25 モヒートとゲイバーのママ
孝太郎の行きつけのゲイバーがあるなら行ってみたい、と春が言ったのは先週のことだった。孝太郎はそういうところに春を連れて行くのはあまり気が進まなかったが春が言うなら、とGREENに向かう。店に入る前は緊張した様子の春だったが、店内が小ざっぱりと綺麗で明るいのを見てホッとした様子だった。孝太郎と春が連れ立って入店したのを見てママが、あらぁ、と声を上げた。
「こーちゃん可愛い子連れてきたのね。こんばんは」
春は慌てたように、ぺこり、と頭を下げる。孝太郎はママに春を紹介した。
「おれの……彼氏。春さん」
孝太郎の初彼氏と知ったママが、まー! とはしゃいでみせる。
「やだ〜! おめでとうこーちゃん。かわいい! 春ちゃん、お祝いに1杯奢るから好きなの飲んでね」
「ッあ、ありがとうございます」
孝太郎は出勤前なのでいつもの炭酸水にライムを絞ったドリンクを頼む。春はモヒートを頼んだ。すかさず孝太郎が忠告する。
「春さん、おれ仕事で一緒に帰れないから1杯だけにして下さいね」
「あら、こーちゃん厳しいのね」
そんな2人のやり取りを見たママは気を利かせて、チェイサーの水も一緒に春に出した。孝太郎はママに言った。
「だって春さん大事だから……。酔った状態で1人で帰すとか絶対嫌なんです」
そう言った孝太郎にママは、ま、と声を上げた。
「嬉しいわー。デレてるこーちゃん見るの初めてよ。恋人なんて連れてきたことなかったし、こういうお店でもすごく真面目だったのよ。飲み方綺麗だし、モテるのに全然遊ばないし」
「おれ、この店に初めてきた時にはもう春さんのこと好きだったから」
「やだー、片想いが成就したの? 素敵ー!」
孝太郎とママのやりとりに春は恥ずかしくなり、赤くなる。ベロベロに酔って甘えたあの1件以来、開き直ったように孝太郎は春への好意を包み隠さない。毎日好きだとまっすぐに伝えて甘えてくるようになった。春はそんな孝太郎に照れて、上手く応えられないでいる。緊張して早々とグラスを空けてしまった春がもう1杯頼もうとすると孝太郎が止めた。
「駄目です。モヒートにハマったならおれがミント植えて毎日家で作ってあげますから今は飲まないでください」
そこまで言われては、と春は引き下がった。孝太郎は言った。
「本当はおれが休みの日に来れたらよかったんですけどね、ここの店休日おれの店と同じで日曜日なんですよ」
なるほど、と頷いた春はもう少し酔っていて鎖骨の下まで赤く染めている。目も、とろん、として無防備になった春に孝太郎は水を飲ませる。そして時間を確認して、このくらいなら帰すまでに酔いを醒ますことができるな、と計算する。孝太郎は人目を避けるように奥のテーブル席に春を誘導した。
「あ……ぼくカウンター席がよかったです。まだママさんと話したい……」
駄目です、と孝太郎は春に言った。
「今酔ってちょっといやらしい顔になってるから、醒めるまであっち行くの駄目です」
「そんな顔してません!」
「してますよ……」
孝太郎は小さくため息をついた。春は見目がよくなった今でも中身は以前と変わらないままだ。ゆえに自分が人の目を引くなどとは露ほども思っていない。かっこよくなった見た目と無防備な性格のギャップのアンビバレントさが危なっかしい色気になっていた。少しアルコールの入った今なんてもうあと一押しで持ち帰れそうな風情だった。
「お願いします。他の男に今の春さんの顔見せたくないんです。おれだけに見せてください」
そう言われては春は小さくなって、はい、と答えるしかなかった。水を飲ませてしばらく休むと春の顔色は落ち着いていった。
「じゃあ、そろそろ出ましょうか」
そう言った孝太郎に春は、え、と声を上げた。
「どうしてですか? まだ出勤まで時間ありますよね?」
春の言う通りだったが、さっき入店してきたゲイが春をチラチラ見るのが孝太郎は不快になっていた。理由をあまり言いたくなくて口ごもる孝太郎に春は、もう少しいてもいいですか、と尋ねる。
「ぼくまだその……ママさんと話したくて。もし同伴とか後の予定があるなら孝太郎くんこのまま置いて行っちゃって大丈夫ですよ」
は? と孝太郎は声を上げそうになった。今も孝太郎の視界に春をチラチラと見る男が入ってきて、孝太郎は春と距離を詰めて牽制した。
「あ、それかまた今度、1人で来てもいいですか? 1度一緒に来てくれたからもう平気です」
