ハイツ沈丁花の食卓

盆地パンチ

1 オムライスと裸の隣人

 朝日が昇り空が白みだす頃、守屋考太郎もりやこうたろうは意気揚々と帰途についていた。桜色の派手な髪も違和感なく似合う整った顔立ち、すらりと高い身長、ハイブランドのロゴが小さく入った白い薄手のダボッとしたセーターに黒のスラックス。彼の肩には少し不釣り合いなエコバックが下げられていた。2年前に大阪から東京に上京した孝太郎がこの少し都心から離れた駅を住居に選んだ決め手は3つ。まずは家賃の安さだ。孝太郎の暮らすハイツ沈丁花は孝太郎が大阪ミナミのホストクラブで働いていた時のお客さんであるマダムの持ち物件だった。2部屋空いてるからもし住むなら月2万でいいわよと好意で言ってもらったのだ。2つ目は駅を降りてすぐに24時間営業のスーパーがあったことだ。これはホストを仕事にしている孝太郎には非常に有り難いことだった。大抵早朝に帰宅する事になるので、普通のスーパーだとまだ開店していないのだ。孝太郎は今日もスーパーにより、あらかじめ買うと決めていた食材を購入していた。卵、玉ねぎ、コンソメ、生クリーム、鶏肉。それと買い置きの飲むヨーグルト。パンパンのエコバッグを肩にかけて歩く。角を曲がると木造の古びた2階建てのハイツが現れる。それが孝太郎の住むハイツ沈丁花だ。階段を上がって2階の真ん中の部屋。ここは2階に3部屋1階に3部屋計6部屋のこじんまりとしたハイツだ。鍵を開けて部屋に帰り、食材をエコバックごと野菜室に突っ込んでからまずはシャワーを浴びに行った。ついでに洗濯を回してから、台所に立つ。玉ねぎと鶏肉を塩コショウで炒めてから白ごはんの残りを大胆に投入し、思いっきりケチャップをかける。孝太郎は特に凝った料理を作るわけではないのでレシピなどは基本的に見ない。自分の頭の中の引き出しにあるやり方で作るだけだ。玉ねぎとコンソメ、あと冷蔵庫にあった余り野菜とベーコンの切れ端でコンソメスープも作る。そこまで作ってから孝太郎は電話をかけた。このハイツに住むことを決めた3つ目の理由に、だ。少ししてからピンポーン、とインターフォンが鳴った。孝太郎がドアを開けるとそこに立っていたのは鈴木春という孝太郎の隣、階段側に住む住人だった。春は、お邪魔します、と少しどもりながら言って靴を脱ぎ一礼してから部屋に上がった。


「もーすぐ出来るから待って下さい」


 孝太郎がそう声をかけると春はちょこん、とローテーブルの前のクッションに正座した。よれっとしたトレーナーにジーンズ、黒髪。くつ下には穴が開いている。この垢抜けない青年、鈴木春こそが、彼がこのハイツへの入居を決めた3つ目の理由だった。


 ハイツを見学に来た時、まだ孝太郎はここに住むか迷っていた。破格の家賃は魅力的だけれど新宿駅まで乗り換えが1回ある事と普通電車しか止まらない事が長期的に考えるとだるくなるような気がしたのだ。それと部屋の内装も少し古臭く、それも孝太郎にはネックだった。何故なら大阪から東京へとわざわざ引っ越した理由の1つは日本一の歓楽街である歌舞伎町でてっぺんを取るなどと言った志の高いものではなく『ゲイの恋人を作る』という慎ましやかな夢のためだ。大阪にいた時も作ろうとしていたが高校の時にはノンケの同級生相手にはこっぴどく失恋し、大阪の夜の街のゲイとは特にロマンスが生まれず、ロマンチックを求めて上京したのだった。それゆえに歓楽街からアクセスがイマイチな上に部屋が古臭くてダサいというのは孝太郎にとってかなり気になるポイントであったのだ。マダムの物件がいまいちだった場合に備えて不動産屋も予約していたのでそっちに行こうと思って部屋を出たときに、出会ってしまったのだ。隣の部屋の住人の鈴木春に。階段を上がってきた春は孝太郎に気づき、こんにちは、と挨拶して自宅に帰っていった。長めの前髪から覗く顔立ちは可愛らしく、孝太郎好みの真面目そうな青年だった。孝太郎は少しグラっときたが踏みとどまり、予約した不動産屋に行き2軒内見した。しかしその後でもう一回このハイツに戻ってきてしまったのだ。結局あの一瞬見ただけの美人な隣人が忘れられなかったのだ。ピンポーン、と彼の家のインターフォンを押す。しかし応答はなかった。どこかに出かけてしまったのか、まあそれならそれで縁が無かったということだ、と孝太郎が立ち去ろうとしたら中から薄っすらと、助けてください、と聞こえてきた。びっくりしてドアノブに手を掛けるとドアには鍵がかかっておらず、簡単に開いた。部屋の中は未開封のダンボールがごちゃごちゃと散らかっていた。


