7 たこ焼きと初キス男
タコ、納豆、キムチ、チーズ、ネギ、桜えびなどローテーブルの上に乗り切らないほど用意された具材に春は目を丸くしていた。
「タコだけかと思ってました! あとネギと」
たこ焼きの生地をぐるぐるとかきまぜながら孝太郎は答えた。
「家でやるときはみんな結構好きなの入れてましたよ。今回のは割りとオーソドックスな方です」
はぁ〜、と春は感嘆の声をあげた。
「本当に大阪の人ってみんなたこ焼き家で作るんですね」
「たこ焼き器だいたい一家に一台にありますからね」
そう言った孝太郎が慣れた手付きで油をひき、熱々の鉄板に生地を流し込み具を落していく。左が納豆チーズタコ、左から2列目が納豆キムチタコ、真ん中がキムチタコ、右の2列はオーソドックスにタコと桜えびだ。ネギはすべてのたこ焼きに入っている。具を入れ終えてから、孝太郎がなにかスープのような液体の入った器を2つ持ってきて1つを春に渡した。
「これはダシです。あとポン酢もソースもマヨネーズもあるので、好きなのつけて食べてくださいね」
「え! そんなパターンあるんですか!?」
「これなら何個食べても飽きないでしょう」
たこ焼き器に流し込んだ生地の周りが固まってきて孝太郎が金属のピックでくるっとまんまるにひっくり返すと春は、わ、と声を上げた。
「普段忘れてるけどめちゃくちゃ大阪の人って感じがしました……!」
焼き上がり、好きなの取ってくださいね、と孝太郎が言うとまずはオーソドックスなものをソースにつけて春は口に運んだ。
「ん〜!! 美味しい、え、すごい、どんどん食べたい!」
春は満足げに次々、ポン酢につけたりダシにつけたり味変しながら口に放り込んでいく。あっという間になくなっていき、2巡目も焼いていく。春が喜んでくれてよかった、と孝太郎も嬉しい気持ちになる。今日は先日の看病のお礼も兼ねて、少し趣向を変えた食事にしたのだ。今日は日曜で孝太郎の働くホストクラブの店休日なので、時間のかかるものにしても夜の出勤がない分ゆっくりしていられる。春がおずおずと言った。
「あの……ビール持ってきてもいいですか……!?」
日曜とはいえ午前中だから気が引けるのか遠慮がちに切り出した春に孝太郎は、全然いいですよ、と笑顔で答える。春はいそいそと、いったん自室に帰りビールを2本持ってきた。
「孝太郎くんは自由にしてくださいね。飲んでも飲まなくてもどっちでも」
店では気が進まなくても飲まざるを得ない時もしばしばある孝太郎は、プライベートではあまり飲まない。孝太郎はお茶で、春はビールを飲む。お酒があまり強くないのか春はすぐに首や耳が赤くなっていた。焼き立てのたこ焼きに舌鼓を打ちながら、お酒が進んでいく。孝太郎はなんとか平静を装いたこ焼きを焼くのと食べるのに徹しようとしていたが、動揺していた。自分の部屋で、好きな子が目の前でどんどん無防備に酔っていくのだから全く動揺しない方が難しいかもしれない。
「春さんお茶も置いておきますね」
そう言ってさりげなくお茶を勧めたが春はビールしか飲もうとしない。たこ焼きを食べ終わる頃には1人で2本空けていたのだが、やはり弱かったようでベッドによりかかって眠ってしまった。
「春さーん」
そう声をかけたが春は起きない。肩をとんとん、と叩くと、ん、と反応した。
「春さん帰れますか?」
「ん〜……」
春が両手を上げて伸びをしたのでホッとしていたら、春はいきなりモゾモゾと動き出し孝太郎のベッドの上に移動してしまった。そして枕に頭を置き、布団に潜り完全に寝る体勢を取る。
「あ〜! 春さん! ちょっと!」
孝太郎がいくら声をかけてももう、頑として春は起きなかった。ベッドを乗っ取られて孝太郎は、困ったな、と独りごちた。誠実であろうとしている孝太郎の中でもちろん共寝をする選択肢などない。かといってやましい心がある自分が隣の家の春のベッドを使うのもありえない。しかし徹夜仕事の後なので、腹の満ちた孝太郎もかなりの睡魔に襲われていた。孝太郎は仕方なく、床にクッションを2つ並べた上に横になり、ブランケットを引っ張り出してそれを自身にかけて眠った。
――…少しして目を覚ました春は、しまった、と反省した。酔った自分がいつの間にかベッドを占領したせいで孝太郎が床で寝るはめになっているのを見つけたからだ。慌ててベッドから出た春は孝太郎に声をかける。
「ごめんなさい! ベッドで寝てください」