そうあっけらかんと言った春に孝太郎は、絶対やめてください、と怒った。強い言い方をされて驚く春の腕を引っ張り、会計を済ませて強引に店の外に出る。外に出てから孝太郎はぽつりと、怒ってごめんなさい、と謝った。
「あの……やっぱり春さんにはあまりゲイバーにいて欲しくないです。他の人にジロジロ見られて欲しくないんです。心狭くて、うっとうしい事言ってごめんなさい。でも本当に嫌で……」
話しながらシュン、としてしまった孝太郎に春は言った。
「いえ! すみません。孝太郎くんが嫌がってるの気づかなくて! やめます、行きません」
「ごめんなさい……束縛するようなこと言ってしまっておれのこと……呆れました?」
え、と春は声を上げて慌てて否定する。
「無いですよ。孝太郎くんを呆れる要素ないです! むしろぼくが孝太郎くんが嫌がってるの気がつかなくてごめんなさい! こちらこそ呆れないでください。その……好きなので」
春が、好き、と言うと孝太郎は頬を赤らめた。
「わかりました……」
「ごめんなさい。怒らせたのに不謹慎かもしれませんが、ちょっと嬉しいです。初めて嫉妬されちゃいました」
えへへ、と笑う春に孝太郎は言った。
「初めてじゃないです。言わないだけでいつも嫉妬してますよ! 我慢してるだけです。でも今日はお店の人みんな春さん見てるから我慢できませんでした……」
「ええ……どう見たって孝太郎くんの方がかっこいいし他の人も見てましたよ……今日はいつにも増してキラキラしてますし……」
今日の孝太郎は普段はあまりつけないゴツいネックレスや指輪などもつけている。派手な髪型や服装とあいまって完全に夜の男にしか見えない。
「だって春さんとの夜のデートだから……かっこいいって思われたくて」
「かっこいいですよ。めちゃくちゃかっこよくて見惚れました。ぼくの、自慢の恋人です」
そう言った春の手をそっと引いて、孝太郎はすぐ近くの雑居ビルにずかずかと入っていった。そしてビルの裏口の扉を開けて、狭い路地に出る。
「孝太郎くん?」
いきなりよくわからない道に連れてこられて首を傾げた春に孝太郎は言った。
「バイバイする前に……キスしてもいいですか。外でこんなこと言ってすみません。でもこのあたりならその、人来ないので……駄目ですか」
「ッえ!」
春がぎょっとしてあたりを見回す。ここはお店の裏口が密集していて確かに人の気配はないが屋外だ。戸惑いを見せる春に孝太郎は申し訳無さそうに、ごめんなさい、と謝った。
「すみません、やめます。戻りましょう」
そう言って踵を返そうとした孝太郎のシャツを春は掴んで、引き留める。そのまま春は孝太郎を引き寄せて、抱きついた。孝太郎はそんな春の頬を優しく撫でて、伺いながらそっと口づけた。拒絶しなかった春にそのまま何回も、口づけを交わす。そして数回目のときに春は、もう、と孝太郎の胸を押した。
「終わりです! ほら、行きましょう」
元の大通りへと歩きながら孝太郎が、すみません、と謝った。
「やりすぎましたよね」
「そうですよ。外ではもうしません」
謝ろうとした孝太郎に春は付け加えるように言った。
「もっとしたくなっちゃって……困ります。朝まで帰ってきてくれないのに」
思いがけない言葉に孝太郎が驚いていたら、春は意を決したように、あの、と切り出した。
「ぼくが今日ゲイバーに行きたいって言ったのは……男性同士でキスより先は何をするものなのかママにご教授願おうと思ったんです」
春の言葉に孝太郎は慌てた。
「ッえ、なんでそんなこと……知らなくていいですよ、そんなの! あんまり、その……綺麗なことじゃないですし」
「孝太郎くんはぼくとの交際でキスの先は考えてないんですよね?」
「もちろんです」
そうはっきりと答えた孝太郎に春は唇を尖らせて言った。
「ぼくは……してみたいです」
「……え?」
「でも孝太郎くんがしたくないなら……いいです」
春の言葉に孝太郎はぽかん、としてしまった。フリーズした孝太郎に春は、もう帰ります、と言って孝太郎の先を歩き出す。孝太郎は春の手を強く握って引き留めた。
「い、今の話また仕事終わってから、家で落ち着いてしたいです。いいですか?」
春が、こくん、と頷く。そんな春の手を握って孝太郎は言った。
「駅まで送ります! 2丁目のエリア出たら手、離しますから今だけ……」
春は気恥ずかしそうに頷く。手を繋ぎ隣を歩く孝太郎は春の手を強く握る。その繋ぐ手の力強さに、帰宅後の話し合いがどのようなものになるか春は察して頬を赤らめた。
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