2-4 わるだくみ(ここも好き)

 エドガーと別れたあともアメリアの頭の中ではずっとその名前が渦巻いていた。エドガーは大層なお金持ちという噂しか知らないみたいだったけれど(言いたくなかっただけかもしれない)その他の噂はゴシップ好きな娘たちが自分のことみたいに鼻を高くしながら色々と教えてくれた。オールポート市長の言う通り、彼女たちの聞きかじった知識は水を向ければ湯水のようにあふれてきた。

「アメリアって本当に遅れてるわ。たった一ヶ月だって家に閉じこもっていると話題からはすっかり置いてけぼりにされるみたいね。こんな基本的なこと誰だって知ってるけど、それにしたって年収が二万ポンドだなんて一体誰に聞いたの? わたしは三万ポンドだって聞いたわ」

「それに噂によれば射撃も乗馬もダンスもロンドンでは右にでる人がいないとか。それにとってもかっこいいんですって! ほら、あの面食いのサムナー夫人が贔屓にしているってもっぱらの噂なのよ。案外ありそうな話だと思わない? だってあの人のお屋敷って毎回違う男性が招かれるでしょ?」

「ちょっとアビー、その話はさっきわたしが否定したんじゃなかった? いくらアメリアが話題に遅れているからって、エドワーズさまが単身でアメリカに渡った話くらいは聞いたでしょ? それが三、四年前の話で、それより前となったらサムナー夫人はずっと一人にぞっこんだったじゃない。あのパッとしない人よ。サムナー夫人の好みは大体納得がいくけど、あれだけはどうしても理解できないわね。……あ、それでね。アメリア、これは確かな筋から聞いた話だけど、アメリカでは金鉱をいくつか買い取ったんですって! それで巨万の富を築いたってわけ! なんでも落ち目の小国くらいなら買い占められるくらいの大金ですって! 本当にアンナが羨ましいわね。一体どこでそんな良縁にこぎつけたんだか」

「まるで信じてないって顔をしてるけど、これは結構信憑性のある噂なんだからね。それから、わたしは何かの戦争で武功をあげたって聞いたの。何でもその時の記録がうちの図書室にあるんだって。えっ? 確認なんてするわけないじゃない。あんなところに閉じこもっていたら体を悪くしちゃうわ。あなたの妹じゃないんだから。でもね、良い噂ばかりじゃないのよ」と言うと娘たちは声を小さくして自然と顔を寄せた。「いい? これは誰にも絶対に秘密だからね――何でも、大層な女好きらしくて有名な女優とか……その、そういうことでお金を得ている女性とか、とにかく気に入った女性を囲い込んでるってもっぱらの噂なのよ。しかもその方法が驚きなの! なんでも土地と屋敷をポンと買い与えて逃げられないようにしているとか。ほんと、お金持ちの考えることってわたしたちの理解を超えるわよね」

「もっと強引な手段を使うこともあるらしいじゃない? ねぇ、アメリア。あなたがどれくらいそのお方について知っているのかわからないけど……噂によるとね、エドワーズさまって皮肉屋で意地悪で冷血な人らしいのよ。その上、目的のためには手段を選ばない人なんですって。だから、ある人は身に覚えのない借金を負わされて強引に縛り付けられたとかって話よ!」

「それは違うって話じゃなかった? 第一、噂の出典が信用ならないじゃない? ああ、そうそう! それからね……」

 何しろスキャンダラスな話題だったし、その上、普段から威張り散らしているアメリアを小馬鹿にしながら講釈を垂れる機会なんてそうそう巡ってくるものではない。娘たちは上機嫌で噂を口にして、その話はとどまるところを知らなかった。

 アメリアは今も活発な議論を聞き流しながら、小さく安堵のため息をついた。

「ああ、よかった。この分なら特に心配する必要もなさそうね。どの噂も荒唐無稽もいいところだわ。第一、人から伝え聞いた話を少し大げさに話すなんてよくあることだもの。それこそ今さっきエマとエドガーの出まかせに踊らされたばっかりじゃなかった?」

 火のない所に煙は立たないが、人間――特に噂好きの女性――はその煙を大きくしたり小さくしたりして火の大きさを自由自在に変えることができる。それこそ、この娘たちなら一文無しの浮浪者だって魅力的な人物にみせられるはずだ。囚われの姫を助け出した英雄だとか時代の波に飲まれて大成しなかった哀れな天才画家だとかあることないことでっちあげて。

