1-3 とても楽しい作戦会議

 アメリアはもともとお気楽でちゃらんぽらんなところがあったので、父の言葉は神の言葉と受け取り、許しがでるなり今夜の楽しい催しを頭の中に思い描いた。退屈で陰鬱な喪中であるということはその小さな頭の中からはすっかりと抜け落ち、その代わりに頭を埋め尽くしたのはシャンデリアの煌々たる灯りや男たちの神経を昂ぶらせる熱い羨望の眼差しだ。閉じた目の裏には既に体験したみたいに今日起こるであろう事柄が鮮明に想像できた。

 まず、今日の舞台であるベネット家のサルーンは招待客で埋め尽くされて足の踏み場もないほど。家具も床も顔が反射するほどピカピカに磨かれ、至る所で活気溢れる談笑が繰り広げられている。老紳士の落ち着いたしゃがれ声や若い男たちの活気にあふれるテノール、娘たちの高いソプラノが入り混じり会話はうねりとなって大きくなったり小さくなったりを不規則に繰り返す。会話は決して途切れることなく続き、時折グループの輪を大きくしたり小さくしたり、あるいはどこかの大きい集団に吸収されたり、そこでは新しい出会いがあって懐かしい再会がある。使用人たちはグラスを片手に忙しなく招待客の間を縫って歩き、その裏ではてんやわんやの大騒ぎが繰り広げられている。どこかで酒を飲んで勢いづいた男たちの小競り合いがあって、女達は水面下で火花を散らしあっている。

「でも、そんな活気も無限に続くわけじゃないわ。いつまでも始まらない音楽に皆が飽き飽きして、わたし目当てでやってきた紳士たちが肩を落とし、どこの会話にも気怠さが見え始めた頃……オーバー・スカートをいっぱいに膨らませ、髪に挿した生花の甘い香りを存分に漂わせながら今日の主役たるわたしが登場したらみんなどれほど喜ぶかしらね? きっと主役の登場に会場には活気が舞い戻り、弦楽団は待っていましたといわんばかりにカドリールを奏で始めるに違いないわ」

 まるで目の前にその光景がみえるみたいだ。アメリアはシャンデリアの煌々たる灯りの下、自分がどれほど愛らしく振る舞えるかを考えて悦に浸った。

 ドレスの裾からペチコートをちらりと覗かせ、何気ない風を装って様子をうかがう男性に意味ありげな微笑みを浮かべよう。それから、ロンドンでも指折りの弦楽団の五重奏に合わせて誰よりも可憐にステップを踏むのだ。周りには一緒に踊りたくてうずうずしている男たちを思う存分侍らして、そして今日はどんなイケてない男たちにも目配せして、その小さなハートをいっぱいにしてやろう。

「間違いなく、あの嫌味なお馬鹿さんたちにとってはつまらない会になるわよ」意地悪と同情の籠もった、しかし憎めない声色でアメリアが笑うとソフィーは作業を中断してアメリアに向き直った。若い乳母は薄い唇をツンと尖らせ、眉間にしわを寄せて不満をありありと表現している。腕にはアメリアが脱ぎ散らかした青と白と赤のドレスがかけられ革命軍の面持ち。薄いブラウンの瞳は毅然きぜんと細められ、横暴な女王を是が非でも止めてみせるという覚悟が伺えた。

「いつもみたいに散々な振る舞いをしようと企んでいるみたいですけど、そうはいきませんよ。そもそも、本当ならあと一ヶ月は静かに過ごすべきだっていうのに――本当に旦那さまはお嬢さまに甘すぎますよ。いつもみたいに散々な振る舞いをするようなら引きずってでも連れて帰りますからね」

 ソフィーは鼻息を荒くして詰め寄ったが、アメリアはどこ吹く風で天鵞絨びろうどのカウチで頬杖をつきながら未だに楽しい妄想に耽っていた。ソフィーの小言なんて耳にも入らず、頭の中では既に弦楽団の奏でる力強いカドリールが響いていて今にも踊り出したいくらいだ。

