第14話 夜泣きの山 (1)

由己は本能寺近くのお茶屋から暖簾(のれん)をかき分けて表通りへ出た。

店の中から、

「おおきに!」

と女中の元気な声が飛ぶ。

砂埃が舞う中、由己は長兵衛と五条通りを清水寺の方へと歩いていた。

「さて、長兵衛、先ほどは何やら言いづらそうであったが、どこへ向かっておる?」

「へへへ、旦那は本能寺の仔細を調べてぇだけで……」

長兵衛の何やら喉につっかえたような物言いに、由己は公には言いづらい何かだと察していた。

由己は意味深げにニヤついて、

「なんじゃ、密告などせんわ。わしは本能寺の一部始終が知りたいだけじゃ」

「あんまり大声では言えねぇんで。清水寺近くで茶を売っている勝三を探しに行くんでさぁ。ちょこちょこ場所変えてるんで、いつもいるってわけでじゃあねぇんですが……」

由己は顎を撫でながら、

「ほお、一銭茶屋か」

「へい、勝三のやつ、地方を練り歩いているせいか、いろいろな噂とか耳が早いんでさぁ。そんなとこから顔も広いし、裏事情にも詳しかったりするんでさ。それにひょっとこみたく、すっとぼけたことをやりやがるんで……。やつは戦場へも出掛けていって両軍の雑兵に茶を売り歩きながら、裏でお互いの内情まで売ってるんでさぁ」

「なんと豪気な一銭茶屋じゃなぁ。裏の商売の方は一銭じゃなさそうじゃなぁ」

そういうと由己は笑った。

「その一銭茶屋が本能寺について何か知っとるということじゃなぁ」

「いえ、そうじゃありゃあせんので」

由己は小首を傾げる。

「うむ、どういうことじゃ。違うのか?」

長兵衛は苦笑いになりながら、

「へへへ、実は勝三は人さらいを裏商売にしておりやして……」

由己はギョッとする。

普段俸禄の少ない雑兵は一攫千金を狙って戦に参加し、攻め入った村々から略奪することは当然あった。中には食糧に限らず、女、子供、男なども労働力としてさらい、地方へ売り歩く商売もあった。しかし、信長が京へ上洛して以降、取り締まりがかなり厳しくなっていたので、しばらくは天下静謐の時が流れていた。だが、本能寺の事変により信長が死去したことで、またもや無遠慮に人さらいのような乱暴狼藉が横行し始めていた。

由己はそのようなことが、裏社会に存在することは知っていたが、本能寺の真相を目前にして自身の前に立ちはだかるとは、思いもしなかったのである。それは人さらいを商売にするような荒くれ者たちを相手にしなければならないことを意味していた。

「なんと、人さらいとな。おぬし、なぜそのような者を知っておるのじゃ?」

「いやねぇ、あっしのような番匠をやってると、仕事によっては人手が急遽いるようなこともよくあるんでさぁ。奴ら、人手は豊富なもんで、時折格安で助けてもらってんでさぁ」

「ほお、奴ら……勝三とは一人じゃないのじゃな」

長兵衛は言いづらそうな顔色を浮かべる。

「へい、人さらいの卸元がいるんで。まぁ、なんともかんとも、ありように言ってしまうと山賊でぇ」

由己は目を丸くする。

「これまた驚いた。山賊ときたか」

長兵衛は気まずい顔をしながら、

「旦那、絶対に内緒ですぜぇ。何かあったら、あっしら生きていけねぇんで」

長兵衛は周囲に目を配る。

 由己は、落ち着け! と言わんばかりの手振りを見せながら、

「心配無用じゃ。何度も言うが、わしが欲しいのは事変の仔細だけじゃ。ところでその人さらいと本能寺と何の関係があるのじゃ?」

長兵衛は由己に近付き、小声で話す。

「最近、勝三から鮮魚が上がったが、用はないかと声がかかったんでさぁ」

由己は探るような目で長兵衛をみる。

「鮮魚とな」

長兵衛は薄ら笑いを浮かべながら、

「鮮魚とは奴隷でさぁ。ちょうど最近、山崎でひと戦がありやした。山賊は両軍に分かれて潜伏して戦っているふりして、山間にお互いの雑兵を誘い込んでそのままさらうんでさぁ。鮮魚とは羽柴方、明智方両軍の雑兵を仕入れたってことなんでさぁ」