せっかく治ったところなのにまた風邪をひかせてはまずい、と春は起こそうとしたが深く寝入った孝太郎は起きなかった。運んであげようと思いたち孝太郎を持ち上げようと、仰向けに眠る孝太郎の脇の下に腕を入れて踏ん張ったがビクともしない。春と孝太郎の体格差があるのと、日頃何も鍛えていない非力な春には難しかった。その体勢のままどうしようかな、と思案していたら孝太郎の腕が抱きつくように春の首の後ろに回された。そうやっていてくれたらまだ運びやすいかも、と春がもう一度持ち上げるのにチャレンジしようとしたらそのまま春の方が孝太郎に引き寄せられてしまった。
「……ッ」
いきなり、春は唇にキスをされた。パニックになり急ぎ離れようとしたけれど首の後ろに回された孝太郎の腕の力が強く、逃げられなかった。1回だけでなく、2回、3回、と唇を合わせられる。もうこれ以上は駄目だ、と全力でもがいたら孝太郎の腕がほどけたので慌てて離れる。孝太郎は何事もなかったように、寝息を立てていた。どうやらただ寝ぼけただけのようだった。余裕をなくした春はもう孝太郎を床に寝かせたままかけ布団だけ上にかけて、逃げるように孝太郎の部屋を出た。自分の家に戻ってすぐ、玄関で春はしゃがみこんだ。ドクつく心臓を抑えて春はたまらず声を上げた。
「いやいやいやいやいや……」
彼女いない歴=年齢の春にとってさっきのが、人生初めてのキスだった。さすがに24歳になると童貞どころかキスも未経験とは言い難く人には言っていなかったが、したことがなかった。
「うわー、うわー、うわー……」
春はたまらずそう声を上げる。唇にまだ、孝太郎の唇の感触がしっかりと残っている。心臓がもうさっきからずっとバクバクとうるさい。春は自分自身にショックを受けていた。それは『男にキスされるなんて最悪!』とは思わず普通にまるで女性からされたかのようにドキドキしてしまっているからだ。もしかして自分にそっちの素質があったのかと一瞬考えたが、いやいや、と思い直す。これは単に孝太郎のスペックが高すぎるせいだ、と春は結論づけた。ホストをしている孝太郎は男から見ても整った顔の男前だ。それに加えてなんだか派手な桜色の髪色もしっくりきているし職業柄かいつもオシャレで雰囲気がある。それだけでなく性格もよく料理上手だ。そんな相手からキスをされたら、下手な異性にキスされるよりもドキドキしても仕方ないと春は思った。そもそも春は年下ではあるが孝太郎に少し憧れのようなものを抱いていた。今まで全くモテず1人の彼女もできたことのない春にとって、複数の女性からモテたあげく数万円のシャンパンを入れてもらうような孝太郎は『なんかすげー男』だった。学生時代で例えるならば春は教室の隅で漫画を描いているオタクグループで、孝太郎は共学クラスの中心にいて派手なギャルとも友達になれるようないわゆるカースト上位のタイプだ。春はもし孝太郎が同い年で同じ学校だったとしても友人関係ではないだろうなぁ、と常々思っていた。だからドキドキしても仕方がないのだ、と春は深呼吸をした。しかし寝ぼけてあんなキスをするなんて孝太郎も結構遊んでるのかもしれない、と春は少しだけショックを受けていた。ホストであるしそういうことが全くないとは思っていなかったが、孝太郎は毎日きちんと帰ってくるし帰ってきたら春と食事をして眠るような生活を送っていたため、仕事外ではあまり女っ気がないような気がしていたのだ。その事にほんの少し勝手に親近感を覚えていた春はなんとなく寂しさを覚えた。
――…孝太郎が目を覚ますともう窓の外は暗くなっていた。起きると掛け布団がかけられていて、ベッドにいた春はもういなくなっていた。孝太郎はぐーっと背伸びをして、もそもそ、とベッドに入る。そして目を閉じるとふわん、と見知らぬ香りが鼻孔をくすぐって飛び起きた。枕カバーに春のシャンプーらしき匂いが移っていた。孝太郎は少し迷ってからその枕カバーを外して洗濯かごに放り込み、ベッドの下の引き出しから新しい枕カバーを取り出して交換した。もちろん孝太郎は嫌だったわけじゃない。孝太郎をゲイと知らずに春はここで眠ったのに、その匂いを嗅ぐのは申し訳ない気がしたのだ。それに……少しやましかった。春とキスする夢を見てしまったからだ。それは夢と呼ぶにはあまりにも生々しく鮮烈で未だ唇に感触が残るようなものだった。実際それは夢ではなく現実で起きたことなのだが孝太郎は夢と信じて疑っていなかった。
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