4 きんぴらごぼうと売れっ子ホステス

 大量のごぼうをささがきにして水にさらし、にんじんも同じくらいに切る。豚肉を細かく切って、一緒にごま油で炒めてから、酒・醤油・みりんを使って感覚で味付けをしていく。孝太郎の家に来た春は大きなフライパンに山盛り完成したきんぴらごぼうを見て、わ、と声を上げた。


「今日はすごいいっぱい作ったんですね」

「あ、これお客さんの分も一緒に作ったんですよ」

「お客さん?」


 孝太郎が料理をする事を話すとタッパに入れてちょうだいよ、と時々ホストクラブのお客さんに言われることがあるのだ。それを説明すると、わかります、と春は身を乗り出した。


「手料理って美味しさと栄養面はもちろんですがその温かみが特別嬉しいんですよね〜」

「タッパに入れて冷凍保存もできるような物しか無理なので、メニューは限られちゃうんですけどね」


 孝太郎は自分のお客さんに料理を頼まれるのが好きだった。特に1度差し入れたことのあるお客さんに、ぜひもう1回と言われるのは事さらに嬉しかった。指名のお客さんは大抵が一人暮らしなので手料理には一定の需要があった。孝太郎はキッチンの棚の上からタッパを取り出す。


「さ、詰めるのは冷めてからなのでおれたちも食べましょう。ごはんよそってもらえますか」


 春がご飯茶碗を2つ取り出し、炊飯器から白ごはんをよそってる間に、孝太郎はお味噌汁の中に卵を2つ落とした。きんぴらを大皿によそって胡麻をふってから春に渡して、孝太郎は卵が少し白くなったのを確認してから火を消してお椀にそれぞれ入れた。テーブルに持っていくと春は、わ、と声を上げた。


「卵のお味噌汁だ」

「卵の味噌汁、簡単なのになんとなく贅沢な感じがして好きなんですよ」


 冷蔵庫にあったごま和えの残りを添えたら完成だ。いただきます、と手を合わせてから春はまずきんぴらを食べた。


「美味しい〜!幸せ……白ごはんと合う……」


 きんぴらと白ごはんを何往復かしてから味噌汁を一口飲んで、春は言った。


「孝太郎くんのお客さんも絶対喜びますね」

「このできたてを食べてもらえないのは残念なんですけどね〜」


 少し考えた春が、あ、と声を上げた。


「孝太郎くん、お店出したらいいじゃないですか」


 そう春に言われて孝太郎は、いやいやいやいや、と否定した。


「おれレベルじゃ恐れ多すぎですよ。あくまでただの家庭料理というか、割と大雑把だし普通だしお金頂けるようなもんじゃないですから」

「その家庭料理が食べたくて孝太郎くんのお客さんもぼくもお願いしちゃうんですよ」


 孝太郎が、そういう妄想を1度もしたことがないといえば嘘になる。しかしお客さんと同伴などで少しいいお店で食事するとそんな身のほど知らずなことを考えていたこと自体が恥ずかしくなる。孝太郎は言った。


「外食ってもっとほら、凄かったりおしゃれだったりするものじゃないですか。おれが作るレベルのやつなんて家で誰でも作れるやつだから……」

「それができない人間が世の中にはたくさんいるんですよー! ぼくなんて最後にキッチンのコンロの火つけたのをいつか覚えてないくらいだから、もはやつくかどうかもわかりませんよ」


 はは、と笑って孝太郎は尋ねた。


「じゃあもしおれが店を出したら春さん来てくれるんですか?」

「毎日行くのでできたら自転車圏内だと助かります!」



 ――…夜、照明の少し暗めのホストクラブの店内で孝太郎は自分の指名客である果歩にタッパに詰めたきんぴらごぼうの入った紙袋を渡した。中身を確認した果歩は、やった、と無邪気な声を上げる。果歩は孝太郎より少し年上の高級クラブのホステスだ。膝下丈の上品なタイトスカートに、身体のラインを際立たせる細身のトップス、首にはシンプルではあるがちょっとした外車が買えるほどの高価なネックレスを身につけていた。