「助けてください……ッここです」


 その声と共にドアを叩く音が聞こえる。段ボールの山が崩れたのか通路にハマりこみ、トイレのドアが開かなくなっているみたいだった。孝太郎は靴を脱いで中に入り、重い段ボールをどけた。トイレのドアを開けるとあの隣人の彼は孝太郎を見るなりいきなり……ボロボロッと泣き出した。


「あれ、ごめんなさ……ありがとうございます……。気が緩んじゃって……普段家を尋ねてくる人がもう数ヶ月に1人いるかいないかなのでもう当分出られないかと覚悟してて……」

「いや、一人暮らしでこれは怖いですよねふつーに、よかった……はは」

 

 普通に話しているようで、孝太郎は理性を総動員していた。なぜなら彼は裸だったからだ。これが大阪ならば、何でトイレで全裸やねん、などと突っ込めたのだが相手は初対面の美人なのでそんなことも言えずただ目をそらすしかできなかった。彼は、服着てきます、と言ってトイレから出てその場に脱ぎ捨ててあったTシャツと下着とジャージを身に着けていた。


「……裸族なんですか?」


 どうしても気になって孝太郎が訪ねたら彼は、違います、と恥ずかしそうに笑った。


「トイレだけ服を脱ぐ癖があって」


 なんでやねん、と言いたいのを堪えて孝太郎は、なるほど、と返した。彼は言った。


「男の人でよかった。まぁ女の人が家に来ることなんてもっと無いんですけど……」


 その言葉に、この人はノンケ、つまり異性愛者だと孝太郎は察した。ノンケに恋しても不毛だと孝太郎は学生時代の手酷い失恋で学んだばかりだ。もうノンケは絶対に好きにならない、と心に決める孝太郎に彼は尋ねた。


「もしかして隣に引っ越すんですか? 昼間にも内見来てましたよね」

「え?あぁ〜……」

「優しい人で良かった! よかったら仲良くしてくださいね」


 ――…そう春に笑いかけられた孝太郎は気づけばマダムに連絡していて、気づけば契約して、引っ越していた。随分早まった気もするがおかげでこうして好みの男の子を家に呼ぶという目標は果たせているし、と孝太郎は思い直す。ケチャップライスを皿に盛ってから、生クリームを混ぜてフワフワにしたオムレツを作って上に乗せる。それを真ん中で綺麗に割ってケチャップライスを覆ってから、春の待つテーブルに持って行った。


「はいどーぞ」


 オムライスとコンソメスープを置くと春は、おお、と声を上げた。


「凄い……お店みたい……しかもスープまで……」


 孝太郎も自分の分を持って向かいに座り、いただきます、と手を合わせる。一口食べて、美味しい、と春は目を輝かせた。美味しいですね、と彼と笑い合い手料理を振る舞う一時に孝太郎は幸せを感じていた。春はおずおずと言った。


「食費、ちゃんと請求してくださいね。いつも安すぎるから心配で……」

「きっちり割り勘にしてますよ! てか生クリームとかも使っちゃうからちょい高くなってるくらいだし。自炊だとそんなものですから!」

「こんなに美味しいのに安いなんて……凄すぎます」


 春は、ウーバーって高かったんですねぇ、としみじみと言っていた。春は売れない漫画家だ。連載などは無く広告のPR漫画などの仕事で食えてはいるらしい。しかしお金の管理が苦手で月の前半はウーバーで好きなものを食べて月の後半になるといつも納豆と食パンで食いつないでると聞いた孝太郎が提案したのがこの会だ。孝太郎の仕事終わりの午前中、在宅仕事で家にいる春とブランチを食べる。それが2人のルーティンだ。


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