2章

2-1 ベネット家とアボット家

 一九世紀のこの頃、舞踏会や豪華な食事会といった贅を尽くした催しは日常の一部となり、毎週のようにどこかの家では友人を集めたパーティーが開催されていた。主催は力の限り趣向をこらして招待客をもてなす――というのも、もしその会に参加していたお喋りなご婦人が「あの家の人はもてなし方が独特ですわ」なんて婉曲えんきょくに知人に触れ回ったらその家の面目は丸つぶれ、名声も潰えるというわけだ。もちろん中にはイーストン家のようにただ純粋に招待客を楽しませたいと願う稀有な例もあったけれど、そういう心根の綺麗な人間はそうそういるものではない。大抵の夫人たちの願いといえば、パーティーの成功と将来有望な結婚相手を娘に見繕うことくらいなのだから。

 どこの家も競うようにして派手で豪奢なパーティーを開いたが、その中でも群を抜いて立派なのはアボット家とベネット家の主催するパーティーだ。ただ、その性質には真逆で氷と溶岩ほどの差があった。

 アボット家は典型的な虚栄心にまみれた歴史の浅い貴族で、その凄まじい虚栄心は自らを没落の道に誘いこみ、立ち止まることを良しとしなかった。必ず一ヶ月に一度はアボット家で舞踏会が執り行われ、そこでは毎回、最高級の鴨肉やロンドンの有名弦楽団、それから余興のための劇団や時代のスターまでとにかく富の証明となりそうなものが片っ端から並べたてられる。使用人は招待客一人につき二人つけるような贅沢ぶり。おろしたての銀器は顔が反射するほど磨かれ、屋敷のギャラリーにはアボット夫人が買い集めた古今東西の代物がごまんと並べられていた。

 アボット夫人いわく「コレクター」らしいが、当の本人がろくな愛着を持っていないことは骨董品の上に積もった埃を見れば一目瞭然だ。今や埃は一センチにも及ぶ厚さで骨董品を覆い尽くしていた。

 何しろそんな様子だったので招待客がギャラリーに足を運ぶことはまずなく、当人がそのコレクションを見せびらかす機会はほとんど巡ってこなかった。アボット夫人は内心、それをよく思っていなかったので、時折迷い込んだ哀れな招待客を捕まえては埃にまみれたコレクションを指さして「これは二百ポンドで競り落としましたわ。こっちは三百ポンドと十シリング」などと鼻を高くしながら説明してみせた。しかし、その口から歴史や逸話が語られることはない。何しろそんなことまるで知らないのだから――いくらで買い求めたのか以外は何も。

 一体、この王族さながらの華やかな舞踏会やアボット夫人のコレクションにまつわる費用はどこから捻出されているのだろう? という当然の疑問は町のひそかな関心事だった。ミスター・アボットの年収だってせいぜい二千ポンド、そんなもの夫人のコレクションだけであっという間になくなってしまうだろうに! その上、少し下品なほど贅を尽くした舞踏会を毎月執り行っているじゃないか! そんな疑念から一つ二つとゴシップの種が芽吹き、それはいつの間にかアボット家の家紋をしっかりと覆い尽くした。つまりアボット家は日々の食費をきりつめたり、土地を売ったり、あろうことか金貸しからいくらか借金をしているとかいう噂だ。真偽がどうにしろ、こういうゴシップが芽生えた時点でその名声は潰えたようなものなのだが、虚栄心の言いなりであるアボット家の愚行は止まらない。長男のリック・アボットがグランドツアーで持ち帰ったお土産もあと数日もしないうちにすべて売り払うことになるだろうともっぱらの噂だった。

 その一方で、ベネット家はそれはそれは由緒正しい家柄で、建国以来の貴族だった。とてつもなく広い土地と何代かかっても使い切れないような大金を持ち、壮麗で格式高いお屋敷に、数え切れないほどの使用人を雇っている。当然この郡でもかなり上位の権力者で、何代にも渡ってこの近辺を統治している――とはいえ、アメリアはたいして興味もなかったので覚えていることといえばそれくらいのものだ。とにかく、お金があって、土地があって、家が大きくて、そしてその一人娘のアンナ・ベネットは会うたびにパリの流行最先端の服を身にまとっている。アメリアにとって一番重要なのは最後の項目で、それ以外は心底どうでも良い。

 アンナの身につけるドレスときたら、どれもこれも布地が二十ヤード〔十八メートル〕は必要な設計で、腰回りに寄せられたギャザーは他では類を見ないほどだったし、ドレープは床につくほど長く、ギリシア彫刻と見紛うほどに優美だった。デザインを手がけるのはベネット家お抱えの服飾店――パリの高級服飾店が軒をつらねるリュー・ド・ラぺ通りにあるちょっとした有名店――だ。モードの中心というだけあって、流行の取り入れはどこよりも早く、アンナはいつだって誰も見たことがないような最新の出で立ちを決まって素敵に着こなしている。アンナであればたとえ髪を全部剃り上げるとかいう奇抜なファッションでもこの上なく上品に魅せ、流行遅れの淑女たちを嫉妬と羨望の渦に陥れ、その手にはさみ剃刀かみそりを握らせることができるはずだ。そう思わせるものが確かに彼女には備わっていた。