「いくつか事実が混じっているかもしれないけど、結局それだけだわ。噂では大絶賛だったけど、実際に会ってみたらそうでもないなんてよくあることだし……きっと現実は小金持ちの成金か何かね。それにアンナがそんなに良い縁談にありつけるとも思えないもの」と、アメリアはあたりをつけた。

 とはいえ、代わり映えしない面子に新しい登場人物が加わるともなれば否応なしに心は躍るものだ。たとえそれが誰かの婚約者であったとしても。アメリアは娘たちが口々に褒めそやすのを聞きながら、ゆっくりと口角をあげた。

「みんな嘘みたいにその人を褒め称えるのね」

「それはそうよ! 色々なエピソードがあるけれど……でも、とんでもない大金持ちだってところまでは確定しているんだから。それにそれほどの貴族となれば品格もあるお方に決まってるじゃない」

「そうかしら?」アメリアは眉をあげて髪をくるくると人差し指に巻きつけた。「品格があるかどうかはわからないけれど、わたし今まで生きてきて賢明な男性には出会ったことがないの。ねぇ、だったらわたしの誘惑にも屈しないと思う?」

 娘たちは言葉の意味を理解して悲鳴のような声をあげた。

「まさかアンナから婚約者を奪うつもり!?」

「少しからかうだけよ。もし噂通りに聡明で賢明な人ならわたしの誘惑にひっかかることもないでしょ? ――まぁ、わたしはその大金持ちっていう前提も間違っていると思うけど!」それからアメリアは心の中でさらにあくどいことを思った。「その結果、もしこの縁談が白紙に戻ったとしてもそんなことわたしの知ったことじゃないわね。そもそもそういうのって、繋ぎ止められないほうが悪いもの――むしろ、そうなったら喜ばしいくらい!」腹黒い企みに胸は高鳴り、たちの悪い喜びが全身を駆けめぐる。不思議なことに倫理や道徳を無視すればするほど得られる快感は抗いがたいほどになっていく。

 そのとき――悪事を働くと決まって正義の使者が送られるように――アメリアは何かに導かれるようにして壁際に座る一人の淑女に気がついた。人目を避けるようにして長椅子に腰かけるその人物は、正義の使者としては申し分なく、顔立ちにはおさえきれない善良さが滲み出ていた。淡い緑色のドレスは何といっても品がよく、茶色の髪をふんわりと肩にかけ、静かに会場を見守る様子は貴婦人さながらだ。

 彼女、メアリー・イーストンはアメリアの数少ないの女友だちの一人で、唯一の親友だった。だからといって二人の性格が似ているのかといえばまったくそんなことはなく、名家の夫人たちは度々「一体どうしてメアリー・イーストンのような立派な淑女があの跳ねっ返りと懇意にするのだろう?」と首を傾げた。メアリー・イーストンのような理想の淑女が、これほど分かりやすい過ちを犯すはずがないだろうに。

 メアリーは誰にでも分け隔てなく優しくて、いつも顔に控えめな笑みを浮かべているような人物だった。その果てしない優しさは話す人全員の心を癒やし、いつもは厳しい名家の夫人たちもすっかりその魅力の虜になっていた。相談事にはいつも自分のことみたいに親身になって、感情移入するばかりに目からはポロポロと涙をこぼし、どうにか傷ついた心を癒やせるようにいつも懸命に頭を働かせている。それから、どんな悪人にも必ず一つは美点を見出せたし、それどころか本当の悪なんてこの世に存在しないと心の底から信じていた。どんな悪人にも優しい心はあるし、それにきっと道を踏み外したのも何か深い理由があってのことなのだろう、と。

 だからといって八方美人というわけではない。むしろ人一倍正義感が強くて、悪いことはきちんと正せる芯の強さを持っている。その上、絵画も手芸もピアノも上手で、まさに理想の淑女の体現者だった。茶色の瞳はどこかぼやけているようにみえて、一見してどんくさい印象を与えたけれど、話してみればメアリーがいかに聡明で思慮に長けた人物であるかわかるだろう。

 メアリーはアメリアに気がつくと顔をほころばせ、天使のような微笑みを浮かべた。

「アミィ! 久しぶり、元気だった?」メアリーの笑顔はいつだって純真無垢な優しさに満ちている。メアリーのそういう笑顔に触れると、アメリアはどれほど心がすさんでいるときだって心が穏やかになる。