「それに、アメリアさまの最近の行動はいい加減目に余ります。奥さまがどれほど嘆き悲しんでいるかなんて興味もないんでしょうけどね、奥さまの体調がなかなか良くならないことも、半分くらいはアメリアさまの非道極まる行いに心を痛めているからだと確信していますよ。わたしだけじゃなくて、ダーシー先生もそうおっしゃっていましたから間違いありません。どうせ見逃してくれるだろうと甘く捉えているみたいですけど、今日に限ってはわたしも他所のお嬢さまたちの味方ですからね。いいですか? 今日は誰とも踊らないこと! 参加するっていうだけで常識がないのに、紳士を取っ替え引っ替えして踊っていただなんて噂がたてばどうなるか……」

「それで、どうなるっていうの?」アメリアはぶっきらぼうに答えて続けた。「無茶なこと言わないでよ、ソフィー。あと一ヶ月も家に閉じこもってたらわたし本当におかしくなるわよ。大体そんな馬鹿なこと誰が決めたっていうの? 若い女にとって社交のない一ヶ月がどれほど長いか知らないんだわ」

 それにしたって本当に退屈で長い一ヶ月だった! 毎日やることといえばピアノと裁縫くらい。しかもそのどちらも地獄のような時間だった。ピアノは日頃の練習が物をいうらしく自分でも笑っちゃうくらい不出来だったし、ジョージアナがこれみよがしに隣で弾いてくるのにも腹が立った。その上、慣れないことをしたせいで指が不自然な形で固まって、しばらくは指を伸ばそうとする度に鈍い痛みが走るのもうんざりした。だからといって裁縫はもっと最悪で思い出したくもない。五目縫う間に一回は針を指に刺すから指先は血だらけだし、糸は気がつかない内に不思議な結び目を作ってアメリアを苛つかせた。その上、縫い手の気性が反映されているのか、どうにか仕上げた刺繍も縫い目がガタガタで見るに堪えない出来だった。そんなわけで刺繍にも早々に嫌気がさし、結局窓の外を眺めて誰か知り合いが通りがかる事を祈る以外にやることがなかったのだ。あの苦しい一ヶ月に比べれば、どんな不出来な男性と話すのだって楽しいに決まっている。

「まったく、薄情なお嬢さんですね! たかだか一ヶ月が何だっていうんですか。故人を想う時間よりもご自身の魅力をひけらかす方が重要だと仰るんですね?」

「だって特別に関わりがあったわけじゃないもの。顔だって肖像画を見てやっと思い出したくらいなのよ? でも多分もう二度と忘れないでしょうね。この一ヶ月、毎日……えっと、名前が思い出せないけど、とにかくミスター・なんとかさんの事を思い続けたんだから。『あなたのお陰でもう一ヶ月も家に閉じ込められています』ってね。これだけ個人を思ったんだからいい加減許されてもいいってものだわ」

「いいですか、アメリアさま。あなたに人を想う気持ちがないっていうのはよぉくわかりましたが……そもそもこういうものは慣習じゃないですか。いちいち撥ね退ける方がおかしいってものですよ」

 慣習、という言葉にアメリアは嫌な顔をした。

「それにしたって、喪中なんてシステムもそうだけど……世の中にはよくわからないルールの多いこと。足首が見えるほど短いドレスを着ちゃいけないとか、お目付け役もなしに出歩いちゃいけないとか、恋人を同時に二人つくっちゃいけないとか。つくづく思うんだけど規則を定める人って理不尽だと思わない? わたしが神さまなら絶対そんなルールはつくらないわ」

 ソフィーはアメリアのとんでもない言葉の数々にぎょっとして、気の遠くなる思いだった。いっそこのどうしようもない娘を放って気絶できたらどれほど良かったか! しかし信心深く敬虔で、道徳に服従を決め込んでいるソフィーは意志の力で倒れそうになる体を食い止めた。ただ、その代償とばかりに眉間のしわは更に深く刻まれることになった。

「そんなはしたない真似してごらんなさい! そんな方、誰が淑女として扱ってくれるものですか! 今日び娼婦だってそんな格好しませんよ。アメリアさまは歴とした家柄の淑女なんですから、それ相応の振る舞いが求められるのは当然のことでしょう。それから、恋人云々に関しては論外です。一体どうしてそういう発想に至ったんだか! 健全な子女ならそんな考え持つわけがありませんよ。まったく、奥さまが聞いたらどれほど悲しみになるか!」腕にかけていたドレスの一枚がはらりと床に落ちたのを拾い上げて、ソフィーは作業に戻った。床にはアメリアが脱ぎ捨てた色とりどりのドレスが散らばり布の花畑を作り上げている。それを一枚一枚丁寧に衣装棚に戻しながらソフィーの小言は延々と続いた。

