第4話 黄金卿
1945年 8月15日 正午
「金だと……?」
照りつける太陽は赤々と軍刀を燃やすように熱し続ける。
「あぁ……そうだ。今ここで俺を殺すとそいつが見つからない」
金という言葉に勝機を見出したイイザキの口元はわずかに歪んでいる。
遠い異国の人間とばかり思っていた色白の人間が、まさか日本語をしゃべるとは。取り囲む村人たちは騒然としていた。
「おい咲、あいつ今日本語しゃべったぞ」
「外人……じゃない!?」
軍刀を構える少佐に迷いが生じ始めたのか、イイザキの首の間近まで迫っていた刃を再び振り上げるそぶりが時間を追うごとに失せていく。
「おい女、話は本当か?」
軍刀をそのままに首だけを先に向けて問いただす少佐の目には憎しみと欲望が煮えたぎっていた。
「え、……えぇまぁ。見たにはみたんですけど」
「はっきりしろ! あるのかないのか!」
「あります!!」少佐の眼光の鋭さに日和った咲は、身震い一つして声高らかに金の存在を明らかにした。が、この流れがよくなかった。
「少佐殿、米兵をどうするおつもりで?」
「まさか金欲しさに許すと申されるのか!?」
「少佐殿! 俺は米兵に親を殺されてるんだぞ!?」
村人たちの異様な殺気は最高潮に達していて、イイザキが日本語を放った事により一瞬だけその怒りは和らいだものの、再び業火として燃え上がる。
その時だった。
駐屯地の方向から何者かが駆けてくるのが咲の目には見えた。
慌てた様子で駆けてくる人影は、イイザキをここまで引きずり歩いたあの憲兵だ。慌てすぎて足がもつれて転んでしまうも、なおも起き上がりこちらに向かって全速力で駆けてくる。
「少佐殿! せ、戦争が終わりましたぁ!」
1945年 8月15日 16時01分 松崎村 冬月家
突如始まった玉音放送により、終戦は告げられた。
雑音交じりのラジオ放送だったが、天皇を名乗る人物の声に皆耳を傾けた。
天皇の声を聴いたこともなかったが、米軍が何かの策略で放送したにしては日本語が流暢だった。疑心暗鬼になるものもいたが、数分後には正式に上層部から通達が届いた。
日本は敗戦したと。
「これからどうなるんだろ……」
咲は柄にもなく顔を曇らせていた。同時に隣で井戸水を飲む三郎も別な意味で顔を曇らせていた。
「おい咲。このペットどうするつもりなんだ? ここはまだ日本のはずだぞ?」
「誰がペットだって?」
戦時下では捕虜扱いになるべき米兵も、こうなってしまってはそういう扱いもできない。米軍がここに来るにしても数日はかかる。行く当てもないイイザキが居つく場所としては適所といえるだろう。至極当たり前かのようにイイザキを自宅に招き入れた咲に困惑しながら三郎も後に続き、咲の「とりあえず休憩にしない? もういろいろ起こりすぎて頭が追い付かない」の一言で三人並んで囲炉裏を囲んで座りだした。
「冗談だよ。お前さんがあまりにも日本語が上手だから誰かに仕込まれたんじゃないかってってな」
「なんだおい、もう一遍言ってみろ!?」
眉間にしわを寄せたイイザキが三郎の胸倉をつかみかけ、あわや殴り合いのけんかが勃発しそうな空気になる。
「ちょっと兄さん静かにして!」
咲はそんな茶番が嫌いだった。軍国主義も、人種差別も咲には興味がない。あるのはただ一つ、創作に使えるネタである。それも生きたネタであって、誰かから見聞きした疑似体験などには意味がないと考えている。
「悪かったって。謝ってるだろ?」
「なんだその口の利き方は? 日本人てのは他人には上からものをいうようにしつけられているのか!?」
なおもにらみ合う二人に咲が告げる。
「……あんまり騒ぐと晩御飯何も出さないわよ?」
その言葉で、二人は今更腹がすいていることに気が付いた。
「今度はこうはいかないからな」
「はいはいせいぜい口には気を付けるとするよ。……まぁ、今後どうなるかなんてよくわからないけど、戦争は終わったんだ。咲、今日くらいいいもん食べよう。家から魚の干物でも取ってくる。咲は酒を探しといてくれ」
三郎がやけに木目の浮きだった戸口に手をかけた瞬間、三郎の意思とは関係なく引き戸が勝手に開いた。そして驚く三郎を押しのけて隣の家の子供がどっと押し寄せてきた。
「咲姉ぇ! うちのおっかぁが……!!」
血相変えて入ってきた一人の男児はどこか山にでも行ってきたのだろう、泥にまみれていた。
男児は噂に聞いていた異国の人間が胡坐をかいた状態でこちらを向いている姿にひどく驚いたが、今はそれどころではないようだ。
酒を探しに行こうと引き戸に手をかけた咲は、その叫びにも似た悲鳴に思わず足を止め、振り向きざまに駆けだしていた。
「どうした? そんな泥まみれで?」
屈みこんで男児と視線を合わせて会話を進める咲にとは対照的に、居合わせていた男二人は何事かとたじろぐばかりで正直なところ頼りにならない。三郎に関してはその場に突っ立ったまま男児を凝視することしかできないありさまだった。
「おっかぁが……! おっかぁが!!」
男児は同じことを繰り返すばかりで話に発展がない。冷静にそれを聞こうと咲は話を促すが、男児のその態度にイイザキが吠えた。
