20 チョコケーキと弱虫男
甘い香りに包まれ、これは浮かれすぎたのでは、と孝太郎は立派に焼き上がったガトーショコラを前に我に返った。明日は2月14日、バレンタインだ。主に意中の人にチョコレートを渡す日。友チョコや義理チョコなどという文化もあるが、それは女同士や職場の人間同士でやるもので、ゲイが男友達に手作りチョコケーキを渡すのはさすがに好意がにじみ出すぎている気がしてストレートに渡すのは気が引けた。翌朝、孝太郎が仕事を終えて帰宅した後、トマトパスタを食べ終えてから孝太郎はおもむろに皿に乗せた一切れのチョコケーキを春に出した。
「チョコケーキ……え! まさかこれも作ったんですか!?」
春が目を丸くして驚いたのを見て孝太郎は慌てて、前もって考えておいた言い訳をした。
「指名のお客さんたちに逆チョコとして作った余りなんですけどよかったらどうぞ」
全くの嘘ではない。孝太郎はちゃんと指名客にラッピングしたケーキを用意した。本当はそもそも春に渡したくて作ったのでそちらが余りなのだがそれは伏せた。春は、わ〜、と声を上げてフォークで一口、チョコケーキを口に放り込む。
「美味しい〜! ケーキまで作れるなんてすごい! 器用ですね!」
春が、ふふ、と嬉しそうに笑った。
「お裾分けありがとうございます。家族以外からバレンタインにチョコなんてもらったの初めてです」
「喜んでもらえてよかった」
チョコケーキを食べ終えた春は、少し待ってて下さい、と言って自分の家にいったん帰った。そして小さなガラスの器に入ったそれを孝太郎に渡した。
「あの……こ、これ……よかったら……その、クオリティとかは段違いなんですけど……ひ、日頃のお礼……みたいな感じ、です」
手のひらサイズのそれはチョコムースだった。孝太郎はしばしそれを見つめて考え込んでから、え、と声を上げた。
「これ、春さんが作ったんですか!?!?」
「作ったなんて……そ、そんな大層なものでは無いです……レンジでチンするだけだったので……」
聞けばマシュマロとチョコと牛乳をチンするだけで出来るらしく孝太郎は感嘆の声をあげた。春は居心地悪そうに言った。
「で、でも、よくよく考えれば孝太郎くんお客さんからいっぱいもらっただろうなと……あ、不出来だし残してもらってもいいです」
孝太郎は、食べます、と声を上げスプーンを取ってきてチョコムースを一口頬張った。緊張するように見つめる春に、美味しいです、と孝太郎が伝えると春は花が綻ぶように微笑んだ。孝太郎が言った。
「おれ今年これが初チョコですよ」
「え! 本当ですか!? でもお客さんには……」
「店では例年チョコ風味のリキュールをこの時期に置くので、お客さんはチョコじゃなくてそのお酒をオーダーして入れるんですよ。担当には別でチョコを用意する方もいるみたいですけど、おれは店でゲイだって公表してるのでそういうのは無いです」
春は、そうだったんですね、と笑顔を見せる。
「なら、頑張って作ってよかった」
その言った春ははにかんだ笑顔を見せる。孝太郎は黙々とチョコムースを綺麗に空にして、ごちそうさまでした、と深々と頭を下げた。
――…「待って、そのエピソード聞いた後にこのチョコケーキ食べるの最高なんだけど……てか、食べていいの!?」
そうテンション高くはしゃいだのは孝太郎の指名客であるキャバクラ嬢の絵梨花だ。今日は編み目の粗い白のニットワンピースを着ている。自分のお店の営業が終わってから、孝太郎の店に足を運んでいた。孝太郎にチョコケーキ食べに来ませんか、と店に呼ばれたからだ。絵梨花はチョコケーキを渡されてすぐに、あの焼肉屋で会った彼にもチョコをあげたのかと鼻息荒く問い詰めたのだった。
「もちろんですよ。むしろ余り物みたいな言い方になってすみません……」
「いや、私のために作ったって言われるよりも『本当は好きな男の子のために作ったんだけどカモフラージュのために一切れあげる』って言われる方がめちゃめちゃテンション上がる人だから私は」
一見ただの美少女に見える絵梨花の内に秘めたる拗らせた腐女子っぷりに孝太郎は、はは、と笑う。絵梨花はご機嫌に孝太郎に言った。
「アルマンド・ゴールドおろして」
アルマンドは高級シャンパンだ。孝太郎の店では1本で40万円で提供している。目を丸くした孝太郎だったがそんな孝太郎の肩を叩き絵梨花は言った。
「ほら、早くオーダー通しな。その代わり彼との話、隠さず全部教えてね」
ありがとうございます、と孝太郎は頭を下げてオーダーした。孝太郎の店ではオーダーが1本30万円を越えた時だけシャンパンコールをすることになっている。絵梨花と孝太郎を囲み、ホストたちがコールで盛り上げる。中心に座る絵梨花は、むさ苦しくてウケる、と笑っていた。静かになって孝太郎と2人でグラスで乾杯してから、絵梨花は言った。
「でもさぁ〜その子チョコムース作っててくれたんでしょ?お料理できないのに……もう好き確じゃない?」
煮え切らない様子で口ごもる孝太郎に絵梨花は不満げに唇を尖らせた。
「なんで〜? てか薄々彼が自分のこと好きかもって思うでしょー」
「まぁ、それは……はい」
