3 焼き魚定食とBL漫画家

 テーブルの上にいつもよりたくさん並んだ食器に春は感嘆の声を上げた。


「今日は和定食なんですね……!」

「なんか久しぶりに食べたくなっちゃって。味噌汁入れるので先にすわっててください」


 黒くて四角いお皿に乗った塩サバに、白ごはん。それと真ん中の大皿に乗る大きな卵焼き。小皿にはところどころ緑の皮が見える大根おろし。そこになめこの味噌汁を孝太郎が加えた。いただきます、と手を合わせ、春はまず味噌汁を一口すすった。


「美味しい……家庭の味がする……」

「なめこは入れるだけなんで楽なんですよ」


 次に春は大皿の卵焼きを取り分けて、口に運んだ。


「あま〜い!」

「あ、おれ甘い派なんですけど大丈夫でした?」

「美味しいです!」

「関西にね、厚焼き卵のサンドイッチあるんですけど美味しいんですよ。今度それも作りますね」


 春は素朴な疑問を投げかけた。


「そういえば孝太郎さんは関西の出身でしたね。普段大阪弁じゃないのですっかり忘れてました。どうして標準語なんですか?」

「標準語の方が東京ではモテるかな〜と思いまして」


 そう言うと春は笑った。


「可愛い理由ですね」

「それにちょっと大阪弁ってこっちの人にはキツく聞こえちゃう時もあるじゃないですか。接客業だし気をつけようかなと……まぁ酔ってたりびっくりしたりした時にはポロッと大阪弁出ちゃうんですけどね」 


 へぇ、と相槌を打ちながら春は大根おろしに醤油を垂らし、塩サバを口に運んだ。そして白ごはんをかきこみ、それから塩サバ、味噌汁、ぐるぐるとせわしなく箸を動かしていく。食事中春はたまにゾーンに入るというか夢中になるモードの時がある。それに入ったら孝太郎は話すのをやめ、自分も食事に集中するのだった。すっかり平らげてから春は、美味しかったぁ、と至福の表情を見せた。


「和食好きなんですか?」

「全部好きです。和食が続くと洋が恋しくなるし、洋が続くと和が恋しくなりますね」

「春さんって食べるの好きですよね」

「大好きです! だから前はウーバー頼むときに理性を失って散財して、お金空っぽになって我に返ってたんですけど、孝太郎くんと食べるようになってからは月末でも美味しい食事が食べられて幸せです」


 幸せ、と言われ孝太郎の胸がむず痒くなった。嬉しくて頬が緩む。食事は自分のためにも作るけれどやはり喜んでくれる人がいるといいな、と思わされた。そういえば、と春が切り出した。


「前に言ってたその、BLのネームなんですけどやっぱり孝太郎くんに見せるの恥ずかしくなってそのまま編集さんに送っちゃいました」

「あ、そうだったんですね!」

「すみません……で、そうしたら読み切り1本仕上げてくださいと言われまして」

「おお!」


 春さんのお役に立てたならよかったなぁ、とのほほんと構えていたらいきなり春が、ごめんなさい、と頭を下げた。


「実はそのBLの漫画……孝太郎くんをモデルにしてしまっていて……勝手にすみません。読み切りの下書き前に謝っておこうと……」

「え! 全然いいですよ! 身近な人をモデルにするとか普通によくあるんじゃないですか」


 それが、と春さんは言いにくそうに続けた。


「相手役は自分をモデルにしてしまっていて……」

「え?」

「つまり、その……ぼくと孝太郎くんをモデルにBL漫画を描いてしまったんです」


 ホストとして今まで誰に何を言われてもめったに言葉に詰まることなどなかった孝太郎だったが、今回は言葉を失わざるを得なかった。春が男同士の恋愛を描くと言っただけでもたっぷり動揺したのに、あまつさえそのモデルを自分と孝太郎にしたと言われたのだ。つまり春の頭の中で春と孝太郎が恋愛関係になる空想を1度はされたということだ。いや、漫画にするにあたって数回されたかもしれない。そのあまりの衝撃レベルに孝太郎の脳は著しく処理が遅れた。固まってしまった孝太郎に、春は慌てて弁明した。


「気持ち悪いことして本当にごめんなさい。ただかっこいい男の子を描こうとしたときにぼくが知る中で1番素敵な男性が孝太郎くんで……相手役がぼくみたいになったのはただ漫画にしやすい駄目さというかあと主人公が自分に似たタイプだとかなり動かしやすくて……それだけで……」


