15 うどんとダサメン

 昼過ぎに来ると言っていたのに春がなかなかあらわれなかったので孝太郎は電話をかけた。すると慌てたようにすぐにドタバタと来てくれたが春はどうにも浮かない顔をしていた。今日は一緒に遅めのお昼ごはんを家で食べてから美容院に行く予定になっている。何故こんな顔をしているんだろう、と孝太郎が気になっていたら、おずおず、と春は言った。


「ごめんなさい……。家中探したんですけど孝太郎くんと美容院に行けるような服がなくて……1番マシな服では来たんですけど恥ずかしかったらもう離れて歩いて下さい……」


 春はピタッとしたトレーナーとジーンズという出で立ちで、孝太郎にとってはいつもの春の装いとして見慣れたものであったがオシャレかと聞かれれば決して頷けはしない。孝太郎はもう24才なのだが服装はどことなくまだ母親が服を買っている学生のそれに似ている。孝太郎は今までそんな春の服装に対して何か感想を持った事などなく特に気にしたことがなかったのだが、自身の服装を恥じて縮こまる春を放っておくことなどできるわけがなかった。


「昨日言ってた服あげますからそんな顔しないでください」


 孝太郎はクローゼットから白いダボッとしたシルエットのきれいなシャツと黒いスキニーを出して春に手渡した。春が驚いたように言った。


「え! そんなの悪いですよ! 自分で買います」

「じゃあ今度一緒に買いに行きましょう。でもこれも差し上げます」 

「悪いです……!」


 そう遠慮する春に孝太郎は、どうせタンスの肥やしです、と押し切った。孝太郎は良心がチクチクと痛んでいた。昨日、会う頻度を増やしたいというくだらない理由で『あげる』ではなく『貸す』と言った事を後悔した。昨日最初から孝太郎があげると言っていたら春が今日恥ずかしい思いをすることもなかったのだ。孝太郎は取り繕うように言った。


「とりあえず先にご飯にしましょうか。すぐ用意しますね」


 孝太郎は沸騰させておいた昨日の鍋の残りにうどんを入れる。そして混ぜてうどんを茹でてから少し塩で味を整えた。


「鍋敷きお願いします」


 春に鍋敷きを置いてもらってから、孝太郎がローテーブルに重い土鍋を運ぶ。お好きにどうぞ、と孝太郎はローテーブルにポン酢と一味、さらに柚子胡椒を置く。2人は向かい合って座り、いただきます、と手を合わせた。一口食べて春は頬をほころばせた。


「うどん美味しい……癒やされます」

「うどんいいですよね」


 はふはふ、と熱々のうどんを2人で頬張る。食事で春のテンションが持ち直したことに孝太郎は内心ホッとしていた。春はにこにこと笑って言った。


「お鍋のあとは雑炊もいいんですけどうどんいいですよね〜」

「もう少し濃い味の鍋ならラーメンもやりたいですね」


 いいですねぇ、となごやかに笑い合う。あっという間にうどんを3玉平らげてお鍋を空っぽにしたあとで、春は孝太郎から受け取った服を手に脱衣場に行った。孝太郎が土鍋を洗って片付けていると、着替えた春がおずおずと顔を出した。


「あの……ごめんなさい、こういう服初めてでよくわからなくて……ちゃんと合ってますか? 大きいですか?」


 オーバーサイズの綺麗なシルエットの白いカッターシャツと黒スキニーを着た春は別人のように垢抜けていた。その姿を見た孝太郎は春のポテンシャルに驚きつつ、やっぱりあの前の服はダサかったのか、とようやく気づいた。


「おかしいですか?」


 そう尋ねられ孝太郎は慌てて、いえ、と否定する。ボタン留めましょうね、と言って孝太郎は春のシャツのボタンを1番上まで留めてあらわになっていた首元を隠した。


「あ、すみません。学生時代おしゃれなグループはみなボタンを開けていたので開けるのが正解なのかと」

「最近はなにかと、首元がつまった服の方が流行ってますね」


 なるほど、と春がつぶやく。そう言って口元に手を持っていった春の袖は意図せず萌え袖のようになっていたので孝太郎は袖を少し折った。


「すみません、ぼくの腕が短くて……」

「いえ、少し大きめですね。折らなくてもよかったんですけど一応」


 孝太郎は動揺していた。オシャレな服を着た春が孝太郎から見てすごく色っぽくなっていたからだ。オーバーサイズが春の身体の華奢さを強調しており、露出を減らすべく1番上までボタンを留めたのが禁欲的な雰囲気になってかえって色気を増している。やっぱり出かけるのはやめてこのまま誰の目にも触れず家にいて欲しい、などと馬鹿なことまで考えてしまう。