孝太郎は躊躇いがちに認めた。ゲイだと孝太郎がカムアウトしてから、春の態度が変わったことに孝太郎は気づいていた。ふとした時にじっと熱い視線を向けられ、目が合うとそらされる。その頬は決まって赤らんでいた。視線の意味に気づかないほど孝太郎は鈍感ではないが過去のノンケへの失恋の苦い経験から素直には受け止められず、自身の勘違いだと言い聞かせていた。そんなふわふわした関係性だったところに春からバレンタインに手作りのチョコムースを渡されたのだ。赤い顔をして、言い訳をしながら。孝太郎が食べたときには本当に嬉しそうな笑顔を見せていて、それは春の気持ちを孝太郎に確信させるには十分だった。絵梨花はにやんと笑って尋ねた。
「どうする? 告るの? キャー! テンション上がる!」
「いや……向こうは一時の気の迷いかもしれないし」
「恋愛なんてそんなもんじゃないの。気の迷い、いいじゃない。チャンスじゃん。今告白すれば付き合えるかもしれないよ」
うう、と声を上げた孝太郎はバツ悪そうに切り出した。
「めちゃくちゃかっこ悪い話していいですか」
「聞く。よし、じゃあ言う前にグラスのシャンパンイッキして」
絵梨花にそう言われて孝太郎は、いただきます、とイッキ飲みを見せた。少し顔が赤くなった孝太郎に絵梨花が、ねーえ、と声をかける。
「かっこ悪い話、教えて?」
「……めちゃくちゃかっこ悪いですよ」
「一緒にBL映画見に行って号泣した仲じゃないの。教えて」
孝太郎は少し言うのを迷っている様子だったが、意を決したようにぽつりぽつり、と話し出した。
「……好きになりすぎて、踏み込むのが怖いんです」
孝太郎の赤裸々な吐露に絵梨花は、ひゃ、と小さく声を上げて口元を手で覆う。
「だって向こうは気の迷いだとしてもおれは本気じゃないですか。春さんノンケだから、告白しただけで引くかもしれないし……。絵梨花さん?」
絵梨花は、はぁ〜、と息をついた。
「ごめん。本当にごめん。私孝太郎の恋話で飲むお酒が1番美味しいの。本当にごめん」
「かっこ悪いでしょ。おれ両想いなんか人生で1回もなったことないし、どうしていいかわからないんです……両想いなんてそんなのおれの身に起きるのか……」
もぉ〜、と言って絵梨花は頬に手を当てる。
「最高〜!」
「おれ、春さんの前では割とかっこつけてしまってるんです。本当はこんなのだってバレたらガッカリされるんじゃないかって思います……」
孝太郎がそう言うと絵梨花は、それが逆にいいのよ、とガッツポーズした。
「孝太郎みたいな、パッと見は女の子うじゃうじゃはべらしてそうな子が、そんなかっこ悪くなっちゃうくらい一途に想ってるのがいい」
「でもそれとセックスしてもいいとかはまた違うじゃないですか〜」
孝太郎が項垂れると絵梨花は真面目に言った。
「や、もし私が男だったら孝太郎と寝てる」
え、と声を上げて孝太郎が飛び起きたら絵梨花は、男だったらよ、と笑った。
「顔も身体もいいし、性格もいいし誠実だし。それくらい気に入ってなきゃ高額おろさないって」
「ッ……でも……」
も〜、と唇を尖らせた絵梨花はむぎゅっと孝太郎の頬をつまんだ。
「自信持ちなさーい! 前から思ってたけど孝太郎ってビジュアルの割に自己肯定感低すぎ」
「そうですか?」
「そーだよ。自己肯定感低いから、相手が自分を好きなの信じられないんでしょ。恋愛するならもっと自信持たなきゃ」
はい、と頷いた孝太郎の頬を絵梨花は綺麗に整った薄ピンクのネイルでつついた。
「友だちのままでいいとか贅沢な事言ってるうちに他の人に横からサッと盗られても知らないからね。今は向こうの矢印が自分のところ向いてるからそんな悠長なこと言ってられるんだよ。孝太郎が煮え切らないうちに他の人がサクッといっちゃうかもしれないよ」
鋭い指摘に孝太郎は、うぅ、と頭を抱えて俯く。そして少しして、わかりました、と顔を上げた。
「告白します!」
「キャー! 頑張って、頑張って!」
「あの……でもそれはホワイトデーにします……」
絵梨花は、遅い、と呟いた。
「遅くないですよ! あと1か月なんかめちゃくちゃ早いです……今から緊張する……」
「あ! 今から予告しておけば!? ホワイトデーになにかありそう! みたいな。向こうも心の準備できてよくない!?」
なるほど、と孝太郎は呟く。
「確かにいきなり同性から告白されたら怖がらせてしまいますもんね」
「そう! あ〜どうしよ〜キューピットになっちゃったかも。うまくいったらお礼してもらわなきゃ」
「お礼ですか?」
「そう。3人でごはん行こうね。私には一切話しかけなくていいから。結ばれてラブラブデートする2人と同じテーブルでご飯食べさせて。キャー!」
孝太郎は、はは、と笑って、わかりました、と答える。絵梨花はふわふわのブラウンの髪を指でくるくると弄りながら、八重歯を見せて笑った。
「頑張って成就させて彼氏との惚気早く聞かせてよね。私は孝太郎とセックスするよりそっちの方が嬉しいんだからさ」
孝太郎は、頑張ります、と答える。そして逃げ場をなくすため、帰ってから少し話があります、と絵梨花の前で春にラインを送ったのだった。
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