6 お粥と看病男

 【すみません。風邪をひいてしまったのでしばらくごはんは別で取りましょう】


 そう孝太郎からラインが来たのは夜の23時だった。それから1時間程してから、カタンカタン、と外の階段を登る足音が聞こえてきたので春は気になってドアを開けた。そこには白いマスクをつけた孝太郎がいた。肩にはエコバックを下げていて、大容量のスポーツドリンクが何本か入っているみたいだった。


「あ……春さん……」


 目は虚ろで声に元気もない。想像より具合が悪そうな孝太郎に春は慌てて、大丈夫ですか、と声をかける。


「ただの風邪だと思うので、寝ておけば治ると思います……」


 じゃあ、と頼りない足取りで帰っていった孝太郎のことが春は心配だったが、買い物も自力で済ませてきたようだし春にできそうことはない。翌朝、気になって孝太郎にラインをしてみたが昼になっても返信がなかった。気になった春はマスクをつけて孝太郎の部屋を訪ねることにした。いつも通り鍵がかかっていなかったので、そっと中に入る。孝太郎はベッドで眠っていた。いつもの整頓されている孝太郎の部屋とは違い、中身の入ったエコバックがそのまま床に置いてあったりペットボトルが置いてあったりして、服も乱雑に散らかっていた。エコバッグの中には未開封のスポーツドリンクが数本とビタミンの栄養補給ゼリーが5つ入っていた。どうやら孝太郎はこれだけで風邪を乗り切ろうとしているようだった。春は孝太郎の部屋を出て、自室に戻りキッチンの上の棚の中を探る。


「あった」


 春が取り出したのはレトルトのお粥だった。前に自分が風邪をひいた時に余らせたものだ。『お腹すいたら電話してください』と書いたメモを孝太郎の部屋のローテーブルに置いて、さらにその上に孝太郎のスマホも置いた。これで起きたら気がつくはずだ。部屋に戻った春はパソコンに向かって仕事に取り掛かる。SNSに載せる用の短い漫画をペン入れまで終わらせたところで、スマホが鳴った。孝太郎からだったので急いで出た。掠れ声の孝太郎が言った。


『あの……メモ……見て……』

「お粥、食べれそうですか? 持っていこうと思いまして」

『え……ッありがたいですけど大丈夫ですか?』


 大丈夫か、というのは春の料理の腕のことだろう。春は、大丈夫です、と笑う。


「本当なら日頃のお礼もかねてチャチャッと作りたいんですけど、レトルトのほうがぼくが作るより間違いないのでチンして持っていきます」

『はは、わかりました……ありがとうございます』


 春はレトルトのお粥を深いお椀に入れて、レンジで温めた。これだけでは寂しい気がして、冷蔵庫にあった大根の漬物も一緒に持っていく。春が孝太郎の家に戻ると、孝太郎が起き上がった。ぐっすりと寝ていたからか昨日より顔色がいい。春はローテーブルに温めたお粥と漬物を並べた。


「あ、お箸とスプーン忘れた」


 そう言った春がパタパタとキッチンにお箸とスプーンを取りに行き、並べる。


「どうぞ〜」


 春が向かいに座ってそう声をかけると孝太郎はマスクを外して食べようとしたが、あ、と声を上げた。


「春さん、移ると申し訳ないのでもう戻っててください。お皿は後日お返しするので……」


 大丈夫かな、と春は気にかかったがここにいても別にお口にあーんするわけでもないのでもういなくても同じだな、と判断する。


「わかりました。戻りますね。お大事に」


 そう言って帰っていった春を見送り、孝太郎はマスクを外した。ちょうどよくぬるくなったお粥と大根の漬物を交互に口に運んでいく。お粥はレトルトだと聞いていたし漬物もただスーパーで買っただけのものなのに、孝太郎はやけに美味しく感じていた。それはきっと、春が体調を心配して用意してくれたものだからなのだろう。思えば飲食店以外で誰かに食事を用意してもらうのはずいぶん久しぶりのことだった。まさか地元から離れた東京でこんな風に誰かに看病してもらえるなんて、と孝太郎は胸がポカポカと暖かくなるのを感じていた。春がもし今後寝込むような事があれば今度は自分がお粥を用意してあげよう、と考える。お粥をすべて食べてからビタミンのサプリをスポーツドリンクで流し込み、また横になった。うとうとしていたら、ドアが開く音が小さく聞こえた。何かな、と思っていたら抜き足差し足、春が入ってきた。そしてローテーブルに乗ったお皿を回収して代わりに、小さな瓶を置いた。


「栄養ドリンク……?」


 孝太郎がそう声に出すと春が、あ、と声を上げた。


「起こしちゃいましたか? すみません」

「いえ、起きてました。あ、お粥ごちそうさまでした……助かりました」


 孝太郎がそう言うと春はマスク越しでもわかるくらいの笑顔を見せた。


「よかった。あ、これ、栄養ドリンクです。滋養強壮疲労回復って書いてたから持ってきました。もし他に何かいるものとかもしあれば買ってきますよ」

「いえいえ。もう、十分です。風邪引いてこんな至れり尽くせりなの子供の時ぶりです」

「全然大したことしてないですよ! じゃあ、行きますね。お大事に」


 春が家を出て言ってから孝太郎は、はー、とため息をついた。胸が甘く疼き、しめつけられる。正直、孝太郎は春に特別な好意を持ってしまっているしその自覚もあるが、いかんせん春はノンケだ。だから決して伝えるつもりはないし、どうこうしたいとも思っていない。春の存在は日常生活の幸せと華やぎ、それと友人として割り切っている。そう割り切れているはずなのに風邪の弱った時に優しくされたら想いが勝手に膨らんでしまうのが厄介だった。もういっそ、異性愛者になってしまいたかった。それなら春と純粋に友達になれる。春は枕元にあった、春のくれた雑誌をパラパラとめくった。前ページに折り目をつけておいた、春の読み切りに目を通す。


『お前のこと好きなんだ。恋愛の意味で。気持ち悪かったら、ごめん』


 孝太郎をモデルにしたキャラが主人公にそう告げるシーンだ。これは偶然にも、孝太郎が高校の卒業式の時にノンケの友人に言った言葉に非常に近かった。漫画の中では結ばれていたが現実ではそのノンケの友人はぎょっとした顔をして、無理やって、と言って逃げるように帰ってしまった。それっきり連絡はない。孝太郎は彼の失望したというか裏切られたというような表情が未だに忘れられない。孝太郎は自身の性指向により彼の友情を裏切ってしまった事を後悔した。その出来事をきっかけに孝太郎はゲイをオープンにするようになった。大阪のホストクラブでも、東京のホストクラブでも隠さなかった。そうすれば誰も自分を誤解させたり惚れさせたりするような態度は取らないし、男は無理だから、などとちゃんと孝太郎が好きになってしまう前に釘を差してくれる。でも春に対してはそうしなかったばっかりに、こんなに距離が近くなってしまった。もし最初から知っていたら家になど来なかったかもしれないし、そうすればこんな風に看病してくれることもなかっただろう。ゲイであることを隠して仲良くし好意を抱いてしまっている罪悪感はあったが、言っていたら仲良くなれなかったかもしれないと思うと言っておけばよかったとも思えず複雑な心境だった。


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