28 パフェと初めての男

「単行本の発売おめでとうございます〜!」


 そう円香は拍手とともに盛り上げたが向かいに座る春の笑顔はなんだか曇っている。円香はたまらず、尋ねた。


「あの……もしかして彼氏と何かありました?」


 春はプライベートがもろに仕事に影響する性質たちだ。ここ1週間締め切りを破ることこそなかったが非常に仕事の進みが遅くリテイクやミスが増えているので円香は気になっていた。春は言った。


「いえ、順調です……」

「先生……笑顔が引きつってます。もうどうせ隠せないんですし遠慮なく! 私に愚痴っちゃって下さい!」

「でも仕事に関係ない事なのに……」

「いーんです! 悩み事さっぱり解決して執筆に集中しましょう! それが1番です!」


 円香が、経費ですので遠慮なく、と言って春の目の前に大きなパフェを注文した。パフェのバニラアイスをすくって食べながら春は、狐塚明の事を円香に打ち明けた。孝太郎の昔の先輩が引っ越してきたこと、彼はバイセクシャルであること。さらに職場が同じで毎日一緒に通勤していること。円香は楽観的に答えた。


「ただの友達じゃないんですか?」

「でも初対面の時にその人いきなり孝太郎くんの手を握ってきたんです。しかも大阪からわざわざ隣に引っ越してくるなんて……特別な好意があるみたいに見えて……」

「え! う、うーん……でもそれってそうだとしても一方的な好意なのでは!?」


 そう円香は孝太郎のフォローをした。春は、確かに、と頷く。


「孝太郎くんは手を握られてもすぐに振り払ってましたし、ぼくのこともちゃんと恋人だって紹介してくれました。それにプライベートの時間は全てぼくと過ごしてます。やましいところは無いみたいなんですが、でも……自信がないんです」


 そうぽつりと弱音を吐露した春はさらに続けた。


「彼はバイセクシャルだと言ってました。たぶんぼくよりももっとうまく、孝太郎くんと付き合えると思います。ぼくは年上のくせに経験値も低くて頼りないからいつも孝太郎くんを不安にばかりさせてしまって……」


 ぐるぐると悩む春に円香はキッパリと言った。


「不安にさせてしまうのは、それだけ守屋さんが先生を好きだからです! 好きだから不安になるんです。私、BL・GL・少女漫画で履修しましたよ。好きじゃなかったら不安になりません」

「それは……嬉しいんですけど……」


 まだ腑に落ちない様子の春に円香はさらに言った。


「バイセクシャルの彼なら守屋さんと上手く付き合えると先生は言いますが、当の守屋さんにその気無いんじゃないですか!? だってもしそうなら大阪時代に付き合ってると思います。にも関わらず付き合っていないということは、昔からその狐塚という男の一方的な好意では?」

「……確かに孝太郎くんからあの人へのアクションは何も無いですね……行き帰りもいつもあの人から誘っているみたいですし」


 少し気分が浮上した様子の春に円香はさらに言った。


「先生はドーン、と構えてたらいいんです。今お隣さんに愛されて付き合っているのは先生なんですから。守屋さんモテそうですし、そういう一方的な思いを寄せる男の1人や2人、いても変じゃないです」

「……そうですよね!」


 パフェを食べる春のスピードが軽快になったので、円香はホッとした。そしてさらに付け加える。


「先生、ご存知でますか? 印税って刷った分だけ入るので、もうすぐまとまったお金の振り込みがあるんです」

「あ、そうなんですね! ありがとうございます」


 深々と頭を下げた春に円香は言った。


「そこで、リフレッシュ兼ねて彼氏と旅行でも行ってきてはいかがですか? その気がかりな男と同じハイツに毎日いては気詰まりにもなりましょう。離れたところで温泉に入って、美味しい食事を食べて、浴衣を着て、2人誰にも邪魔されずゆっくりまったりラブラブと。どうでしょう!?」


 春の瞳がキラキラ、と輝き出した。円香はダメ押しで付け加える。


「そんなこと守屋さんとできるのは彼氏である先生だけです。所詮その大阪男は通勤するだけですから」


 スプーンを置いた春はテンション高く返した。


「いいですね……旅行! 孝太郎くんへの日頃のお礼にもなりそうだし」

「愛も深まります!メロメロ間違いなしです」


 明日言ってみます、と春はにこにこと微笑んだ。春のテンションを上げることに成功した円香は担当編集としてホッと胸を撫でおろして打ち合わせを再開した。



 ――…喫茶店で円香と別れ、ハイツに帰ろうと春が駅の近くを歩いていたら、たまたまコンビニから出て来た明と春は鉢合わせした。パッと目をそらして早足で行こうとした春に明は、こんにちはー、と間延びしたイントネーションで声をかけてきた。無視できず春が挨拶を返すと明が隣に並んだ。