「いつもありがとうね、孝太郎」


 果歩が入れたシャンパンのベル・エポック・ロゼを飲みながら孝太郎は尋ねた。


「素朴な疑問なんですけど、果歩さんって普段お客さんとの同伴でもっとすごい料理たくさん食べてるのに、おれの作る地味な料理いつも喜んでくれますよね」


 果歩は人気のクラブホステスなので基本毎日お客さんと食事をしてから同伴出勤する。飲食店に詳しくて、孝太郎が果歩に教えてもらう店はいつもかなりレベルが高い。果歩は、そうなんだけどねぇ、と困り顔を見せた。


「いいお料理も毎日だと胃がしんどいっていうか……食事中もお店に入る時間とか気にしないといけないし、お客様にも気を使うから正直あんまり楽しめないのよね。営業時間終わってから小腹すいたなって時よくあるんだけど、仕事終わったら早く帰りたいから、その時間から何か外で食べるとかはとにかく面倒で。でもコンビニとかは味気なくて嫌なのよ」

「あぁ、わかります」

「かといって自炊は面倒だからやりたくないし。だから家に孝太郎の手料理が冷凍でストックしてあるとすごく助かるの。ヘルシーだし、癒やされて」


 そこまで言って果歩は孝太郎の頬に触れた。


「だってこーんなかっこいい男の子が作ってくれてるんだもの」


 そう言って果歩はまるで犬や猫をあやすように首の下をくすぐる。


「果歩さん、くすぐったい……ッ」

「我慢したらベル・エポック・ロゼもう1本よ」

「〜ッ」


 数分間、心ゆくまで孝太郎の首をくすぐって満足した果歩はもう1本、ベル・エポック・ロゼを入れた。


「ありがとうございます、果歩さん」

「ふふ。どういたしまして」


 果歩はこうしてよくお遊びの延長で高額なボトルを入れる。孝太郎の注いだシャンパンを口にして、果歩は微笑んだ。


「ゲイだから絶対彼女いないし、枕もやらないし、私が何しても下心抱かないし。こんなに信用できるホスト他にいないわね」


 枕とは指名やボトルのためにお客さんとセックスする事だ。女性とセックスできない孝太郎がそれをする事は確かにないのだが、1つ気になったので孝太郎は付け加えた。


「……彼氏は欲しいなって思ってるんですよ」


 シャンパンを飲みながら孝太郎がそう言うと果歩は指でオッケーのサインを作った。


「彼氏はいいわ、気にならないから」


 そう言って果歩は孝太郎によりかかって満足そうに笑う。東京での孝太郎の指名客は主に水商売系の女性に偏っているのだが、売れっ子が多い。男性から日常的に下心を抱かれる立場の彼女たちは、自分に対して絶対に下心を抱かないゲイの孝太郎に癒されるようだった。


「ゲイバーも行かれたりするんですか?」

「行かないわ。別にゲイの友達が欲しいわけじゃないし、かっこいい男の子からお客さんとして大事にされたいの」


 なるほど、と孝太郎は呟く。


「ねえ、前にくれた鶏のスープそろそろなくなりそうなの。近々作って。あれ飲みすぎたときに最高なの」


 そう果歩が甘えると孝太郎は、喜んで、と答えた。孝太郎はなんとなく聞いてみたくなって、果歩にも春に尋ねたのと同じ質問をした。


「もしおれが飲食店出したら来てくれますか?」

「え?」


 果歩が一瞬キョトン、としたので孝太郎は恥ずかしくなり、すみません冗談です、と流そうとしたがそれより先に果歩が、絶対行く、と答えた。


「いつ出すの? どこ? 歌舞伎町なら毎日寄るけど、もしちょっと遠くなるんだったら、タッパで大量に持ち帰りもできるようにして」


 孝太郎はいきなり天を仰ぎ顔を覆った。


「孝太郎?」

「……ごめんなさい、嬉しくて泣きそうになっちゃって……すみません。具体的には何もなくてもしもの話なんです……」

「ちょっと〜。嬉し泣きするなら私が前に『ゲイじゃなかったら口説いて専業主夫になってもらってる』って言ったときに泣きなさいよね」


 そう言って軽く横腹にパンチされて孝太郎は、すみません、と笑顔を見せた。もし店を持つなら駐輪スペースを用意してさらにテイクアウトもしっかりできるようにしないといけないな、と孝太郎は今までよりもほんの少し具体的に夢想するようになったのだった。


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