「おい、ガキ……! 話の要件をちゃんと話せ。でなきゃこっちも動くに動けねぇ」
一喝されて我を取り戻した男児がぽつりぽつりと話し出す。聞くと男児の母親がここしばらく口がきけなくなってしまっているらしく、どうも様子がおかしいと小説のネタを収集している咲なら何かわかるのではないかと駆け付けたらしい。
「話だけじゃなんとも……。とりあえず行ってみましょう」
「行ってみましょうってまさか俺も!?」三郎は自らを指さすも、咲は冷静に告げる。
「兄さんも、イイザキさんも。三人寄れば文殊の知恵ってよく言うじゃない」
「……おい咲どうなんだ? 何かわかるのか?」
男児の家屋にやってきた三人は、床に伏したまま口をうまく動かすこのとできないばかりかうまく首も回すこともできない男児の母親に言葉をなくしていた。
この家もどの家もこの村には比較的裕福な家などというものは存在しない。田舎特有の田畑があるおかげで食うものにはあまり困ることはないくらいで、金銭的には貧窮を極めている。……三人とも脳裏をよぎるのはどこかしらの大きな病院へ行くことなのだが。
「何かしらの感染症にかかっているのは確かなんだけど、やっぱりこういうのは大きめの病院に行かないと……」
「病院ならここからなら一週間かかる……。あまり現実的じゃないな」
「じゃあどうすんのよ!?」
「俺に聞くなよ。俺なんてお前に連れてこられるまで酒を探そうとしてた人間だぞ!?」
冬月兄妹が騒がしくもめる中、イイザキがふと動き出した。慣れた手つきで首元に手を差しあて、何やら自分の中で計測をしているようにも見える。
「……おそらく破傷風だろう。見ろ、口元が筋肉の収縮で笑っているようにも見える」
「なんだお前、医学にも詳しいのか!?」
「別に俺にそういう賢智があるわけじゃない。……昔の知り合いの真似事さ」
幼少期、祖国で日系人だと差別されるなか一人だけ見方をしてくれた同年代の黒人少年がいたことをイイザキは思い出す。彼とともに軍に入隊し、身体能力にたけていたイイザキは全戦で鬼人のごとく活躍をみせ、黒人の彼は軍医を目指した。
軍医になれたという話は聞いたが、厳しくなる戦況の中どちらともなく連絡を取ることもなくなった。
……彼は今頃どうしているのだろうか。イイザキは甦るシルエットを払拭し、現実を見つめる。
「何かしらの抗生物質があればもしかしたらどうにかなるかもしれない」
「こうせいぶっしつ?」何かしらネタの匂いを察知した咲がメモしようとした手を止める。
「噂でなら聞いたことがある。最近アメリカでそういう病気を治す薬が開発されたとか」
「……そうか、ペニシリンか! そいつならもしかしたらいけるかもしれない。お前、アメリカ人なんだろ? 何かつてはないのか?」
「おそらくだが、時機に軍が日本を統率するために本格的に上陸してくるはず。もしかしたらその中にあるかもしれない」
「じゃあそれさえ手に入れば!」解決策が見えてきたところで咲は思わず手をはたいて喜んでしまう。
「……ただ値段がな」
「そんなに高いの!?」
「咲、少し考えてみろ。ただでさえこの状況で出来上がった新薬をわざわざ敗戦国に普及させる必要性があるか? 自国民でさえ足りてるのか怪しいくらいなのに」
妙案が生まれたことで少しだけ明るくなった男児の顔に、再び陰りが現れる。
母親は助からないのか……。そのイメージだけは払拭してきた男児も今度ばかりはと目に涙を浮かべた時だった。
「金か……金ならあるじゃないか」
男児が見上げると三郎が天啓を受けたような顔をして、天を見上げていた。
「どこにあるんだよこんな村に……?」
「お前ら二人見たって言ったろ。例の金の石像。あれを探して売り払うんだよ」
「でも、あれもとは人間って話兄さんにもして」と咲が口にするのを三郎が遮る。
「今世界的に金の価格がどうかは知らないけど、売ればもうかるのは間違いない。ペニシリンくらい腐るほど手に入る。余った金で今よりいい飯も食える」
「……おじさん、僕」
「いいんだよ少年。すべては僕たちに任せてくれれば。なぁに、破傷風くらいすぐに治して見せるさ」
イイザキは思った。こいつ、金が欲しいだけかと。
咲は思った。やはり兄は人を思いやれる優しい人間なのだと。
再び冬月家に戻ると、咲は自身が集めた民間伝承の書籍を片っ端から開き始めた。
埃まみれになっていた書籍の中に、イイザキと咲が目にした事象ににたものが記載されていた。
「……黄金卿」咲が口にしたその言葉にふさわしく、その都では流れる水に至るまでが黄金でできていると書かれていた。そして古びた書物は不穏な一文で閉められていた。
「この地に足を踏み入れし者、災いもって死に至らん」
咲が生のない声でつぶやく末文に、後ろから書物を覗き込んでいたイイザキと三郎が思わず息をのむ。
「な、何。そんなもの迷信だろう。ほら、二人とも早く支度を……。念のため護身用に何か多めに持っていこうか。僕はちょっと馬の手配をしてみるから」
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