日は春くんまで巻き込んでいっぱいわがまま聞いてもらってるし特別に、と思ったんだけど」
「無理して欲しくないんです。絵梨花さんとはこれからも長くお付き合いしたいので」
孝太郎がそう言うと絵梨花は、わかった、と笑った。
「じゃあマバムのパッションとモヒートとライム持ってきて! 今日は朝まで3人で飲むわよ〜!!」
「あ、モヒート! ぼく好きなやつです」
目を輝かせた春に絵梨花も、よかった、と笑う。
――…結局絵梨花はマバムを計4本入れた。孝太郎と絵梨花は楽しく酔っ払い、自然と春が介抱役に回る。散らかったテーブル席で春は、駄目です、と隣の孝太郎を小声で叱る。
「なんでそんなん言うん、春さん……おれこんな好きやのに……好き、好きです、ほんまに好きなんです」
ベロベロに酔った孝太郎はさっきから春への愛をこれでもかというくらい訴え、春を抱きしめようとしている。それを春はなんとか食い止めていた。
「ッ……絵梨花さんが動画撮ってますから……孝太郎くんが後で恥ずかしくなっちゃいますよ」
スマホのカメラを2人に向けた絵梨花は、気にしないでー、とご機嫌にけたけた笑っている。
「なんであかんの……春さぁん……おれのこと好きやないんですか。ほんまは絵梨花さんみたいな可愛い女の子の方がええんですか?」
「キャー! 浮気相手になった気分! 続けて!」
スマホ片手に脚をバタバタさせながらはしゃぐ絵梨花を尻目に春は孝太郎を押しのけながら半ばヤケに言った。
「好きですって、孝太郎くんが大好きです。だから止めるんですよ。黒歴史になっちゃいますから……!」
「黒歴史になんてなりません。だっておれが春さん大好きなんほんまの事ですもん。おれ人生でこんなに好きになったことないんです。好きです。大好きです」
そう言って春の頬を愛しげに撫でてじっと見つめる孝太郎を絵梨花はずっと動画に収めている。
「顔がいいので離れてください!!!」
そう言って抵抗する春は孝太郎に水を差し出す。
「ほら、飲んでください」
孝太郎は春を見つめながら、飲ませて、と少し掠れた声で甘える。も〜! と春は声を上げる。
「孝太郎くん酔ったらいつもこんないやらしい感じになるんですか!?」
ハッとして絵梨花は慌てて孝太郎のフォローをした。
「今日は特別よぉ〜。こんな孝太郎見るの初めてなんだから! 彼氏がいるから気が緩んじゃったんじゃないかな」
春が満更でもなさそうに、もう、と呟いたので絵梨花はホッとする。そうこうしているうちに閉店時間が近づき、照明がほんの少しだけ明るくなった。会計の金額を春に見られないように絵梨花はこっそりと離れて支払いを済ませる。席に戻ってきた絵梨花に春は、ごちそうさまでした、と恐縮しつつ頭を下げた。
「いいのよ〜。こちらこそごちそうさまでした」
そう絵梨花は春にご機嫌に言った。絵梨花の目の前では、腰に甘えるように腕を巻き付かせた孝太郎が春の膝の上ですやすやと眠っている。その姿を絵梨花は連写で撮っていた。春はおずおずと絵梨花に言った。
「……あの、その写真……1枚もらってもいいですか?」
「いいよ〜i phone? 1番よく撮れてるのエアドロップで送るね」
そう言って絵梨花は春に写真を送った。
「ありがとうございます」
そう言って嬉しそうな表情を覗かせた春に絵梨花は、可愛い、と悶える。帰宅して昼過ぎに目覚めた孝太郎は、絵梨花からラインで送られてきていた大量の動画で自分のやらかしを知り、1人悶絶した。しかし絵梨花から一緒に送られてきていたテンションの高い感謝の長文ラインを読んだら、まぁいいか、と思えたのだった。
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