第31話 季節外れのバッタ (2)

それでも十五郎は死ななかった。死の影が覆いかぶさろうするがその度に命をかけた秀満の言葉に支えられて、ふらつきながらも倒れはしなかった。それに、小五郎は父上とのある約束にギュッと命綱を掴むようにしがみついていた。

————約束さえ守れば、父は必ず自分を迎えにきてくる……。

十五郎は暗闇を彷徨う様な逃避行を、そんな仄灯を頼りに歩んでいたのだが、死を乗り越えて少しずつ地固する事で少々の事ではつまずかない様にはなった。

「十五郎様、食糧を探してきまする。少々お待ちを」

最後の従者が言う。その声はわずかながら震え、従者の顔はひきつっていた。

————ここまででござりまする。

というその従者の心の声を十五郎は感じていた。

————あの様子では帰ってこぬな。とうとう一人かぁ……。

「……すまぬ」

十五郎はその従者を真っ直ぐに見つめるが、その従者は直視できないようだった。そして逃げるようにそそくさと去っていった。

空には鱗雲が流れていった。

「十五郎や……」

牧蓮尼は言ったが、十五郎はそれを遮るように弱々しい声で言った。

「そうではありませぬ。ば、婆様、せ……拙者は小五郎でござる」

牧蓮尼はボロボロになりながらも、まだわずかにも生きようとする十五郎を察して涙が頬を垂り落ちるのだった。



それ以来、小五郎は父上の噂を耳にするはなかった。もう父上に再び会うことはないのか。漠然とした寂しさや恐れが小五郎に病巣のように根を下ろし、気力を奪い、食欲を奪い、そして生きる希望を奪っていた。

小五郎はふと何の気なしに、原っぱの枯れ草に目をやった。枯れ草の根元あたりにバッタがへばりついていた。

————バッタ? 冬にか? 夏の虫のくせに長生きしたのか? 

————それとも季節を間違えたか? 

バッタにしては少々形状が異なっていたが、小五郎は妙に気になって見つめていた。枯れ草色に身を包み、同じ系統色の枯れ草にしがみつくバッタの様は、何か必死に困難を乗り越えようとしているように小五郎には見えた。

————そうやって隠れて冬を越すか? バッタよ。

その執念深いバッタに小五郎は、自然と顔がほころんだ。小五郎はふと、自分もあれから数ヶ月、よう生きてこれたものよ、と一人思い返していた。ろくなもんは食えんが、生きてはいる。

————戦では簡単に人が死んでいくのに、自分はなかなか死なないものよ。

とじっと動かないバッタを見ていて不思議に思えた。

————仲間と、はぐれたのか?

周囲の枯れ草を見渡してみたが、それらしきバッタは見当たらなかった。ふと神隠しが頭をよぎる。周囲からどんどんと人がいなくなる恐怖が蘇り、心の臓をギュッと鷲掴みされたかのように苦しくなる。

必死にしがみつくバッタをよくみると、数珠のように光る目から口もとに、黒く細長い模様が伸びていて、それが涙の跡のようにみえるのだった。

————バッタよ、長生きし過ぎて家族を失い、泣き濡らしたのか?

母煕子が死に、居城が燃え、父上は行方知れず、そして従者は全員去った。バッタに自身を重ねる小五郎は、全く微動だにしないバッタを張り裂ける思いで見つめていた。

そんな時、村人の童が三人、原っぱで駆けっこしながら遊んでいた。その童たちは小五郎の存在に気付いて近寄ろうとしていた。それは単に、やや歳上の存在に遊んでもらいたいという甘え心からだったらしい。何も知らないその童たちは、駆けっこしながら徐々にバッタが潜む枯れ草に近付いていた。

ガサガサと草むらを勝手気ままに駆け抜ける童たち。小五郎はじっとバッタを見つめていた。

————大丈夫じゃ。そっちには行かぬ。踏みつけられる心配はない。

小五郎は心の中で焦っているであろうバッタを諭す。バッタは動かない。

しかし、風の吹くまま駆け抜ける童たちは突如、方向転換してバッタに接近した。その刹那、バッタは羽を広げ飛んでしまった。

「————あぁ!」

無意識のうちに、ハッと上体を起こした小五郎は声を漏らした。

「おお、虫が飛んだ! 虫が飛んだ! 追いかけろ!」

突如現れた虫に、小五郎のことなど吹っ飛んだ様子の童たちは、夢中で虫を追いかけるのだった。

バッタはバタバタと猛進する巨人から羽を広げて必死に逃れようとしていた。

「やめぬかぁ!」

声を張り上げて無自覚のうちに右手を必死に伸ばして、童たちを静止しようとする小五郎がそこにいた。

「えっ……」

小五郎の声を聞いたことがなかった童たちは途端に立ち止まり、小五郎の方へ振り向き、驚きの表情を向ける。

標的にされていた状況から逃れたバッタは、悠々と空を飛び、その場を離れていった。

————見送るのはいつもそれがしか。

小五郎はこれまで身分を明かさないために、言葉を発することを自ら禁じていたが、身の危険を顧みず、自分に注意を引きつけて、バッタを助けたのだった。飛び去っていくバッタの後ろ姿を見ていた小五郎は、安堵した反面、少し寂しい気持ちになるのだった。力なく崩れ落ち、大木の幹に背を預けて、再びぼんやりと空を眺めていた。

そんな小五郎を原っぱで祭りの準備を手伝う由己が見つめていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る