「今のお嬢さまに必要なのは恋人でも華やかなドレスでもなくて神の言葉でしょうね」

「もう、冗談だってば。でも男性は時々、同時に二人と関係を持ったりするでしょ? この間だってそうよ。わたし、エドガーがまさかエマ・アボットといい感じだとはちっとも思ってなかったの。知らず知らずの内に邪魔したみたいだけど……でも別にそれが羨ましいって言いたいわけじゃなくてね」――だって"正式な"恋人は一人だけでも"非公式"の恋人は何人だって作っていいものね。目線だけならどれほどスリリングなことも約束し放題だし、それに誰も見てないならもっと大胆なことだって許されるわ――とは流石に口にしなかった。いくらこの乳母が自分に甘いからといって、こんなこと口にしたら承知しないだろう。「まぁ、とにかく驚いたって話。ねぇ、ソフィーは知ってた? あの二人、一体いつからそんな関係になったのかしら?」

「本当に知らなかったんですか? わたしはてっきりあてつけだと思ったんですけどね。なんたって、エマさまときたら、出会う人全員に言って回っていましたし。それはもう共有財産って感じで。他所のお嬢さま方の見解も嫌がらせで概ね一致していましたよ」

「あら、そうなの。それでいつから?」

「去年の十二月くらいですかね」

「ふうん」アメリアは気のない返事をしたが、内心では激しい怒りに沸き立って今にもおかしくなりそうだった。「十二月といえば、一年の中で最も重要な月だわ。何しろ月の後半にはわたしの誕生日があるんだから。このわたしの誕生パーティーの裏でこそこそと密会していただなんてね。エドガーも目線だけで散々スリリングなことを約束した仲だっていうのに、よくも他の女を口説いた唇でわたしに愛の言葉を囁くものだわ! しかもよりによって、その相手がエマ・アボットだなんて!」アメリアはその相手を思って唇を噛み締めた。

 エマ・アボットは異様に背の高い女で、その身長は男性と並んでもまるで遜色がなかった。瞳は蛇のように鋭く、意地悪に満ちていて、いつも嫌がらせのことばかり考えているものだから吊りあがった目尻はいよいよ元の位置に戻らなくなっていた。顔の周りには赤みがかった髪が取り巻き、その中央にはかくも立派な鷲鼻がそびえ立っている。その長身の割には痩せすぎで、少し動く度に全身の骨という骨が皮膚から飛び出しそうなほど浮き上がった。その上、彼女は女性らしいなだらかな曲線とはまったくの無縁で、肩から足にかけては切り落としたような絶壁があった。性格は高慢そのもので、誰かを見下さずにはいられず、いつも気取って顎を上げながら歩いているのが妙にアメリアの癪に障った。

 一方のエドガーは、大学を放校になるほどのやんちゃ坊主で、酒が入ると誰よりも喧嘩っ早いが、乗馬も射撃もダンスも右に出るものはいないほどの腕前の持ち主だ。賭け事だけは熱くなりやすい性格が災いしてあまり上手くいった試しがないとはいえ、正直なことをいうのならエドガーはアメリアの"非公式"の恋人の中でもかなり良い線をいっていた。愛するまでには至らなかったが、少なくとも好ましくは思っていた。散々愛の言葉を語り合い、事実一回は駆け落ちの約束もしたのに――とアメリアは遠い昔の記憶を思ってみたが、果たしてそれがどういう経緯で中止になったのかは思い出せなかった。

 結局、二人の関係は知らず知らずのうちにアメリアが破壊した訳だが、それでもこの一ヶ月間というものアメリアは釈然としない思いでいっぱいだった。それこそ、林檎が空に向かって落ちていったような……絶対的な理が揺らぐのを目撃したような気分だ。たとえ今、二人の関係が冷え切っていたとしても、エドガーの気持ちが一瞬でもエマに傾いたという事実だけは変わりようがないのだ。