 ぼくが知る中で1番素敵、という言葉にまたまた孝太郎はフリーズした。素直に嬉しい気持ちと深読みしそうになる気持ちが戦う。黙りこくって固まってしまった孝太郎に、春は萎縮し縮こまった。今まで孝太郎がこんな反応を春に見せたのは初めてだったからだ。


「……ごめんなさい。もう片付けて帰りますね」


 そう言って春は立ち上がり食器を片付け始めた。動き出した春が視界から消えたことでようやく孝太郎は我に返り、キッチンまで春を追いかけた。


「すみません。びっくりして反応が遅れてしまいまして……」


 春は黙ったまま、食器を洗っていた。その反応に違和感を覚えて食器を洗っている春を覗き込むと春の瞳には涙が溜まっていた。それが、パタパタ、と次から次へと溢れている。孝太郎はそれを咄嗟に指で涙をすくってしまい、指先に触れたその生々しく温かな温度に、わー!と声を上げた。春は言った。


「ごめんなさい、ティッシュもらっていいですか……」


 手についた泡を洗い流し、受け取ったティッシュで涙を拭いて春は言った。


「怒りましたよね。こんなによくしてもらっている人に、売れたい一心でその恩を仇で返すようなことを……」


 そう言った春に、いえいえ、と孝太郎は慌ててフォローした。


「本当にびっくりしただけで怒ってないです! BL漫画いいんじゃないですかって後押ししたのおれですし。ただモデルがその……春さんとおれっていうのが想定外すぎただけで」


 もしかして春さん的にそれは絶対に無しではない事なのだろうか、と、自分たちをBL漫画のモデルにしたと聞いてからずっと孝太郎の頭の中はそれでいっぱいだった。期待したくないのに期待してしまうのは、一緒に時間を過ごすに連れて孝太郎は初対面の時よりいっそう春に惹かれていたからだ。春は容姿だけでなく内面も孝太郎のタイプだった。ご飯を食べる時の箸の持ち方の綺麗さや、いただきます、を必ず言うところ、美味しそうに食べてくれるところ。仕事を頑張っているところも応援したくなる。それらの淡い想いは春がノンケだからという理由1つで封印していた。それゆえに春も同じ気持ちを持ってくれるのならば、孝太郎が想いを封印する必要はなくなる。そんな孝太郎の心中を知らない春は言った。


「あの、でも誓って、ぼくはゲイじゃないですから」


 そうはっきりと宣言された孝太郎はやましさから数センチ後ずさり、溢れかけていた自らの想いをまた急ぎ封印する。いきなり後ずさった孝太郎に、まだ妙な誤解をさせているのでは、と危惧した春はさらに念を押した。


「孝太郎くんはかっこいいけどぼくはゲイじゃないので、君を変な目で見ることは今までもなかったしこれからも絶対に絶対に絶対にありませんから。それだけは信じてください」


 恋愛対象外だと何回も切実に訴える春に孝太郎は、はい、となんとか笑顔を取り繕って答えた。そして勘違いしなくてよかった、と胸を撫で下ろす。春はホッとしたように言った。


「よかった。ぼくチビで女顔だから男子校の時からちょっとゲイじゃないかって疑われがちだったので……ただモテないだけで好きなのは女性ですから!」

「はは……わかりましたって。いつも通り応援してるのでおれのことは気にせずもう思いっきり描いちゃってください。読むの楽しみにしてます」


 春はいつもよく読ませてくれるので今回も見せてくれるのだろうと思って孝太郎は言ったのだが、春は口ごもった。


「春さん?」

「……ごめんなさい。今回は見せにくいシーンがあるので……無しでお願いします! じゃあまた明日」


 そう言って春は逃げるように部屋を出ていってしまった。孝太郎はぼうっとしたまま歯磨きして、部屋の遮光カーテンを閉める。閉めてから、ずるずる、とその場にしゃがみこんだ。


「見せにくいシーンって何や……」


 つい方言が溢れてしまうほど、孝太郎はそのことが気になっていた。もしかして少しエッチなシーンでもあるのか、などと想像してしまい、いや純粋な春さんはそういうのは書かないだろう、と否定する。横になって1秒で寝られる特技を持つ孝太郎だったがこの日はベッドに入ってもなかなかすぐには寝付けなかった。後日、その見せにくいシーンとはただ主人公が孝太郎モデルの子を平手打ちするシーンだと聞き、孝太郎は己の心の汚れを恥じたのだった。






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