2 マカロニグラタンと男子校出身者

 小さな鍋でお湯をぐつぐつと沸かし早ゆでのマカロニを茹でて、孝太郎はそれをガラス製の大きめの耐熱皿に盛ってから解凍しておいたシチューをかけた。それにチーズを乗せてトースターに入れてから孝太郎はお隣さんに電話をした。


「おじゃまします」


 そう言って家に来た春は片手にiPadを持っていた。そのiPadを春は孝太郎に手渡す。


「すみませんが、お願いします」

「はい」


 孝太郎はキッチンに置いている高めのスツールに腰かけて、春のiPadを見た。そこに表示されていたのは漫画の原稿だ。春がネームを切ったので見てほしい、と孝太郎に持ってきたのだ。漫画を人並みに読むと伝えた孝太郎はたまに春から漫画の感想を求められるようになった。ネームを一通り見た孝太郎の隣で、チン、とトースターが音を立てたので感想は食べながら伝えることにした。ローテーブルの上に鍋敷きを敷き、真ん中に大きな耐熱皿に乗せたグラタンを置いて、取り皿を出した。それを見た春が、すごい、と言った。


「バイキング会場みたい……グラタンって作るの時間かかるんじゃないんですか?」

「いえいえ。これ中身、先週冷凍してたシチューの残りなんですよ。今日は店で少し寝ちゃったから時間なくて、時短メニューです」


 そう孝太郎が説明すると春は、ええ! と声を上げた。取り分け用のスプーンでグラタンをよそいながら、はぁ〜、と感嘆の声をあげる。


「すごい……あの、でもそういうときに作るの負担じゃないですか? 時間がない時は無しにしても大丈夫ですよ」


 そう春が気遣うと孝太郎は、いえ、と言って手を上げた。


「おれが駄目なんですよ! なんか……コンビニ飯とか惣菜って気分的に味気なくて……あとウーバーなんかも材料費が想像つく分もったいなく感じて楽しめないんですよね」

「ああ、ぼくは材料費とかわからないからガンガン頼んじゃってました。それにしても……意外ですね。ホストさんってもっとパーッとお金使うものだとばかり思ってました」


 孝太郎がホストと聞いた時には春は少し怯えていたようだったが、孝太郎がずいぶん庶民的な男だと気がついてからは安心しているようだった。


「実際、売上上位の人たちはそんな感じですよ。おれはほどほどですから〜。さ、食べましょう」


 孝太郎の人気や売上は本人のいうとおりほどほどだった。高くもなく低くもなく、しかし毎月安定している。孝太郎の営業スタイルはかなりの変化球だが大阪時代から一定の需要を得ていた。孝太郎は店で、ゲイ、と公表している。それゆえにどんな女性客とも色恋営業には発展せずセックスも求められない。色恋管理による爆発的な売上は無いという大きなデメリットはあるが、それでも孝太郎は自身のセクシャルをオープンにする道を選んでいる。ふーふーと少し冷ましてから熱々のグラタンを春が口に放り込む。


「お、美味し〜! すごい、美味しい……」

「よかった」


 ウーバーで散財していたほど食べることが好きな春はいつも、美味しい、とオーバーなほど孝太郎の手料理を喜ぶ。それは作る側としてはモチベーションも上がるし嬉しい。春がそう言ってくれると孝太郎は料理がいっそう上手にできたような気分になるし1人で食べるよりも美味しく感じた。チーズたっぷりの熱々のグラタンを食べながら、春は尋ねた。


「さっきのネーム、どうでしたか?」

「うーん……」

「はっきりとどうぞ」

「素人目線ですが……やっぱり女の子のキャラに少し違和感があるかと」


 そう孝太郎が伝えると、はぁ、と春はテーブルに崩れ落ちた。


「前回のネームで編集さんにも言われました……女性が魅力的でないと……。よくあるステレオタイプを繋ぎ合わせたようで人間味がないと。でももうわからないんですよ〜……。だってぼく中高一貫の男子校出身だし、かといって大学でも女の子と接点なかったし……生まれてからまともに話したことある異性って母親と編集さんくらいなもので……」

「……へぇ〜」


 孝太郎は春の恋愛事情が少し気になっていたのだがゲイだと伝えておらず聞き返されても困るので聞けないできた。年齢=彼女いない歴だという思いがけないカミングアウトに孝太郎は少し嬉しくなる。しかし仕事に差し支えているのならどうにかしてあげなくては、と孝太郎は彼に提案した。