由己は思わず、長兵衛を凝視する。

「な、なんと明智方の雑兵の中に本能寺にも出兵した兵がおるという事か!」

「それはわかりやせん。ただ、明智方の兵にはあるいはなくはないかと……」

そう話しながら、長兵衛はキョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていた。

清水寺に続く林道の木陰に旅僧風の頭を丸めた小男がどっかりと座っていた。長兵衛は由己に合図してその小男を指差した。その小男の目の前には、水の入った大きな木桶と、およそ一人では運べなさそうなほど大きな炉釜を置いていた。そして、その場で茶を馳走していたのだった。その小男はなるほど、ひょっとこに、そっくりなところがあり、戦場で茶をたてたところで警戒はされないだろうと思わせる、どこか人懐っこいさと明るい雰囲気を併せ持っていた。

その男は粉末の入った茶碗に炉釜から湯をササッと注ぎ入れ、サカサカと茶をたてていた。その作法は見かけによらず見事なものではあったが、それよりも由己は、茶の香りに誘われて、飲まずにはいられなくなり一銭茶屋に歩み寄った。

「一杯もらえるかな」

「へい。……あぁ、おめえさん」

一銭茶屋の小男は、はじけた笑顔で答えるがその刹那、側にいた長兵衛に気がつく。

「よぉ、勝三」

「長兵衛じゃねぇか。茶か? それとも……」

長兵衛は真顔で答える。

「今日は鮮魚に用があるんでぇ」

勝三は由己へ視線を投げる。

「長兵衛、この旦那は?」

「あぁ、この旦那は大丈夫。心配ねぇでさぁ。ある程度、内情は話してある。最近あがったっていう鮮魚のことだがちょいと尋ねたき事があってなあ、その鮮魚には明智方はおらんかぇ」

「……どういうこった?」

勝三は茶を立てながら、長兵衛の話に耳を傾ける。勝三は明智方を詮索している長兵衛を、探るような鋭い視線を飛ばす。

「あ、いや、ちょっと相談があってよう。この旦那が明智の兵を捜してんでさぁ……。であの……」

勝三はギロッと由己を見る。

由己は長兵衛では警戒されて口を閉ざされると感じ、長兵衛を遮って口を開いた。

「いやはや、わしは物書きでのぉ。最近起こった本能寺襲撃の仔細を知りたいんじゃ。それで明智方の兵がおれば、買い取りたいというわけじゃ。どうじゃ。金は出すがどうじゃ?」

由己は物腰柔らかに話す。

勝三はたてた茶を由己に渡す。

「どうぞ、一服。一貫になりやす」

勝三の突拍子のない高値に、由己は思わず笑う。

「一銭茶屋じゃなかったのかのぉ。一千倍にもなっとるが……」

勝三のひょっとこ顔が消え、卑しい視線を投げながら薄ら笑いを浮かべていた。先ほどまでの陽気な雰囲気が吹っ飛んで、いよいよ厳しく緊迫した空気感に、由己はやや圧倒されつつ、気付かれぬよう必死に平然を装う。

「紹介料がいるんで」

由己は勝三の凄みを利かせた声に、動揺する素振りなどみせず、あらためて尋ねる。

「では明智方の兵はおるという事じゃな」

すると勝三はゆっくりと頷いた。

「わかった。払おう」

勝三は由己に対し、両手で静止するような手振りをして、

「ただし、本能寺に出向いた兵がおるかは、わしらには皆目わからん」

勝三は薄ら笑いを浮かべて続ける。

「よかったら旦那、自分で会いなさって吟味されては? そこは近くの村の住民から夜泣きの山と恐れられとるところで、闇夜に亡霊の絶叫が聞こえるとかなんとか言われ、誰も近付きやせん。そんでもよければ、わしが案内するで」

由己は少し気遅れせざるを得なかった。

————夜泣き山とは、なんとも妖怪じみた話で面白そうじゃが……。

由己は怪談話の類は嫌いじゃなかった。だが夜泣き山へ行くことはすなわち、危険を顧みず、山賊の隠れ家に単身で乗り込むことを意味していた。勝三が薄ら笑いを浮かべたのはそういう理由があったからだった。万一、本能寺の急襲劇を知る者が入れば、仔細が明らかになる。そう思うと、溶岩が地表へ噴き出すような好奇心を、抑え込むことができなくなっていた。

「そうじゃなぁ。それが一番早そうじゃ。では案内を頼もうか」

勝三はやや意表をつかれていた。由己が怖気づいて断ると思っていたからである。

由己はここで長兵衛と別れ、勝三と山賊に会うべく、洞ヶ峠へ向かった。

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