16 焼肉とイメチェン男

 美容院を出ると春が首の後ろを押さえて不安そうに口にした。


「首の後ろに髪が無いの慣れない……! 大丈夫ですか!?」

「バリカンでガリっといってもらいましたからね」

「昭和中期の子供みたいになったらどうしようかと焦りました」

「昭和中期どころか令和になりましたよ」


 春の髪は前髪をワックスでかきあげて額が完全に見えるようにして、後ろはバリカンで刈り上げてスッキリさせたスタイルだ。


「めちゃくちゃ似合ってます」


 髪型が似合っているのに加え、春が自分の薦めた通りの髪型にしてくれたことが孝太郎は嬉しかった。


「首の後ろ、チクチクする……野球部みたいになってませんか」

「春さん運動部には見えませんって」


 そう言った春のうなじを孝太郎は触る。バリカンを使って短く刈り込んだので少し、チクチクしていた。春のうなじを心地よく撫でてから孝太郎は言った。


「まだ時間ありますし、このまま近くでご飯行きませんか」

「はい。あ……どこか、調べましょうか?」

「おれの知ってるところでよかったら、すぐ行けると思いますよ」


 孝太郎の案内で歩き出してから春が言った。


「なんだかすれ違う人の視線を感じます……気のせいですかね? 本当に、変じゃないですか?」


 春は不安そうにしていたが、春がすれ違う人に見られているのは事実だった。それは単純に身綺麗にした春がかっこいいのに加えてその隣には派手で図体の大きな男前がいるからだ。2人は自然と注目を集めていた。孝太郎が春の背中に手を添えた。


「春さんがかっこいいから見られるんですよ。背筋、伸ばしてください」


 春は、はい、と姿勢を良くする。孝太郎は、もっとかっこよくなりました、と春を褒めた。孝太郎に褒められた春は少し安心したように笑う。10分ほど歩き歌舞伎町の近くにある焼肉屋に入る。そこは全て半個室になった焼肉屋だった。席に案内された春は落ち着かない様子で孝太郎に言った。


「……あの、すみません。さっき美容院も行ったし恥ずかしながら持ち合わせがそこまで無くて……ぼくてっきり普通のお店に行くと思ったので……」

「大丈夫ですよ。ここ、意外とリーズナブルなんです。ほら」


 メニューを見て春は、わ、と目を丸くする。


「ほんとだ! すごい! 大衆店と同じくらいじゃないですか」


驚いた春に孝太郎は楽しげに笑う。


「内装が高級感あるから初めドキッとしますよね〜。ここ1人席もあるから1人でも来れるし、安くて美味しくて好きなんですよ」


 この焼肉屋の唯一の欠点は席の狭さだった。2人で来ると横並びに座ることになる。しかしそれはこの飲み屋街の近くにおいては欠点ではなく美点だ。意中の相手を連れてくると、自然と密着できてしまうからだ。孝太郎は隣に座る春に声をかけた。


「狭くてすみません。大丈夫ですか?」

「あ……はい、大丈夫、です……家だといつも向かい合わせだからちょっと慣れないだけで……」


 そういえば電車でも居心地悪そうだったなぁ、と孝太郎は思い出した。孝太郎はテーブルの下で春の手を握った。


「ッこ、孝太郎くん?」

「落ち着くかなって……」

「だ、だ、だめです、あ、あ……店員さん、来るので……」


 春の言う通り店員が来たので孝太郎は手を離した。


「牛タン、カルビ、ロース、あと白ごはん2人前で。春さん何か欲しいのありますか」

「ホルモン盛り合わせ食べたいです。ホルモンかなり好きで……」

「じゃあこのホルモン盛り合わせも」


 注文を終えたら、運ばれてきた肉を春のためにせっせと孝太郎が焼いていく。春は、美味しい、と頬をほころばせ喜んでいた。


「焼肉いいですね……なんで炭焼きにするとこんなに美味しいんでしょう……」

「家だとホットプレートになっちゃいますからね。はい、ホルモンちょうどよく焼けましたよ」


 孝太郎がホルモンを春の皿に乗せると春は、タレをつけてぱくりと食べて、美味しい! と喜んだ。そんな春を見て孝太郎は言った。


「たまには外食もいいですね。新鮮で」

「ですね。楽しいです」

「よかったらまた、どこか行きませんか? おれこのあたりなら穴場割と知ってますし……でも春さん電車乗るの嫌ですか?」


 行きたいです、と上機嫌の春がにっこり笑ったので孝太郎もつられて微笑む。にこやかに食事をしていたら、いきなり1人の女性が半個室の外から顔を覗かせた。くりっとした大きな目とエクボが可愛らしい小動物系の女性だ。春がびっくりしていると彼女は口を開いた。


「やっぱり孝太郎だ〜。声ですぐわかっちゃった。出勤前?」

「絵梨花さん」


 孝太郎に絵梨花と呼ばれた彼女も夜のお店の出勤前なのか、長いブラウンの髪を綺麗なハーフアップにセットしていた。絵梨花はにやん、として孝太郎に尋ねた。


「なになに〜もしかして、デート?」


 孝太郎はぎょっとしてすぐに、違いますよ、と返した。絵梨花は、いやいやぁ、と笑った。絵梨花の反応ももっともだ。ここはこういう狭い内装の店なので、普通は男2人でなんて来ない。たいてい男女カップルか、もしくは女性の友だち同士などが主な客層だった。密着して焼肉を楽しむ2人は、孝太郎をゲイだと知る絵梨花の目にはデート中にしか見えなかった。


