22 タコライスと姉御
孝太郎に春と付き合えた事を報告された果歩は素直に祝福した。しかし、ありがとうございます、と答えた孝太郎はなんだか笑顔が冴えない。気になった果歩が問い詰めると孝太郎は白状した。
「いや……実は……幸せを感じるどころか気づけば3キロ痩せてました……」
なんでよ、と果歩が突っ込む。孝太郎は俯いてシャンパングラスを回しながら、答える。
「毎日……フラれるかとドキドキしてるんです……この1か月でフラれる夢もう5回は見ました」
「どういうこと?」
「実は春さんが……その、テレビで可愛い女の子が出てる時によく見ているのに気づいてしまって……春さん本当は女の子が好きなのにそれがなんでおれと付き合ってくれているのか日に日にわからなくなって……」
あらあら、と果歩は呆れたように言った。
「エッチはまだしてないの?」
そう尋ねられた孝太郎は、するわけないじゃないですか……、と真っ赤になって頭を抱えた。ふふ、と口元を隠して果歩は笑う。
「すればいいのに」
「無理ですって……付き合った日以来、指一本触れてないんですおれ」
「どうして?」
「だって付き合ってる間柄で触ったらなんかいやらしい事をしようとしている風に受け取られないかと……」
だめなの? と果歩は首を傾げる。
「その、そういうこと目当てで告白したと思われたくなくて……」
「真面目ね〜」
「でも実は告白した時にその、余計なことを言ってしまって……プラトニックは無理だ、とか……後々になって考えるとよくなかった気がして反省して……」
「いや、大事よ、それ。だって性の不一致って男女でも別れの原因になるじゃない」
「でも、本当に好きならそういうの抜きでも付き合えるはずじゃないですか」
そう大真面目に言った孝太郎に果歩は吹き出して、笑ってしまった。
「果歩さん?」
「ごめんなさい。孝太郎が可愛すぎて……。確かにそうだけど、それって片方が触りたいって思ってたら成立しないのよ。孝太郎、触りたいんでしょう」
果歩がそう言うと孝太郎は一気に顔が赤くなった。果歩は、言いなさい、と孝太郎に命じた。
「言いたいことは言って、駄目なら別れる。それが大人の恋愛よ。結局別れの原因の大半は価値観の不一致だからね。付き合うまでわからない事も多いし、付き合ってみて駄目なら潔く別れるのよ」
「わ……別れたくない場合は、どうしたらいいんですか……? 合わなくても別れたくないです……」
無理よ、と果歩はバッサリと切った。
「価値観合わないときは、向こうも合わないと思ってるからどちみち続かないわ。こればっかりはもうどうしようもないの」
うう、と情けない声を出した孝太郎を、果歩は焚き付ける。
「帰ったら思い切ってスキンシップしてみたら? そもそも付き合う前に向こうがスキンシップ多いって悩んでたくらいでしょ」
孝太郎がおずおず、と言った。
「手、繋いでみます」
「ハグくらいしなさいよ。ね、今度会わせてよ」
「ッえ、春さんとですか?」
果歩はそうよ〜、と楽しそうに脚を組んだ上の脚をぶらつかせて笑う。孝太郎が、それはちょっと、と難色を示すので果歩は不満げに突っ込んだ。
「なんでよ。散々恋バナ聞かせておいて」
「だって春さん果歩さんのこと前に凄い美人って言ってたんですもん……」
「あら、見る目あるのね。口説いちゃおうかしら」
勘弁してください、と情けなく眉を下げた孝太郎に果歩は笑う。そして、バカねえ、と言った。
「もっと自信持ちなさいって。本当に女の子と付き合いたい子はあんたを選ばないわよ。あんた自分が身長いくつあると思ってんの」
「185です……」
「筋肉あるし、声低いし、女の子と付き合いたいやつが選ぶ相手じゃないわよ」
ですかね、と孝太郎は返事をしたが自信なさげだった。
「もー。あの子大人しそうだしそんなに不安にならなくても大丈夫じゃないの? そんなに目立つタイプじゃないでしょ」
