21 もつ鍋と告白男

 3月14日、春はかなり緊張していた。事の発端は1か月前のバレンタインだ。仕事中のはずの孝太郎から、帰ってから少し話があります、とラインがきた。何かなとのんきに構えていたらその翌朝帰宅した孝太郎に言われたのだ。


「あの、おれホワイトデーに春さんに告白するので、返事考えておいてくれませんか」


 そう言った孝太郎の顔は真っ赤で、何の告白か、なんて確認するまでもなかった。そう言ってから何食わぬ顔で孝太郎は料理を始めたが、春はもう心臓がバクバクして足が震えて1ミリも動けなくなっていた。息を吸って吐くのがやっとで、からからに乾いた喉でかろうじて孝太郎の背中にこう言った。 


「今のが、もう……告白じゃないんですか?」


 そう春が尋ねると孝太郎は、違います、とキッパリと否定した。孝太郎はキッチンに向かい春に背を向けたまま言った。


「春さんが男と付き合うとかは考えられないから告白なんかしないでくれって言うなら、告白はやめます。何もなかったことにしましょう」

「な、なるほど……」

「かっこ悪いですよね……逃げ道用意しちゃいました。でもどっちにしろ春さんを失うのは絶対に嫌だから……。そのくらい大切なんです。付き合えなくても友達でいたいです。春さんが受け入れられないなら、きっぱり諦めるのでおれのこと……避けないで下さい。できるだけ早く吹っ切るようにしますから」


 孝太郎のもはや予告とは言えない告白予告に春は面食らいつつもごもごと、わかりました、と答えた。そしてあっという間に今日がホワイトデー当日だ。帰宅した孝太郎からワンコールがあり、春は緊張しながらそろそろと孝太郎の家を訪ねた。ドアを開けると、ふわん、とにんにくのいい匂いがした。孝太郎が、すみません、と開口一番に謝る。キッチンで土鍋を炊いているのが見えたので春は聞いた。


「お鍋ですか?」

「春さんが前に焼肉屋でホルモンが好きだって言ってたからモツ鍋にしちゃったんですけど……よく考えたら朝から重すぎだし、あと……もう少しオシャレな感じのご飯にしたらよかったなって作ってから思いました……」


 シュン、とする孝太郎が可愛くて春は、ふ、と笑った。


「モツ鍋好きだから嬉しいです! 好物用意してくださってありがとうございます」


 にんにく、ニラ、唐辛子、キャベツ、それにホルモンがたっぷり入った鍋を孝太郎はローテーブルのカセットコンロの上においた。いつものように春が取り皿や箸を用意する。いただきます、と手を合わせてから、孝太郎が春の分もお玉を使ってホルモンを取る。春がホルモンを一口食べて、美味しい、と目を輝かせる。


「よかった。ちゃんと昨日肉屋で買ってきたんですよ」

「え〜! わざわざすみません!」

「いいんですよ。好きな人のためですから」

「……ッ」


 春が顔を赤らめて言葉に詰まると孝太郎は慌てて言った。


「あ、今のまだ告白じゃないです! ただの事実なので。あの、その……先に、食べませんか」

「はい……」

「柚子胡椒取ってきますね」


 そう言って冷蔵庫を探す孝太郎の後ろ姿を春は眺める。柚子胡椒を手に戻ってきた孝太郎に、春は言った。


「ごめんなさい。もう耐えられないので言っちゃいます。ぼくも孝太郎くんが好きです……」


 動揺した孝太郎が思い切り力んでしまい、チューブの柚子胡椒の中身が思い切りテーブルに飛んだ。孝太郎は言った。


「ッ……まだおれ告白してませんって」

「してます! されてます……」


 孝太郎が少し居心地悪そうに、切り出した。


「告白のときに言おうと思ってたことなんですが……」

「はい」

「プラトニックな付き合いは無理だと思います。そのうち……触ったり抱きしめたりしたくなると思います。前に春さんの耳にキスした時ももっとしたくなったから……。だからきちんとそのあたりも踏まえて返事してください」


 孝太郎の話を聞いて春は、ちょっと、と声を上げた。


「ッそんなことあらかじめ言われても……そういうのはその、流れで、とか、空気で、とか追々じゃないんですか……わからないですけど……」

「だって付き合ってしばらく経った後で拒絶されたら立ち直れませんもん……男相手にそういうことするのは考えられないなら、最初からいい友達でいて下さい」


 沈黙が続いた後で春は、それも大丈夫です、と小さな声で答えた。孝太郎が顔をあげると、白い湯気の向こうに見える春の顔は酔っぱらっている時みたいに真っ赤だった。


「……無理してませんか?」


 孝太郎がそう聞くと、してないです、と春は答えた。


「だってぼくからじゃないですか。孝太郎くんに耳に……キスしてって……言ったの」


 思い出したのか、孝太郎の頬が赤らむ。むず痒い空気の中、ぐつぐつと鍋の煮える音が大きくなり孝太郎は火を弱めた。


「食べ終わったら、そっち行っていいですか」

「ダメです」


 春がそう答えたので孝太郎は、ええ、と眉を下げた。


「そういうのは追々……でいいですか。もう今も……口から心臓出そうなんです……緊張して……孝太郎くんが1か月前から言うからこの1か月ずっと緊張してました……今も。だって初めてできた好きな人に……好きって言われたんですから」