「やだ〜! 彼氏さん、孝太郎とはタイプの違うイケメン……可愛い〜!」


 女性から面と向かって初めて褒められた春が赤面して孝太郎の影にさり気なく隠れると絵梨花はさらに盛り上がった。


「本当に可愛い! 彼氏さんはホストじゃないんですか?」

「彼氏じゃないですって!! ホストでもないです」


 絵梨花が身を乗り出し、春に話しかける。


「じゃあ奢るから、ワンセットだけ孝太郎のお店一緒に行きませんか?」

「ちょっと!」


 春が返事をする前に孝太郎が口を挟む。


「絵梨花さん今出勤前でしょ。駄目ですよ」

「え〜! そうだけど…… こんな楽しそうなのに……ね、じゃあ今度一緒に飲みに行きましょう」


 孝太郎が、駄目です、とすかさずブロックする。


「何でよ。行くのは孝太郎の店だよ?」

「それが駄目なんです! ちょっと……」


 席を立った孝太郎は絵梨花の腕を掴んで、春と距離を取る。トイレの前の少し開けたスペースで孝太郎は絵梨花に言った。


「あの人おれのことゲイって知らないんです……」

「え! 嘘! こんなにも露骨にデート用の店来てるのに!?」

「それはうっかりというか……テンション上がっちゃって……でもそんなの気づかないくらい純粋な人なんです……でもさすがに店に来たらバレちゃうと思うので……!」


 店では孝太郎はゲイをオープンにしているので、誰かが悪気なく言ってしまうかもしれない。それを孝太郎は危惧していた。ごめーん、と謝った絵梨花は孝太郎の腕を引いて小声で尋ねる。


「もしかしてあの人のこと、ラブなの?」


 孝太郎は少し迷ったが、はい、と白状した。絵梨花は、ひゃー、と飛び上がった。


「やばいー!めちゃくちゃテンション上がる! ありがとう、ね、また話詳しく聞かせてね。シャンパン入れるから、ね」


 そう言って絵梨花は孝太郎の手をしっかりと握る。この絵梨花は孝太郎の指名客のキャバクラ嬢なのだが、BLが好きな……いわゆる腐女子だった。ゲイのかっこいいホストがいると噂で聞きつけ指名しに来て以来、通っている。


「絵梨花さんが喜ぶような話はありませんよ」

「もう喜んでるよ〜! あ」


 絵梨花が孝太郎の後ろを見て声を上げた。孝太郎が振り返ると、そこには春が立っていた。春は、すみません、と萎縮していた。


「トイレに……行こうとして……」


 絵梨花は孝太郎の手を離し、ごめんね、と春に道を譲る。春がトイレに行ってから絵梨花は、ごめーん!と両手を合わせた。


「テンション上がって今孝太郎の手触ってたの見られたけど、変な誤解させてないよね!? 大丈夫!?」

「え? 大丈夫だと思いますよ。それにおれが女性とどうしてようと特に気にしないと思いますし……あの人、ゲイじゃないので……」


 絵梨花が、もう、と孝太郎の肩を叩く。


「あんなにノンケはもう好きにならないって言ってたのに、結局またノンケに惚れちゃったのね」

「……好きにならないようにしてたんですけど……できなくて……」

「やだ〜! なにそれ推せる〜!」


 話しているうちに春がトイレから出てきたので絵梨花はそそくさと、離れていった。孝太郎は、すみません、と春に謝って一緒に席に戻る。


「……そういえば、孝太郎くんのお店って男性も行けるんですね。それなら今度行ってみたいなぁ」


 席に戻ってからそうなにげなく春が言うと孝太郎はぎょっとしたようにすぐに断った。


「駄目ですよ!」


 強く断られて目を丸くした春に、慌てて孝太郎はフォローを入れる。


「店に来る男性って同業者の営業か、女性の連れと来る方がほとんどですからそれ以外の男性はほとんど来ることがないので……」


 そう孝太郎が言うと春は申し訳無さそうに笑った。


「ごめんなさい。確かに男が1人で行ったら変ですよね。孝太郎くんのお客さん美人さんばっかりだし……変なことしようとして、すみません。常識なくて恥ずかしい」

「いえ!関わりなかったら知らなくて普通ですよ!春さんが変とかではなくて、おれは春さんが変な目で見られたら困ると思って」

「変な目って……ぼくがゲイかもしれない、とかそういう目ですか」


 春の思いがけない発言に、孝太郎は言葉に詰まった。もしかして自分がゲイだとバレているのか? とドッと冷や汗をかく。あからさまに動揺をみせた孝太郎に春は、冗談ですよ、と言った。


「だってぼく、ゲイじゃないですし」

「あ……はは、そうですよね。すみません。びっくりして」


 孝太郎の出勤時間が近づき、2人は駅前で別れた。春は1人駅のホームまで行ったがそれからしばらく、ぼんやりしてしまってなかなか帰れなかった。ゲイかも、とちらつかせた時の孝太郎の反応があまりにも引いてたように見えて、春はひっそりとショックを受けていた。自分の気持ちは孝太郎には迷惑なものなのだと、初めての孝太郎との外出にデートのようだと浮かれていた自分を春は諫めた。

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