「そんなこと信じたくもない。この世に存在する紳士が、少なくともわたしの目の届く範囲にいる紳士が、他の女に恋心を抱くなんてあってはならないのに……。もしかして、他の恋人もわたしを褒めそやす影では本当に思いを寄せる人がいるのかしら? いるでしょうね。きっといるはずよ。だって男性のいう愛がどれほど移り気なものかはちゃんとわかってるもの」

 誰よりも気の利いた贈り物をくれたジェームズも、誰よりも詩的に愛の言葉を語ってくれたサイラスも、誰よりも熱烈な瞳で見つめてくれたダニーも、誰よりも強く抱きしめてくれたローガンも、誰も彼もアメリアが別れを告げればあっさりと身を引き、その挙げ句、一週間も放っておけばあっさり別の女に熱をあげようとする。一週間前はあれほど手を変え品を変え、アメリアの気を引こうと必死に言葉を尽くしたというのに。もちろん、アメリアの手腕を持ってすればもう一度自分に想いをよせるように仕向けるだなんて、息をするよりも簡単なことだったが、だからといってこの虚しさばかりはどうにもならない。

 どうやら紳士の語る愛というのは羽よりも軽く、ちょっとしたそよ風で飛んでいってしまう程度のものらしい。そして現実に存在する「愛」がその程度のものであることはアメリアも薄々気がついていた。そこに御伽噺に出てくるような我が身に差し迫る感情というのは存在しないし、そんなもの所詮作り話にすぎないのだろう。それどころか、現実はもっと過酷で残酷だ。現実には愛を受け取れるだけで御の字というもの。右を見ても左を見ても、愛のない結婚なんて山のようにあるし、意中の人と結ばれないなんて物語に見るまでもなく、世の中に溢れかえっている。

 だからといってすっぱり諦められるほどアメリアは大人ではなかった。迫りくる現実から目を背けながら、アメリアは未だに幼い頃夢に描いたような切々と湧き上がる恋心とか、何を捨ててでも手に入れたい愛だとか、心を通わせあった喜びとかそういう蜃気楼のようなものを未だに追い求め続けているのだ。

 とはいえ、素敵な恋をしてみたいと思う気持ちが恋人を山のように作らない理由にはならないし、男性が他の女に夢中になっているのはどうにも腹立たしい。世界の中心は自分でなければ収まりがつかないのがアメリアという人だった。ああ、神さま! いつか恋をしたらきっと一途になります。でも今は……。

「そうよ、男の人がいう愛の儚さはちゃんとわかっているもの。ちょっとしたことですぐに消えてなくなってしまうようなものなのよ。となれば、わたしの恋人たちだって、この一ヶ月でわたしのことなんてすっかり忘れて、他の女に目がくらんでもおかしな話ではないわ。だめよ、だめ。そんなの絶対許せない。ああ、今すぐにでも舞踏会が始まればいいのに! わたしのことを一目見れば、みんな他の女にかまけていた自分が恥ずかしくなるに決まってるわ。何しろ今日のわたしは一段と綺麗だし」アメリアは口角を上げて思い出したかのように姿見の前に飛んでいった。単純なもので、鏡の中に映る自分を食い入るように見つめていれば、うんざりする不安も不機嫌もどこかへ飛んでいってしまった。

 五段もあるオーバースカートにはそれぞれにギャザーがたっぷりと寄せられてふんわりとした理想のシルエットを描き出していた。動く度に左右に揺れる様子は鐘のようで、その度に裾からペチコートがちらりと覗く。鮮やかな緑地の裾にはくすみのない金色の刺繍が惜しげなく施されており、それは言うまでもなく豪華で優美だった。ドレスの前面には数え切れないほどの細かい襞が、滝のような荘厳な模様を作り上げている。実にこのオーバースカートを作り上げるためだけに四十ヤードもの生地が使われていた。胸元には白の繊細なレースがこれでもかというほどあしらわれ、アメリアの完璧な体型を引き立てている。不思議なことに、このドレスを身につけるとウエストが三インチは細くなった気がして、アメリアは自分のスタイルの良さを確かめるように腰に手をあてた。突き抜けるようなピーコックグリーンの生地はアメリアの肌の白さをより一層強調して、更にはグリーンの瞳をひときわ輝かせているのが自分でもわかった。首元にはソフィーの反対を押しのけて身につけたガーネットのネックレスがきらりと輝き、まさしく今日の装いは完璧そのものだ。