「好きです」

「今はちょっと控えてください……もう、口から胃も出てきそう……」

「はは。じゃあ先に、食べましょうか」


 ホルモンを頬張りながら春は孝太郎を盗み見た。春と目があうと、孝太郎は笑った。


「ッ……」 


 春は俯き、食事を続ける。そしてぽつり、と尋ねた。


「ぼくのどこがいいんですか?」

「どこって……全部です。髪切る前から見た目も好きですし、ご飯美味しそうに食べてくれるところ好きです。おれ春さんと食べるご飯が1番美味しくて……あと漫画が上手なのも尊敬してます。かっこいいです。それとちょっと天然で家事苦手なところも可愛くて好きです。あと声も……」


 春が慌てたように、もうわかりました、と遮る。しかし孝太郎はさらに言った。


「本当は家ここにするか迷ってたんですけど、春さんが気になって引っ越してきちゃったくらいなので初対面からすでにだいぶ好きでした」

「え! そうだったんですか!?」

「たぶんタイプなんです。単純に」


 そう真正面から言われて春は顔を赤くして縮こまる。


「初対面の時なんか……凄くみっとなかったのに」

「全裸でトイレに閉じ込められてましたね。衝撃的でした」

「も〜!! 忘れてください!」


 話しているうちに鍋の中身がどんどん少なくなっていく。腹が満たされた2人は、ごちそうさまでした、と手を合わせる。


「明日ラーメン入れましょうか」


 そう言って孝太郎が土鍋を片付けて、春が細かい食器を片付ける。食器を洗う孝太郎に春が、あの、と切り出す。


「ぼくたち……付き合ってるってことで、いいんですか?」


 そう小声で聞く春に、孝太郎は聞き返す。


「春さんは……大丈夫ですか? 恋人が男でも」


 孝太郎にそう不安げに聞かれた春は、はい、と答えた。しかし孝太郎はさらに言った。


「何度もすみません。本当に無理そうなら、今のうちに断ってくださいね。あの……キスとか……そういうの男相手には少なからず抵抗あると思いますし……」

「無理じゃないです」

「じゃあやっぱり無理って後々思った時は……早めに教えてもらえるとありがたいです」


 おもむろに春は身を乗り出す。食器を洗っている孝太郎の頬に手を添えてそのまま春は自身の唇を孝太郎の唇に重ね合わせた。ガチャン、と嫌な音がする。孝太郎が持っていた取り皿が滑り落ちてシンクの中で割れた音だった。キスを終えてから春は、ごめんなさい、と謝った。


「食器洗ってる最中にすることじゃなかったですね。怪我、無いですか?」

「怪我は……無い、ですけど……」


 そう言った孝太郎は手に泡もついたままその場でしゃがみこむ。


「孝太郎くん?」


 しゃがみこんだ孝太郎が、やばい、と呟いた。

 

「もー! もー! なに、びっくりするやないですか!! さっきは横来るんもあかんし追々や言うてたのに!」

「だって孝太郎くんぼくが無理になるって決めつけてるみたいだったから、そんなことないって伝えたくて……」


 しゃがんだまま下を向く孝太郎は首の後ろから耳の裏まで真っ赤に紅潮していた。


「あ〜。好きな人と初めてちゅーしてもた……された……すげ……心臓やばい……死ぬ……」


 想像していたより初々しい孝太郎の反応に春は驚く。孝太郎は言った。


「てか春さんキス初めてやないんですか!? 誰とも付き合ったことない言うてたからてっきりおれ……」


 前に寝ぼけてファーストキスを奪ったくせに1ミリも覚えていない孝太郎に、春は少し意地悪をしたくなった。相手を伏せてただ、初めてじゃないです、と伝える。


「あ……そう、ですか。ですよね。すみません変なカン違いしてて」


 そうすぐに取り繕ったが孝太郎は食器洗いを再開したが見るからに残念そうにしていた。そんな孝太郎を見かねて春は、もう、と孝太郎の脇腹をつねる。


「前にぼくが酔ってベッドで眠ってしまった時、床で寝てた孝太郎くんを起こそうとしたらキスされました。それがぼくの人生初めてのキスです」


 春の話を聞いた孝太郎は、え!? と声を上げる。


「おれ!? おれですか!?」

「そうです。めちゃくちゃびっくりしたんですから……孝太郎くん、覚えてないし」


 うわ〜! と大きな声を上げた孝太郎はシンクのフチに手をついてうなだれた。


「記憶にない……え! なんでやろ!え! おれですよね……うわ……すみません。でもおれ春さんとキスする夢見てました……え! 夢やなかったってことですか!? え!春さんの初めてのキスの相手おれですか!?」


 春が、そうですよ、と言うと孝太郎は、うー、と唸って顔を伏せた。


「孝太郎くん?」

「すみません……めちゃくちゃ嬉しい気持ちとはっきり覚えてへんのめちゃくちゃ悔しい気持ちで情緒乱れてます……でも、ごめんなさい。断りなくそんなことして……たぶん好きさが溢れてしまったんやと思います、あの時すごい好きなの我慢してたから、寝てる間にその、リミッターが……いや、言い訳です。ほんまにすみません」


 真剣に何度も謝る孝太郎に春は、ふ、と笑った。


「じゃあさっきぼくが不意打ちでしたのとおあいこにしましょう」

「……はい……あの……春さん」

「はい」

「1回目その、寝てて覚えてなくて、さっきの2回目もびっくりが強くてあの、嫌じゃなかったら……3回目、おれからちゃんとしてもいいですか」


 はい、と春が答えると孝太郎の手が春の頬に触れる。そっと添えられた手は小さく震えていた。そのまま孝太郎は顔を近づけて春と唇を重ね合わせ恋人としてのキスをした。

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