果歩は前に孝太郎を家まで送った時に春を見たことがある。孝太郎が、それがですね、とスマホの待受画面をそっと見せる。そこには最近の春の写真が待受に設定されていた。果歩は、あら、と声を上げた。
「垢抜けたわね! かわいい〜! ご飯連れてったげたーい」
「果歩さん!」
「冗談よ。でもずいぶん変わったわね。これなら心配するのもわかるわ……モテそう」
孝太郎が両手で顔を覆った。
「おれが改造してしまいました……」
果歩が、あはは、と笑った。
「やだ。笑える。自爆してるじゃない」
「本人が身だしなみをちょっと気にしてたので……でも思ってたよりかっこよくなりすぎちゃって……正直あの、モテてきてるんです。外で2人で歩いていると女性からの視線を感じるし……」
果歩は足を組み替え、呆れたように言った。
「いや、それ惚れた贔屓目よ。客観的に見たらあんたの方がだいぶとかっこいいんだからね」
「え?」
「確かに垢抜けたけど、あんたの方がいい男よ」
「そんなの言ってくれるの果歩さんだけですよ……! おれ、店でもあんまり人気ないのに」
「それはあんたがゲイだって初回で自己紹介するからでしょーが!」
そう言って果歩は孝太郎の頭をチョップした。
「でも指名になったら指名替え、少ないんじゃない」
「それは、はい、そうです」
「孝太郎が魅力的だからよ。顔がいいだけじゃなくて気遣い細やかだし、マメだし。今どき便箋で手紙くれる子なんていないわよ」
「それは、だってゲイなのにおれを選んでくれたからおれも大事にしたくて……」
不器用ねぇ、と果歩は呆れたように笑った。
「ゲイ隠して色恋営業したらもっと楽に売れるのに」
「それはしたくありません。そんなの、申し訳ないじゃないですか。胸が痛みます」
「誠実なのは孝太郎のいいところだけど、誠実じゃない人ほど売れる世界よ」
そこまで言って、ふふ、と果歩は笑った。
「前にちょっと言ってたけど、もうホストやめて飲食やれば? 顔いいしご飯美味しいし喋れるし、たぶんいけるわよ。夜の世界で出来た人脈もそこそこあるでしょう? 餌付けされてる指名客はみんな行くだろうし」
「……ですかねぇ……うーん」
内勤が孝太郎の他の指名客が来たことを知らせに来たので果歩は、お会計して、と孝太郎に言った。
「ありがとうございます。あ、今日お渡ししたのタコライスのお肉なので、トマトとレタスとチーズかけて食べてくださいね。タコミートは冷凍できるので」
「ふふ。いつもありがとう。これスパイス効いてて美味しいのよね。もう次の子のところ行っていいわ。またね」
「はい。ありがとうございます!」
孝太郎は深々と頭を下げ、自分の頬を張って気合を入れ直してから、次のテーブルに向かった。
―……ガチャン、とドアの開く音で春は薄っすらと目が覚めた。孝太郎が帰ってきたのか、と思いつつ寝ぼけまなこで微睡む。冷蔵庫が開く音がして、その後シャワーの音が聞こえてきた。水音を聞きながらうつらうつらしていたら、次はドライヤーの音。次は料理の音が聞こえると思いきや、違った。かけ布団の端をそっとめくられ、孝太郎が身体を滑り込ませてきた。初めての展開にびっくりした春が目を開いたら、孝太郎と目があった。
「あ……ごめんなさい、びっくりさせちゃいましたか」
そう言ってベッドから出ようとする孝太郎の服を掴み、春は引き留めた。
「いえ、その、ここ孝太郎くんのベッドですし」
付き合ってから、孝太郎はいつでも部屋に来ていいしお腹すいたら作り置き食べていいですからね、と留守中でも家の鍵を開けっ放しにしている。それゆえに春は不在時にも来ていて、今日のように孝太郎のベッドで寝ているのも珍しくなかった。
「どうぞ」
そう春に促されて孝太郎はベッドに横になる。シングルベッドは男2人で横になるといっぱいで、孝太郎はギリギリ春と触れないところに横になっているがもう、あと数センチで触れてしまう距離だ。春が、あ、と声を上げた。
「ごめんなさい、もしかして邪魔ですか。すみません、気づかなくて」
そう言って起き上がろうとした春に孝太郎は慌てて、違います、と言った。