「……今日は日が暮れると冷えそうなので上着お貸ししますね」


 なにからなにまですみません、と恐縮する春に、オーバーサイズでもおかしくない黒の薄手のアウターを孝太郎は手渡した。春は深々と頭を下げた。


「すみません。ずっと引きこもって漫画描いてばっかりでオシャレなんて考えたこともなかったからご迷惑を……」

「いえ! よそ見せず1つのことを突き詰めてきた春さんだから今プロの漫画家として連載できてるんですよ」


 そう平静を装って話しているがさっきから孝太郎は自己嫌悪が止まらなかった。春がオシャレに興味を持ち身綺麗にするのは春にとっていい事のはずなのに、孝太郎は喜べないでいた。春の魅力を知る人が増えてほしくない、今のまま自分だけが知っていたい。付き合ってもないのに、たとえ付き合っても許されないような束縛を春にしたがる自分に孝太郎は嫌悪した。孝太郎はそんな心中を察されないよう、あえて明るく振る舞う。


「そういえば美容院に行くなら、どのくらい切るとか、どんなイメージにするとか考えてから行かないとですよ。自分でオーダーしなきゃいけないので」

「ああ、そうか……どんな……どんな……?」


 例えば、と孝太郎はスマホを操作してインスタグラムを開きヘアカットの見本をいくつか春に見せた。ローテーブルに鏡を置いて、孝太郎は春をその前に座らせる。そして後ろに膝立ちになり、そっと春の髪を触った。


「春さんは意外と少し髪質が固いから、短いのも似合うかもしれませんね」

「短いの、似合うかな……身長なくても大丈夫でしょうか」

「気になるなら少し長めもありだと思いますよ。でもセットが面倒かな……いっそパーマとか」

「パーマ……?」


 くしゃくしゃ、と孝太郎は役得とばかりに春の髪をかき混ぜるように触る。ネット予約した時に、春の担当美容師は既婚者の落ち着いた男性にした。女性にも、若い男にも触らせたくなかったからだ。孝太郎は自分がこんな嫉妬深く狭量な男だったなんて、と情けなくなる。


「孝太郎くんが短め似合いそうって言ってくれたし……短くしようかな」

「あ、おれの意見採用された。嬉しいな。絶対似合いますよ。春さんおでこの形、丸くて綺麗だし」


 そう言って孝太郎は春の前髪をかきあげた。孝太郎が春に尋ねる。


「眉、少しだけ抜いていいですか。前髪切ったら見えると思うので」


 顔を洗ってきてもらってから、孝太郎はピンセットを使って眉の余分な毛を抜いていった。春は目を閉じたままじっとしている。


「痛くないですか?」

「大丈夫です。あの……結構抜いてますが無くなりませんか……?」

「そんなに抜いてませんよ。余分なところだけ。ほら、できました」


 目を開けて鏡を見た春が、すごい、と口にした。


「眉毛、孝太郎くんみたいになりました」

「あ、そっか。おれのやり方でやっちゃったから同じになっちゃいましたね」

「ありがとうございます」


 そう笑顔を見せた春に孝太郎は言った。


「そろそろ出ましょうか。予約、16時なので」


 服に合わせて春の髪を少しだけワックスで整えてやってから、2人で家を出る。電車に乗ってから、春が言った。


「一緒に出かけるの……初めてですね。なんかドキドキします」


 無邪気に嬉しそうにする春に、家にいて欲しいとか他の人に触らせたくないとかそんなことを考えていた孝太郎は引け目を感じる。


「お出かけ自体、久しぶりじゃないですか?」

「……数年ぶりの電車です」

「そんなに」


 そういう春はいつもより少し緊張して見える。人が乗ってきたので孝太郎が席を詰めて春にくっつくと春が、わ、と小さく声を上げた。


「狭いですか?」

「いえ……大丈夫、です」

「数駅でつきますから」


 電車を降りて駅から少し歩いたところに孝太郎の行きつけの美容院があった。緑が多い、カフェのような落ち着いた外観だ。心細そうにする春に孝太郎は、どうぞ、とドアを開けてエスコートして春を店の中に誘った。


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