 アメリアは自然と柔らかな笑みを浮かべながら「もちろん」と答えてメアリーの隣に腰を下ろした。

「ここのところずっと会っていなかったから、なんだか随分久しぶりな感じがするわね。手紙は書いていたけど……手紙なんかだとわたしの伝えたいことの一割も書けないのよ。それにしても本当に元気そうでよかった。事情は知っているから、こういうことをいうのもどうかと思うんだけど……わたしもアメリアが早く戻ってきてくれてとっても嬉しい。あなたがいるととっても楽しいし、それに――」メアリーは一瞬だけ何かを口ごもったけれど、すぐに取り繕って話を再開した。ろうそくに照らされたメアリーの頬はほんのりと桃色に染まっている。

「ああ、そうだ。リック・アボットにはもう会った? グランドツアーから帰ってきたばかりで、あなたに話したいことが沢山あるんだって。彼だけじゃないけどね。もう片手じゃ足りないくらいの人から言伝を頼まれちゃった。あまりにも大勢から言われるものだから、ずっとここに隠れてたのよ。ちょうど入り口からは死角になってるし、こんな奥まった場所までは誰もこないから」

「他には誰から?」

「ええっと……ハーディン家の三兄弟と、エドガーとローガンとエルドレッドさんとダニー・カーシュとか? ああ、それからサー・ウィリアムさんも。でもこれ以上わたしが伝えることなんて何もないわよね。どうせ自分から話しかけにいくんだから。きっと言わないだけであなたと話したい人はごまんといるわよ。さっきもね、ベネット夫人に質問する人がいっぱいいたのよ。『アメリアさんは今日こそいらっしゃるでしょうね』って。ベネット夫人も流石にお疲れでしょうね」メアリーはベネット夫人に同情深い笑みを浮かべたけれど、アメリアの脳内は先ほど列挙された名前でいっぱいだった。

「それにね、アメリアって居ても居なくても話題の中心人物なのよ。本当に事細かに教えてあげたいわ! その場にいないのにみんな実物が見えているみたいに褒め始めるんだから。わたし、聞き耳を立てるつもりはなかったんだけど、何しろ盛り上がってたから――それでもう、男の方があまりにも褒め称えるから自分のことみたいに恥ずかしくなって真っ赤になっちゃったのよ。それから、ご婦人も……ええっと、内容は詳しくいわないけど――とにかくアメリアの話題で持ちきりだったわ。でも正直それはちょっと困っちゃった。例えばアボット夫人とかなんだけど、『あなたは年齢の割に良識がありそうですから』とかって言ってご婦人たちのグループにわたしを招き入れるんだもの。わたしなんてうなずくので精一杯なのに」

「あのつまらない話を黙って聞けるってだけでも十分過ぎるくらいじゃない? わたしなら五秒も耐えられないもの」アメリアは先ほどのつまらない妄想を思い出して渋い顔をして答えた。本当にあそこにだけは仲間入りしたくないわね。しかしどうやらメアリーはアメリアの言葉を随分いい方向に解釈した。

「わたしも難しい話だったらうなずくしかできないと思うわ。年齢を重ねるほど人って考えに深みがでるでしょう?」

 アメリアは反対側の壁にずらりと陳列された婦人たちを眺めた。部屋の隅にまとまって座っている姿はまるで埃みたいだ。遠くからみても皮膚がたるんで目つきの悪くなった瞳を肉食獣ばりにギラつかせ、会場を跳びまわる娘に狙いを定めてはヒソヒソと嫌味を言い合っているのがわかった。メアリーはたとえどんなに性格の歪んだ人でも美点を見出す才能に長けていたから、きっとあの意地悪なご婦人たちも称賛されるべき存在に仕立て上げられるのだろう。だがアメリアにそんな特性はなく、婦人たちの意地悪に歪んだ顔を見ながら飽き飽きして返した。

「深みが出ているのはシワじゃない? それに、エドガーから聞いたわ。わたしのことよりももっとスキャンダラスな話題があったんでしょう?」

「なんだ、もう知っていたのね。残念ね、わたしが驚かせようと思ったのに!」と、いってからメアリーはアメリアがどうにも釈然としない顔をしているのに気がついて不安げに眉を下げた。

「もしかして手紙に書かなかったことを怒ってる? 何も意地悪じゃないのよ。ただ、いつ戻ってくるかも分からない状況だったから……もしもあなた抜きでこんな素敵なイベントが企画されているって知ったらきっと悲しむだろうと思ったの。でも今日みたいな良い日に戻ってこれるなんて、きっと神さまの思し召しね」メアリーは天使のような微笑みで膝の上で両手を組むと宙を見上げた。まるで天使か何かが本当に見えているかのような動作で、アメリアもそれを真似してみたけれど崇高なものがみえることはなかった。目に入ったのは豪華なシャンデリアと天井に施された豪華なレリーフだけだ。