「邪魔なわけないです。むしろ……春さんがおれの部屋にいてくれて嬉しくて……その、少し近くにいたくて……」
「よかった」
そう言って孝太郎を見た春と近くで目が合い、孝太郎はつい寝返りを打って春に背を向ける。背を向けたままぎこちなく孝太郎は尋ねた。
「よ、夜ごはん昨日何食べました?」
「タコライスですよ。仕事行く前にわざわざぼくのためにご飯炊いててくれたでしょう。めちゃくちゃ美味しかった……ミニトマトとレタスとチーズもちゃんと自分で乗っけられましたよ」
そう言った春に孝太郎の頬が緩む。するといきなり背中にぐりぐり、と額を押し付けられる感触がして孝太郎は硬直した。春が、孝太郎の背中にぐいぐいと甘えるように頭を押し付けてくる。
「あ、あ、あの……」
慌てた孝太郎に春が、ふ、と笑った。
「緊張してくれてるんですか。孝太郎くんの心臓、すごい音します」
「だって……そんなん緊張するに決まってるやないですか……」
よかった、と春が嬉しそうな声を出した。
「実は少し……悩んでたんです。孝太郎くんがぼくに告白したの後悔してるんじゃないかって」
「え!?」
孝太郎はびっくりして振り返り、急いで否定した。
「そんなのあるわけないじゃないですか!!」
「だって……付き合ってから全然近くにきてくれなかったじゃないですか。キスも……あれ以来してないし」
「ッ……え……」
春が目をそらしたまま、聞いた。
「ぼく……やっぱりキス下手でしたか? あの……どうすればいいか言ってくれたら、直します。だめですか?」
「いや、そんな、そんなことないです。絶対、無いです」
ベッドの中で春がじっと孝太郎を見つめる。孝太郎はたまらなくなって、春に口づけた。柔らかな、焦がれつづけた感触に1度すると止まれなくなって何度もそのまま、口づける。かき抱くように春を引き寄せて孝太郎は言った。
「不安にさせたなら申し訳なかったです。ただおれ、緊張してただけです……春さんに触って嫌がられるのが怖くて」
「嫌がるわけないじゃないですか」
「……よかった」
そう言って孝太郎はさらに春を強く抱きしめる。しかし春はたじろぎ、身体を引いた。
「あの、でも……セ、セックスはまだ……」
「え?」
孝太郎の胸の中で耳を真っ赤に染めた春に気づいた孝太郎は、すみません! と勢いよく後退りベッドから転がり落ちるように離れた。
「そうですよね。こんなところでこんなのされたら変に思いますよね。すみません!! あの、しませんから、する気ないです!!」
「え?」
「おれ春さんがノンケなのわかってます、ちゃんと弁えてますから!」
春は、でも、と不思議そうに切り出した。
「告白のときはプラトニックは無理だって言ってましたよね」
「ッあれは……その……キス、とか抱きしめたりもしたいって意味で……でもああいう言い方したら変に聞こえますよね。すみません。でも変なことは考えてませんから、だから……またキスしていいですか」
春が、はい、と答えて起き上がる。
「じゃあ……ぼく歯磨きしてきます」
「今からご飯作ろうと思ってたんですけど……歯磨き先にしたいですか?」
「え? ご飯作るんですか?」
びっくりした様子の春に孝太郎は首を傾げる。いつも帰ってすぐに作っているのになぁ、と不思議に思っていたら春が頬を赤らめた。
「……ごめんなさい。変な勘違いしました。歯磨き、後でいいです。後にします」
孝太郎が、今日は蕎麦にしますね、とにこにこと冷蔵庫から鶏肉を取り出す。上機嫌な孝太郎の背中を見ながら春は自身の火照る頬をおさえた。あんなに毎日楽しみにしていたご飯を後回しにしてもっとキスしようとしたことが孝太郎にバレなくてよかった、とそっと胸をなでおろす。浮かれる孝太郎はそんな春の様子にも、春がセックスを『嫌』ではなく『まだ』と言ったことにも一切気づいていなかった。
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