02
塔矢さんのところを出て電車に乗った。
土曜日の午後、電車は空いてもいなければ混んでもいない。さっきもらった鍵が、コートのポケットの中で妙に重たかった。せっかくのカードキーなのに、どうしてこんな不格好で大きなキーホルダーをつけているんだろう。
最後にお世話になった親類が東京のひとだった。私はその家から高校に通って、流れで都内に就職してしまったからそのまま居座っている。本当は就職のタイミングで他県に出た方がよかったのかもしれない。なにしろ東京は住んでるだけでお金がかかる。
そういうことを、電車の窓の外を通り過ぎていく街並みを見ながら考える。マンションとかアパートとか一軒家とか、こうやって見てるとたくさんあるなと思う。皆どこからそこに住むお金を持ってくるのだろう。皆が皆、普通に会社とかに行って働いて、そうやってまっとうにもらった給料だけで生活してるんだろうか。そういう疑問がふつふつと湧いてくる。
少なくとも私の場合、昼間の仕事だけでそれをやるのは結構きつかった。普通の事務員だけの給料じゃみちかとふたりで暮らしていくのってわりとしんどいなと思って、デリヘルに登録した。その時点でなんかおかしな方向に進んでるような気がするなぁという予感はあったのだけど、あえて無視した。結果的にはそうやって転がっていった先で塔矢さんに出会ってしまったのだから、その予感は本物だったのだ。
なぜだろう。初めてあの顔を見てからずっと、私は塔矢さんのことが怖い。
私鉄の駅を降りて、ニ十分くらい歩いたところに築三十年くらいのアパートがあって、親戚の家を出た今は、みちかと二人でそこに住んでいる。正直女ふたりで住むにはセキュリティがいい加減すぎるとは思うのだけど、基本的には治安がいい地域なので目をつぶることにしている。設備とかはどうでもいい。ぼろぼろだった祖父の家と比べたらどこもちゃんとしている部類だ。
チャイムは壊れていて鳴らない。もちろんインターホンなんてものもない。玄関のドアをノックして中に入ると、いきなり焦げ臭い。高校のジャージを着たみちかがシンクの前の床を拭いている。
「あっ、ふみちゃんおかえりー」
とか言って、屈託のない顔で笑う。
「ただいま」
私は靴を脱ぐ。今更なにを焦がしたのなんてことは聞かない。そんなこと聞かなくてもみちかが勝手にぺらぺらしゃべってくれる。うんうんと相槌を打ちながらコートを脱いでハンガーにかけ、真っ黒になった手鍋が転がっているシンクで水を一杯汲んで飲んだ。東京の水道水はまずいって昔誰かが言っていた記憶がある。でも誰だったかはよく覚えていない。そもそもうまいかまずいか、私には今一つ判断がつかない。
「そんでねぇ、ふみちゃん。大丈夫?」
みちかが突然私の顔を覗き込んだ。
「なんかこわい顔してるよ。なんかあった?」
「なんもないよ。大丈夫」
私はそう答えてコップを洗う。そう、大丈夫、大丈夫だ。言葉は大事だ。唱えていればきっと大丈夫になる。
「みちか、明日引っ越しするから準備して」
そう告げると、みちかはさすがに驚いて、大きな目をぱちぱちさせる。身内のひいき目かもしれないけれど、顔はかなりかわいい。部屋着もぼろぼろになったジャージじゃなくて、もっとかわいい服を着た方が絶対にいい。
私はみちかの頭をぽんぽんと撫でた。
「大丈夫。新しい家、いいとこだよ」
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