「一緒に帰りーましょ。あ、GLOW吸ってもええ?」


 そう言って明は買ったばかりの電子タバコを咥えて春の隣で吸い始めた。慣れない匂いに眉をひそめる春に構わず明は言った。


「いや〜初対面の時はごめんなぁ。失礼な感じだしてしもて。まさかコタローがガチで付き合ってる相手やと思わへんかったから。だってノンケなんやろ?」

「そうですけど……でも孝太郎くんの事はちゃんと恋愛の意味で好きですから」


 そうきっぱりと言い返した春に明は、へぇ、と感嘆の声を上げた。


「すごいなぁ。おれ一応バイセクシャルやけどゲイよりやからその気持ち全然わからんわぁ。女なんか仕事以外で抱く気ならんもん。でも君は違うんやろ」


 はい、と答えた春に明は当然といったように聞いた。


「コタローのちんこしゃぶってあげられるんよな?」

「ッえ……」


 白昼の往来でいきなりそんな話をされてぎょっとした春があたりを気にすると明は言った。


「別にまわりなんか聞こえてへんわ。で、どうなん」

「どうって……」


 孝太郎の事は好きだが自分がそういうことをする想像をしていなかった春は困惑して口ごもる。明は、え、とわざとらしく驚いてみせた。


「まさか無理なん? セックスもヤらしたらん上にフェラも無し? コタロー可哀想やな〜」

「……あなたには、関係ないです」


 そう春が言うと明は、ふー、と長く煙を吐いた。


「おれはあいつのこと心配してるんよ。コタロー大阪おった時の失恋ずっと引きずってたからな。思わせぶりなノンケに振り回されて傷ついてたわ。まさかまた同じことされてんちゃうやろなーって気になってんねん」

「……ぼくはそんなことしてないです。本気で好きですから」


 そかそか、と明は笑う。


「ほな我慢してフェラ抜きくらいしたれや。ちんこ咥えてしゃぶったり。それくらいせな浮気されんで。ただでさえあいつ、君の身体好みちゃうのに」

「え?」

「いや、あいつが大阪の時好きやったやつは背ぇ大きい運動部の体育会系の男やったからだいぶ毛色ちゃうやつと遊んでんやなぁ思っててん。まさか君が本命や思わんかったわ。だって……なぁ」


 そう言って明はバカにしたように春をジロジロと見る。春は背が小さく、かなり華奢だ。食べても太らない代わりに鍛えても筋肉がつかない。実は春は自身の体格を少し気にしていた。春が行った2軒のゲイバーの客はガタイがいい男の率がかなり高かったからだ。


「ゲイの人って……ガタイがいい人の方がいいんですか」


 たまらず春がそう聞くと明は、そらそうや、と笑った。


「華奢で小柄な男抱くんやったら別に男いかんでも女でええがな。大きくて筋肉あるのがええからゲイなんちゃうの」


 春は孝太郎との初対面の時に1度全裸を見られている。春が華奢だと知った上で好いてくれているのだから大丈夫と思いたい反面、孝太郎も本当はそっちの方がよかったのではと考えてしまう。明が言った。


「君、落としやすそうやな」

「え?」

「コタローが何で君いったかわかったわ。手近で落としやすいからやろ。あいつヘタレやからなぁ。無理めなん狙って傷つくん嫌やったんやろ。君ノンケやけど女にモテへんやろ。せやから男にでもチヤホヤされたらすぐのぼせそうやん」


 否定できないようなことを言われて春はカッと頬が熱くなる。


「……もう、先に帰ります」


 そう言って明を振り切るために歩くスピードを上げた春を追いかけて明は言った。


「なー、コタローに聞いた?」


 無視してハイツの階段を駆け上がり急いで自分の家の鍵を開けようとする春に追いついた明は、春の背中から追い打ちをかけるように言った。

 

「おれ大阪おる時にコタローとセックスしてたで」

「ッえ……」


 びっくりした春がカシャン、と鍵を落とす。明がそれを拾って春に持たせた。


「コタローの童貞もらったんおれやねん。聞いてなかった?」


 動揺して何も言えない春に明は言った。


「早くヤらしたらな浮気するで。気持ちいーことしたことある男がすぐ隣に住んでんねんから」


 険しく顔を引き攣らせた春を、明はさらに煽った。


「まぁヤれへんのやったら仕方ないわな。ノンケにはハードルめちゃくちゃ高いやろし。そこまでできへんのやったら早く別れたり。傷が浅いうちに別れてやるのがあいつのためやで。な」


 春はふと、告白のときにプラトニックは無理だとか本当に大丈夫なのかなどと何回も念を押された事を思い出す。バイバイ、と笑って明は自分の家に戻っていった。春は家に帰ってから、鍵を玄関に乱暴に投げ捨てた。狐塚の一方的な好意じゃなかったこと、孝太郎がただの先輩だと嘘をついたのが春はショックだった。夜、孝太郎からラインが来ていたが春は初めて未読のまま無視した。


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