「メアリーはたしかに良い子だけど、少し良い子すぎるところがあるわ。世の中に真に悪い人なんて誰もいないと本気で思い込んでるし、今日のイベントもこの場にいる全員が心の底から喜んでいるとしか思えないのね。別にわたしは嬉しくもなんともないのに。むしろそんな穏やかな気持ちとは真逆だっていうのに」

 そんな話をしている間にも、アメリアには無数の熱い視線が向けられていた。

 メアリーはそもそも気が弱く、特にそれが紳士とくれば挨拶すら気後れしてしまうたちだったのでどうにも落ち着きがなく、しきりに巻き毛を触れたりドレスの裾を整えたりしている。

「相変わらず人気者ね。わたしがあんまり引き止めたら怒られちゃうかしら」

「そんなことさせないわ。だってわたしの大切なお友だちだもの」

「そういってもらえると本当に光栄だわ。わたし、時々アメリアに見合わないなって思うことがあるから……今日だってアンナの大切な日なのに、わたしったら自分のことばかり考えてるのよ」メアリーは大きく息を吐いて、意を決して続けた。「ねぇ、アミィ。わたしどうしてもあなたに相談したいことがあって……」

「相談?」アメリアは首を傾げて聞き返した。メアリーは少し顔を赤らめて、しばらく言いにくそうに言葉を探してから、顔を近づけて消え入りそうなほど小さな声で耳打ちした。

「本当に、あのときアメリアがいてくれたら真偽を見極めてくれたはずなのに――あのね、アンディ・ヴァンスさんっていらっしゃるでしょう? それで、その……なんだか、こんなこと口にするのもおこがましいと思うんだけど……もしかしたら、わたしあの人に……のかもって思って。ねぇ、だとしたらどうしよう?」メアリーは話しながら顔を真っ赤にして最終的には俯いた。

 本人はしっかり隠し通しているつもりだったけれど、彼女がアンディ・ヴァンスに憧れを抱いているのは誰の目からみても明らかなことだった。二人が一緒にいるとき、メアリーがどれほど幸せそうに微笑んでいるのか知らない人はいないというのに。当の本人はここでも紳士に対する奥手をことごとく発揮してまるで進展がないのだ。メアリーを知る人たちは皆、メアリーの幸せを待ち望んでいるというのに。

 アメリアは何が問題なのかわからないという風に小首を傾げながら返した。

「よかったじゃない。でも、それこそどうして手紙に書いてくれなかったの? そんな素振りまるでなかったじゃない」

「だって、もしわたしの勘違いだったら恥ずかしいもの……ねぇ、どう思う? この髪飾りもヴァンスさまに頂いたんだけど……でも……つける勇気はなくて。でも未練がましく持ってきちゃった。アメリアならきっとわかるでしょ? だってほら、わたしなんかよりもよっぽど人気だから」といいながらメアリーは握りしめた手をひらき、可愛らしい髪飾りをアメリアに示した。

 それは花をモチーフにした上品な白い髪飾りで、繊細な加工が施されているあたりそれなりに値が張りそうな品だった。全体的に柔らかい曲線で縁取られていて、穏やかな雰囲気のメアリーにぴったりだ。それこそ男性が女性のことを寝る間も惜しんで考え抜いた結晶のような――そうでなくたって紳士が淑女に贈り物をする理由なんて一つしかないだろう。

 メアリーはアメリアが髪飾りを観察するのを何だかドキドキしながら見守っていた。正直にいうなら、こうしてメアリーがアメリアに相談を持ちかけたのだって、この素敵な贈り物を身につける勇気が欲しかったからに他ならないのだ。

 アメリアはそんなメアリーの心境をすっかり把握して笑顔を浮かべた。

「そうね、きっと。だってこれほどメアリーに似合う髪飾りも他にないもの」

「そうだといいな。でもわたし、本当に不安なの。アメリアみたいに社交的じゃないし、綺麗でもないし、上手く話せる自信もないし……それにあなたに言わせれば男性の愛なんて風見鶏みたいなものなんでしょう?」