 父親譲りのはっきりとした顔だちに高い身長、それから母親譲りの透き通るような金髪に青い瞳。目は吊り気味で少しきつい印象があり、鼻は高くしっかりと筋が通っている。顎の先は常に上に向けられて、眉は他人を見下すためにあるところを境にかくっと折れ曲がっている。その青眼には教養と知性、それから名家出身のプライドといくらかの虚栄心が入り混じりあい、確かな輝きを放っていた。その姿は愛らしい天使というよりは戦いの女神アテナを彷彿とさせる。凛々しい美しさはトゲのように鋭く、一見すると恐ろしくもあった。そういう諸々の性質が絶妙な加減で混じり合い、アンナに無視しがたいスター性を授けていた。決して紳士にウケがいいタイプではなかったけれど、その自立した美しさは時と場所が違えば間違いなく人々を魅了したに違いない。

 それは絶世の美女とうたわれるアメリアでも無視しがたいほどで、二人はちょっとしたライバル関係にあってとにかく仲が悪い。いつだって二人の視線の間には激しい火花が飛び交っているし、同じパーティーに参加しているとあらば互いに嫌味の一つでも言わないと気がすまない。そんな二人の様子は気の弱いご婦人であれば気絶しそうになるほどで、二人の背後に悪魔の姿を見た回数はもはや数え切れなかった。

 アンナからすればたいした美点もないくせに、美貌というただ一つの天から授かった武器だけを振り回して傲慢を繰り返すアメリアが許せなかったし、その態度が妙に鼻についた。名家出身のプライドは少しでも傷つけられると烈火のような怒りとなり、辛辣な皮肉という形をとって口から飛び出した。そんな言葉のトゲを持ってして、勝ち気なアメリアを打ち負かすのはあまりにも甘美な悦びで、アンナの性格を捻じ曲げるのに一役買っていた。

 アメリアは言うまでもなく、この世の男性は全て自分のものにしなければ気がすまないし、社交界の頂点は自分しかいないと確信している。自分の縄張りを荒らす不届き者は誰であれ噛みつかないわけにはいかないし、それからアンナのプライドの高さも性悪も、その全てが癪に障り、そんなわけでアメリアはアンナのことを毛嫌いしていた。

 とはいえベネット家に近づくと心はうずいて、毎回のことながら逸る気持ちが抑えられなくなる。〈ノーザングリット〉はまさに豪邸という言葉がぴったりと似合う巨大な邸宅だった。玄関ポーチにはイオニア式の堂々とした列柱が六本横並びになっており、庭園には季節ごとに色とりどりの花が咲き誇ってそれだけで圧巻の眺めだ。庭園の中央には大きな噴水があり、噴水は休むことなく水柱を天に届くほど高く打ち上げている。そこから少し歩けば果樹園と温室がある。そこはいつも芳しい匂いがして、紳士と二人きりになるにはうってつけの場所だった。舞踏会ともなれば屋敷中の窓という窓から煌々と明かりがもれて、数マイル先からでもその明るさを感じ取れた。アメリアは毎回、馬車の中からその景色を眺めるだけで居ても立ってもいられなくなり、大抵は羽目を外しすぎることになる。当然、今回も例外ではなく、その荘厳な外観が丘の向こうから顔をあらわした時点で母のありがたい忠告はすでに頭からこぼれ落ちていた。

「アメリアさま。そもそも喪に服すべき立場であるということをお忘れなく。さもなくば奥さまに残酷な報告をすることになりますからね! まぁ、誰とも踊るなとはいいませんけど……ただし数人だけですよ。わたしが譲歩できるのはそこまでですから」あの紫檀の手紙入れに閉じ込められた山のようなラブレターのことを思うとあまり強くでることもできず、ソフィーはあってないような忠告を繰り返した。社交界がこれほどアメリアを熱望しているというのに、それを自分の判断だけで閉じ込めておく勇気も根気もソフィーは持ち合わせていない。これがスレイター家一番の頑固者であるオルコットだったなら断固として拒否する構えを示しただろうけれど、ソフィーは自分の考えを絶対的な正義だと思うにはまだまだ年齢が足りなかったし、自分の信念を貫くよりも適当な自己弁護を考える方がよっぽど得意だった。だから今日も「人前に出るだけで常識がないんだから、いまさら二、三人と踊ったって何も変わりませんよ」と自分に言い聞かせ、恐らく帰りの馬車の中ではさらなる言い訳を考える羽目になるのだろうとうっすら予感した。

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