「今度取材として、おれと女の子のいる飲み屋とか行ってみますか?」


 孝太郎は善意で言ったのだが春は即答で、無理です! と断わった。春は申し訳無さそうに付け加える。


「女の子のいる店ってそれホステスさんですよね……?」

「えぇ、まぁ」

「すみません。派手だったりモテそうだったりするいわゆるカースト上位っぽい女の人は怖くて……行っても孝太郎くんとしか目を合わせられないし話せないと思います……」

「横並びに抵抗があるならスナックとかガールズバーみたいにカウンター越しの店もありますが……」


 春は少し考えたが、それでも無理です、断った。


「……ぼくみたいなのがそんなところに行くのは場違いな気がして……着ていく服も無いですし」

「そんなことありません。それに服もいつもの感じで大丈夫ですよ」

「いえ! 孝太郎くんオシャレだし隣を歩くのも申し訳ない……」

「ほとんど貰い物ですよ!」


 孝太郎は本当に服にそこまでのこだわりはなく、ワードローブの8割は大阪時代からの先輩ホストたちのお下がりだった。しかし春はさらに言った。


「オシャレですよ……髪色も、綺麗ですよね。ずっとピンクなんですか?」

「ずっとじゃないですよ。前は金で、東京来るときにピンクに染めました。意気込んで染めたんですけど、東京来てみたら意外とみんなそんな派手じゃなくて、あれ!? ってなったんですけどね」

「あぁ〜あるあるですね〜テレビのイメージで来たら、地味ですよね意外と東京の人間」


 そうそう、と笑う孝太郎に春は話を戻した。 


「女の子のキャラメイク苦手だからいっそ女の子の出ないストーリーにしたことがあるんですけど、恋愛要素が微塵も無いのは盛り上がりに欠けると言われてしまいまして……」

「まぁどのジャンルでもたいてい少しは恋愛要素入ってきますしヒロインいますね」

「そうなんです。だから編集さんにはいっそBLにチャレンジしてみてはどうかと勧められたんですけど……男同士の恋愛というのはどうもピンとこなくて……」

「なるほど」

 

 話の途中で孝太郎はすっくと立ち上がり、空になった耐熱皿を持ってキッチンに行き水に浸した。ふー、と息を吐く。唐突に片付けを始めたのは、春の口から男同士の恋愛、などというフレーズが飛び出して少し動揺したからである。ゲイだと職場では大っぴらにしている孝太郎だったが春には言っていない。言いそびれているうちに家に呼ぶ仲になってしまい、今更言えなくなった。ゲイだからといって見境なく男の尻を撫でたりするわけではないのだけれど、存在自体を毛嫌いする人はいる。春がそういう人ではないと信じたいけれどそれは言ってみなければわからない。妙な反応を見せた孝太郎に春は、ごめんなさい、と言った。


「あの……もしかしてBLとかそういうたぐいの話、絶対無理なタイプでしたか……? いきなり変な話してごめんなさい!」

「いえ! そんなことないですよ。多様性の時代ですし、近頃は映画とかでも取り上げられてるじゃないですか。おれは、ありだと思いますよ」


 孝太郎はゲイとバレないような範囲内で、同性愛を肯定する。春は取り皿をキッチンに持っていき、言った。


「じゃあ1回だけ、試しに描いてみようかな……描けるかわからないけど」

「試してみるのも、いいと思います」

「描いたらまたネーム見てもらってもいいですか?」


 春が描いた男同士の恋愛の話を読める、と思うと孝太郎は妙なテンションになりかけたがグッと頬の裏を噛んで堪えた。春は売れるために真面目に努力をしているのだから変な目で見てはいけない、と己を律する。


「おれでよかったらいつでも」

「ありがとうございます。何だか頼りっぱなしですみません。ぼくの方が年上なのに」


 童顔なので年が近く見えたが春は孝太郎より3つ年上の24歳だった。反対に孝太郎は少し上に見られるので2人が並んでいたら逆に思われることが多いだろう。


「いえ。おれも春さんとの時間にいつも癒やされてるので……」


 そこまで言って孝太郎は今のは少し恋愛的な意味に聞こえてしまうような気がして取り繕った。


「あ、ほら、せっかく作るなら誰かに食べてもらった方が嬉しいし、1人分作るのも2人分も手間は変わらないし割り勘だから食費も浮きますし」


 春は別段気にしていないようで、よかったです、と笑っていたので孝太郎はホッとした。片付けが終わると春は、そろそろ行きますね、と切り出した。そして、おやすみなさい、と言ってまだ明るい中隣の家に帰っていく。春が帰ると孝太郎は歯磨きをして、遮光カーテンを閉めて部屋を真っ暗にした。ふわぁ、と欠伸をしてベッドに入る。孝太郎は今から夕方までが睡眠時間で、夜からまた仕事だ。寝る前に春と一緒に腹を満たし、おやすみ、と言ってもらえるこの生活に孝太郎は満足していた。引っ越した理由でもあるほどなので春は孝太郎にとって好みなのだが、発展したいなどとは思っていなかった。ノンケ相手に不毛な恋をするのはもう懲り懲りだったし、なにより春との今の心地よい関係を崩したくなかったからだ。


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