「まったく、うちのお嬢さんときたら飽きもせずに……」ソフィーは呆れて肩をすくめながら呟いた。しかし、知らず知らずのうちに作業の手が止まりいつの間にかアメリアに視線を奪われているのは本人も気が付かなかった。

「飽きるものですか! だって、今日のわたしはとっても素敵だもの。ソフィーもそう思うでしょう?」

「ええ、ええ。その派手なネックレスさえ外せばわたしからも言う事ありませんよ。この時期に身に着けていいものは真珠のアクセサリーだけだと何度言ったらわかってくれるんですかね? 大体、代わり映えしない顔ぶれなんですからそれほど気合いを入れる必要がどこにあります? もちろん意中の人がいるって言うなら話は別ですけど……」

「あら、意中の人ならいるわよ」

「えっ、どちら様です?」ソフィーは身を乗り出して、食い気味に質問した。その瞳は噂話に花を咲かせる娘たち同様にきらりと輝いて、内緒話をするみたいにひそひそ声だ。この乳母もまた娘たちに負けず劣らず、ゴシップとロマンスだけを食べて生きていけるような性質の持ち主だった。それから――本人は決して認めようとはしないが――絢爛豪華な舞踏会やドレスなんかにめっぽう弱く、アメリアの装いに毎回惚れ惚れしている。その上、なんだかんだいいつつアメリアが若い男たちを独占するのも鼻が高い思いなのだ。だからアメリアは、ソフィーと話すと数少ない女友達と話しているような気持ちになって、なんだか楽しくなり、つい言わなくて良いことまでべらべらと喋ってしまう。

「サー・ウィリアムさん。去年アンナの家でお会いした将校さんよ。あの人ったら、またすぐにお会いできますとか言ってたのに、結局一年もの月日が経ったのよ? 信じられる? まぁ、きっとあの人にとっては一瞬だったんでしょうね。見た目はそうでもないけど、それなりにお年を召してたはずだし……いくつだったかは覚えてないけど」

「そんなの社交辞令でしょう。真に受ける人がどこにいます」

「ここにいるわよ。わたし、放って置かれるのが一番嫌いなの。だってそんなの存在しないのと一緒でしょう? それに比べればどんな悪口も嬉しいくらいよ。きっと前回の振る舞いが悪かったんだと思うの。覚えてる? ほらあのときって女性一人に対して――どんなパッとしない女でも――五人は男性がまとわりついていたでしょ。だからきっとわたし、他にもっと素敵な人がいたか何かであの将校さんを適当にあしらったような気がするのよね。そんなわけで、今日は存分に良い思いをさせてあげるのよ」それで、求婚までされたら万々歳。そうでなくとも、その瞳に親愛を超えたものを見いだせれば十分だ。そうしたら今度は逆にわたしが一年間放っておいてやろう。きっと体が引き裂かれるくらいの絶望を味わう筈だわ。「他にも踊らないといけない人は沢山いるわよ。ちょっと心配なのは曲数が足りるかってことだけど……ほら、そこの手紙入れにいっぱい入ってるでしょう?」

 ソフィーはサイドテーブルの上に置かれた紫檀の小箱を見つめて、それを開ける前から未来を想像して露骨に肩を落とした。一体奥さまにどう申し開きしたものだろう?

 小箱の中にはインクも乾ききっていないような真新しい手紙がぎっしりと詰まっていて蓋を開けた拍子に何通かの手紙が圧力に耐えきれずに外へ湧き出した。その中身はどれもこれも熱烈なラブコールに満ちあふれていて、どんな顔で、どんな想いを胸に抱えて文章を綴ったのか簡単に想像できる出来栄えだった。並大抵の淑女であれば顔を赤くして倒れてしまいそうな言葉の数々、そして筆跡から伝わる切実な想い……実際、ソフィーは二通目の半分を読んだあたりで顔から火がでるのではないかと思って一旦手紙を閉じた。