「それどころか、あんなの物語の中だけの産物だけど」と、思ったけれど優しいアメリアは何も言わずににこりと笑っただけだった。

「それにしても、メアリーがこういう贈り物を受け取るなんてびっくりだわ。イーストン夫人もさぞ驚いたんじゃない? イーストンさんの体調も悪くならなければいいけど」

「淑女なら受け取らないって思う? そうよね。わたしもね、最初はこんな高価なもの受け取れませんって言ったんだけど。でもどうしてもって言われて受け取っちゃったの。今日もこれをつけてこようか、すごく悩んだのよ。受け取らなきゃよかったとまで思ったけど……でも、アメリアにそう言ってもらえてちょっとだけ勇気が湧いたわ」メアリーは手のひらの上でキラキラと輝く髪飾りを見つめてにこりと笑った。「つけてもらってもいい?」

「もちろんよ。だけど……ねぇ、わたしまだ大切なことを教えてもらってないわよ。それでメアリーはどう思ってるの?」

「えっ!? わ、わたしは選べるような立場じゃないわ。そんな、滅相もない!」

「もし――というか、そんな仮定もいらないんだけど――ヴァンスさんが結婚して欲しいっていったら結婚するの?」

 アメリアの追撃にメアリーは耳まで赤くして言葉を詰まらせた。

「ちょ、ちょっとまってよ。アメリア! わたしそんなところまで、考えられない」

「好きか嫌いかの二つで答えてよ。わたしが理解できるように」

「……好きか嫌いかでいうなら好きよ。それにわたしでいいとおっしゃってくれるのなら喜んで……」メアリーは消え入りそうな小さな声で囁いた。顔は真っ赤になって、白い手袋をはめた手で熟れた顔をぱたぱたとあおいでいる。

「ねぇ、アミィ。あなたは本当にヴァンスさんがわたしのこと好きだと思う? わたし、それだけがどうしても怖いの。一人だけ舞い上がってるなんてちょっと滑稽でしょ? みんなそういう人のことを陰で笑うんだもの」

「男性が女性に贈り物を贈る理由なんて太古の昔から一つしかないじゃない」

 それにしても、アンディったら少しはセンスがよくなったみたいね。アメリアはメアリーの髪に髪飾りをつけながら、かつての恋人との思い出を振り返ろうとした。けれど、思い出せたことといえばつまらない口説き文句とうんざりするような贈り物の数々だけでそれ以外はからっきしだ。

 メアリーはその間も上気した顔をパタパタとあおいで、何か他の話題を探っていた。これ以上同じ話題を続けたら気絶しちゃいそうだもの。それに結婚なんて、本当にアミィったら気が早いわ。まだ婚約もしてないっていうのに――でもきっと本気で祝ってくれてるのね。やっぱりアミィってとっても優しい。

 それからメアリーは〝婚約〟という言葉で今日の輝かしいイベントを思い出してうっとりとした微笑みを浮かべた。アメリアにとってアンナは目の上のたんこぶでしかなかったが、メアリーからすればかけがえのない友だちの一人なのだ。

「ねぇ、アミィ。エドワーズさまって噂通りの人だと思う?」

「まさか! 正直あの半分も当たっていたら上出来ってくらいじゃない?」

「アミィならそういうと思ったわ。でもわたしは全部本当だったらいいなって思うのよ。だってそうでしょう? アンナは立派な淑女だし良縁に恵まれたならそれってとっても素敵なことだわ」

「そう? わたしは別に――ねぇ、待って。あの人だかりは何?」

 いつの間にか、サルーンの入り口を取り囲むようにして人の輪ができていた。囲んでいるのは主に若い娘たちで、遠くに居ても黄色い声が聞こえてくる。メアリーはその光景を貴婦人のように穏やかに眺めながら落ち着いて口を答えた。

「きっとエドワーズさまが到着されたのよ。わたしはここにいるからアミィは行ってきたらどう?」

「メアリーは気にならないの?」

「気後れするたちだって知ってるでしょう? それに、その――」メアリーは顔を赤くしながらちらりと視線を上げた。その視線の先にはアンディ・ヴァンスの姿があり、しきりにメアリーをちらちらとみて様子をうかがっている。

「なんだ、二人っきりになりたいなら早くそう言ってくれればよかったのに」

「そ、そういうわけじゃないわ! ……それに居てくれるなら居てくれたほうが助かるくらい。だって、今だって不安でおかしくなりそうなのに――」

「きっと今日か明日には正式に言い寄られるわよ」その一言に、メアリーは耳の先まで真っ赤にして小さくうつむいた。唇は恥ずかしそうに噛みしめられていたけれど、その愛らしい口角が小さく弧を描いているのをみてアメリアはさっさとその場から離れ、サルーンの入り口に目を向けた。

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