「よくこんな手紙を山のようにもらって求婚を跳ねのけられますね」

「ソフィーもそういうのが好きなの? わたしは月とか女神とかそういうのに形容されたってこれっぽっちも嬉しくないし、これっぽっちもときめかないわ。それに読みにくいったら、人間って興奮すると字の大きさが行ごとにバラバラになるのよね」

 手紙に気を取られているソフィーを横目で確認してから、アメリアはテーブルの引き出しから秘蔵のコロンを取り出し、身にまとった。バレないかとヒヤヒヤしたが、ソフィーは恋する乙女よりも真剣に手紙と向き合っていた。唇を横に結び、顎を引いてひたすら緻密な字を追いかけている。しかしどうやら三通目を読みきった辺で限界を迎えて、四通目からは送り主だけをなぞった。エドガー・リード、ジェームズ・レミントン、レイ・エイデン、ブレイステッド中尉、サイラス・ノークスなど、実に三十通。その中には幼なじみもいれば、アメリアのことなら何でも知っていると豪語するソフィーですら初めてみた名前もある。

 手紙は表現の違いこそあれど、おおよその流れは似通っているようだ。つまり、最初に熱烈な愛の言葉が綴られ、その後には「早く社交界に戻ってきてほしい、そしてその暁にはぜひ一緒にダンスを」と続く。

「まさか、全員と踊るおつもりですか?」

「そうよ。わたし本当に退屈だったからお返事も書いちゃったし。ちゃんと約束は守らなきゃ」

「まったくなんて人でしょう! まだ喪中だっていうのに……また奥さまが涙を流しますよ。それに、言っちゃ悪いですが、これほど熱烈な手紙を貰って何も感じないなんて、今に人でなしと罵られてもおかしくありません。こんな――」ソフィーはもう一度手紙に目を通して、ちょっとした気まぐれで"アメリア"の部分を自分の名前に置き換えて悦に浸った。

「気に入ったなら持っていっていいわよ。どうせもう読まないし」

「本当に勿体ない、まさか送り主たちもこれほどぞんざいな扱いをされているとは思わないでしょうね」なんていいながらソフィーはさり気なくエドガー・リードと署名された手紙をポケットにしまい込んだ。何通か見た中ではエドガーのものが一番気に入った。「いい加減、アメリアさまも早く素敵な男性を見つけてくれればいいんですけど」

「またその話? みんな結婚、結婚って、もう本当にうんざり。お母さまもお父さまも、近頃じゃ使用人まで言ってくるもの。この間なんてジョンにも言われたのよ? 馬と酒が恋人みたいなあの人に! 普段はわたしに怯えてほとんど口も聞いてくれないのにね。それに叔母さまからも毎週のように手紙が届くし……」とはいっても父と母の話は聞き流し、ジョンは逆にからかって、叔母の手紙は早々に読むのをやめてしまったので誰の忠告もまともに聞いていなかった。だからといってうんざりしているのは本当だ。

「わたしは今日が楽しければそれでいいもの。それに誰だっていつかは結婚するものじゃない? そのいつかっていうのが今日ではないのは確かだけど、もしかしたら明日かもしれないし、明後日かもしれないし――」

「もしかしたら二十年後かもしれないですね。いいですか? アメリアさま。今は、それはもう惚れ惚れするほど美しいですけど、その栄光が永遠に続く訳ではないんですよ。いつまでもそうやって遊んでいるとすぐに見向きもされなくなりますよ? 年を重ねるっていうのは本当に恐ろしいことなんですから。どんな美貌も台無しになりますし、そうなったら教養の欠片もないアメリアさまは一生貰い手が見つからなくなりますね」

「なんですって?」アメリアは愕然として思わず聞き返した。美貌が台無しになって、それどころか貰い手もなくなる? 誰でも手放しに褒めてくれて、事あるごとに求婚してくる男がうんざりするほどいるっていうのに? いつまでも永遠にこの楽しい娘時代が続くような気がするのに、いつかは年をとって舞踏会の隅の方でパッとしない藤色の服を着て埃みたいに身を寄せ合ってコソコソと陰口を叩くようなおばさんになるっていうの? 飾り気もなければ色気もない服を着て、ダンスも踊れずに? それを想像するとゾッとして背筋が凍り、アメリアは恐る恐る鏡を覗き込んだ。もし今、しわだの染みだのを見つけたら間違いなく発狂する自信があった。しかし鏡には相変わらず眩いばかりに美しい自分が映るだけで、なんだか急に自分だけはそういう老いや死という避けがたい悪夢が襲ってこないような気がしてきた。そんな不吉な言葉、まるで遠い世界の話をされているかのようだ。

「あそこにわたしが仲間入りするなんて、絶対ありえないわ。しわが増えたり、腰が曲がったり、ましてやこの完璧なスタイルが崩れることなんてありえるはずないわ。だって生まれた時から綺麗で可愛いのに、ただ寝て、起きて、遊んでを繰り返すだけでそんな残酷な変化が訪れる訳ないじゃない?」

 それはもっともらしい意見に聞こえて、アメリアはほっと胸を撫で下ろした。きっとアメリアが忌避する貴婦人たちも彼女たちの娘時代には同じように思ったのだろうが、そんなことアメリアが想像できる筈もない。アメリアにわかるのは今、自分が実際に体験していることだけで十年先はおろか明日のことすら想像に及ばないのだから。そんなわけで、ついでとばかりに結婚した自分を想像してみたがやはり上手くいかなかった。だからといって、結婚せずにオールド・ミスだなんて揶揄やゆされている自分はもっと想像できない。

「結婚が必ずしも幸せとはいいませんけど、少なくともその確率はあがるんですから。あんまり意固地になっているとジョージアナさまに先を越されますよ」

「天地がひっくり返ってもありえないわ。わたしはもういいからジョージアナの方に行って支度を手伝ってあげて。デイジーなんかじゃ役不足でしょ、きっと今にも泣きそうな顔をしてるわよ」アメリアはその様子を想像して小さく笑った。

 アメリアと妹のジョージアナの性格はほとんど真逆といってもいい。姉が無知で社交を愛したのに対して、妹は博識でいつも自分の内側にばかり目を向けていた。その性格は社交的とは程遠く、人が集まる行事をとにかく毛嫌いし、特にその中でも舞踏会なんて言葉を聞くだけで鳥肌が立つほど大嫌いだった。今日の舞踏会の参加に最後まで反対していたのもジョージアナだ。表向きは礼儀や倫理を掲げていたが、アメリアだけは単純に行きたくないだけだということを見抜いていた。舞踏会の何が嫌なのかといえば、まずダンスが嫌いだし、それに伴う会話、駆け引き、それから何よりもジョージアナは自分よりも遥かに劣っている男性にリードを取られるというのが我慢できなかった。そこがこの姉妹の何よりも大きな違いだろう。

 何しろジョージアナは自分の頭の良さに関して絶対的な自信があったので、誰にも言ったことはないがその辺の男よりは、自分の方が遥かに上に立つ資格があると自負していた。しかし世の中は理不尽で、女というだけでどこか頭の足りない存在だと認知され、庇護の対象になるのがどうにも気に入らない。そんなジョージアナにとって、ダンスなんてものは地獄そのものだった。自分より格下だと断言できる存在に腕を取られ、相手のペースに合わせてステップを踏み、面白くもない会話を延々と聞かされるのだから。

 唯一の楽しみといえば、紳士たちの討論に口を挟み、その話の明らかな矛盾点や現実不可能な理由を長々と説明することくらいだ。紳士は顔を真っ赤にしてどうにか面子を保とうとするが、興奮している状態で大した反論が出てくるはずもない。いつも男というだけでふんぞり返っている紳士たちが、自分の言葉でプライドを折られ頭を垂れる姿をみるのはかなり痛快だった。

 そんなわけで、ジョージアナは喪に服すという名目で舞踏会に参加する必要がなくなったの心の底から喜んだし、なるべく喪に服す期間が長引くようにいくつか姑息な裏工作もやってのけた。それなのに、時期尚早にも大嫌いな舞踏会に参加する羽目になった挙げ句、何の策略もない姉の泣き落としに屈することになったのだから今日のジョージアナは二重の意味で機嫌が悪かった。

「ジョージアナさまももう少し社交的ならいいんですけどねぇ」思う所は色々あるらしいが、アメリアには関係ないことだ。ソフィーは深い溜息をついて部屋を出ていった。


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